時々、占いの勉強をしたいと言って、わしを尋ねる者がおる。又、人によっては、わしの方から、「占いの勉強をしてはどうじゃな」と勧める場合もあるが、本気で勉強する者はなかなかおらんのじゃよ。大体がじゃ、占いを簡単なものと思い込んでおる。「占いをナメとるのか!」と、わしゃ言いたい。市販の本を二、三冊読んだら、直ぐに占いができるように思っておる者が多いが、とんでもない事じゃ。実際にその程度の占い師もおるから、素人集が簡単に真似をするのじゃろう。そんな気持ちで勉強しても、ア―ちゃん占い師になるに決まっておる。
占いを勉強して、あれこれ占うのであれば、少なくとも専門書を何回も何回も擦り切れるほどに読み込んで、一科目でも三年間位はみっちり勉強しなくてはならん。
何の勉強でもそうだが、実力のある師の門を叩いて教わるのが一番じゃ。占いでもそうじゃ。しかし、《本気であれば、独学でも充分実力はつく》 そこでじゃ、占いを独学で身につけようとする者のために、次に、わしが勝手に良い本を推薦しておくから、殆ど丸暗記するくらいに何回も何回も読むことじゃな。
市販の本は、他人の本の丸写しのものが結構多いからそのつもりで読むことじゃ。占いを習い始めて、一、二年したら、もう本を出しとるのもおるからのう。こういった、他人の本の丸写し本を出しては、「私は本を出した」と喜んでいる占い師を、「本屋さん」とか、「写し屋さん」などと呼んでおる。しかし、それが生きがいの者には、「良かったのう」と心から一緒に喜んでやりたい。
本を書いて、それが世に出るにはそれなりの因縁があるからのう。本を書きたいと思っても、思いどおりに書けるものでもないし、本を出そうと思っても、簡単に出せるものでもないからのう。何事も、それだけの縁があってのことじゃ。一緒に喜べば、こちらまで気持ちが良いではないか。しかし、「自分の書いたものについては、自分でどれだけ実験しているかを、ちゃんと書いておいてもらい」というのが、わしの素直な気持ちじゃ。受け売りでも良いが、受け売りなら受け売りと載せておくことじゃな。そうすれば、少なくとも自分と読者を騙すことにはならんからのう。
実力者が書いた本を熟読して、実際に自分や他人の運命を占っている内に、段々と実力がついてくるのだが、金を貰って人様の運命を鑑定するには、少なくとも《自分の運命をしっかり見切ってから》にしてもらいたい。「わしの運命はどうなるかのう」とか、「私はどうなりますかア―」などと言う占い師は、わしゃ情けないやら阿呆らしいやらで、「ご苦労さん」としか言いようが無いわい。
さて、これから運命学の良い本を紹介しておくが、《専門書はそれなりに値段もよい》からそのつもりでいてくれよ。専門書は、マンガや週刊誌のようには売れんから、値段が張っても仕方がないのじゃよ。
占い関係の本を揃えている古本屋というのが幾つかあるから、直接尋ねるか、葉書などで値段を問い合わせたり、注文すると良かろう。そこには、本ばかりではなく、占いに必要な用具も置いてある。
※現在も出版されているのではなかろうかと思う新本は、紹介の書名の下に(新)、絶版になっていると思われるものについては(古)と印しておく。(新・古)となっているのは、古書で見かけるが、多分現在も出版されているのではなかろうかという印じゃ。しかし、わしは本屋ではないから、必ずしも正確ではないからそのつもりで頼むぞ。参考程度にしてもらいたい。「(新)の印の本が古本屋にもあったぞ!」などと怒らんように頼むぞ。新本でも古本屋に回れば古本ということじゃからのう。全く、話をするにも神経を使うわい。
序でに、わしが若いときから買いに寄った本屋を紹介すると、大阪は心斎橋の「中尾書店」、名古屋の「日光堂」、東京では「鴨書店」、「原書房」などがある。懐かしいのう。二、三年前に心斎橋の宮田有峯先生の教室を借りて、人相教室をやっていた頃にも、中尾書店にはその都度立ち寄って、立ち読みをしたものじゃ。
若い時にせっせと買い集めた専門書も、易者稼業の苦しさから売り払って、今では殆ど手元に無いが、そのお陰で体得できた事もようけあるから、それはそれで有り難いと思っておる。しかし、その頃集めた千冊に近い本を、今でも持っておれば、今頃はさぞ値も上がっておるだろうにと思うと、勿体ないことをしたのうという気もする。もうちょっと酒を控えておれば良かったのう、とも思う今日この頃じゃ。
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