生年月日時間の、四つの干支を手掛かりに、一代の運命から、十年間の運命やら、年や月の運命や、その他あれこれを判断するのを四柱推命学と言う。本来は命理學(めいりがく)と言うらしい。
わしは占いに興味があるから、推命にも何回か挑戦したが、何回挑戦しても、推命はワシにはどうもシックリこんのじゃよ。そんな訳で、余り本も読んではいないし、それほど深くは知らんが、読んでみて良いと思ったものを後で紹介しておく。
市販の本などには推命学のことを、「運命学中で、抜群の的中率」とか、「的中率では他占いの追随を許さない」などというように載っていることがあるが、その著者は他の運命学を極めてから言っているのかのう。「余計なことを言わんでもらいたい」というのがワシの気持ちじゃ。
さて、四柱推命学だが、四柱推命を始めた者が最初に戸惑うのは、著書によって内容が違うということじゃ無かろうか。「どの先生の教えが本当なのか」とか、「どの本で勉強すれば良いのか」という声が時々聞こえて来る。
特に、推命で大切な蔵干(ぞうかん)にしてもマチマチで、大運(だいうん)の取り方にも二通りある。訳が分からん状態じゃ。しかし、そこは自分で、「蔵干とは何か」、「大運とは何か」ということを、原書とか古書も読んで研究するしかあるまい。それか、○○流とか○○式を勉強するなら、先ずはそれを信じて勉強して、判断して、修正するところは修正するということじゃのう。まあ、慌てずに、頑張ってチョ―ダイ! さて、その本だが、
○阿部泰山著【阿部泰山全集(全二十二巻)】(古)は、日本の推命界の教科書的存在じゃなかろうか。慌てずに、じっくり読み込むことじゃのう。慌てて内容の拾い読みをするようでは、何にも分かりはせんぞ。そんな慌てん坊は、市販の「一週間で解る! 四柱推命学」などという本でも読んではどうじゃな。しかし、そんな本は何回読んでも、結局は何にも分かりはせんから、読まん方がましじゃ。わしは、そんな本を手にすると、「書いている者が、推命を分かっておるのかいな?」と思う今日この頃じゃ。
余談だが、わしが未だ大阪の八木観相塾(やぎかんそうじゅく)へ通っていた頃だから、十八歳か十九歳の頃の話だが、京都の阿部泰山(あべたいざん)先生に運命を鑑定してもらったことがある。
京都へ着いて住所を頼りに探しながら、この辺りだなと思って、表通りの店屋のおばさんに、「スミマセン、阿部泰山という占いの先生の家は何処でしょうか」と尋ねると、「ああ、阿部先生でしたら、もう少し向こうの、塀に囲まれた大きな家ですから、すぐに分かりますよ」と丁寧に教えてくれた。立派な先生は回りの人にも尊敬されるものじゃのう。店屋のおばさんの言い方から、泰山先生の人柄が窺われた。
言われたとおりに行ってみると、塀のある大きな屋敷で、案内されて控室に入ると数人の先客が順番を待っていたのを思い出す。
大先生ともなると、書生が案内してくれるからエエのう。わしは自宅で鑑定する場合には、全部自分で幾つもの役をやっておる。迎えに出たり、「いらっしゃい」と言うたり、茶を出したり、鑑定をしたり、送り出したり、一人で何人役もやったおる。時々、「自分は七面鳥かいな」と思うことがある。クリスマスが余り面白うないのもそのせいかも知れん。鑑定室にしてもスズキハウスの六畳のプレハブじゃ。特売を月賦で買うたのだが、プレハブ生活が妙に落ち着くから不思議じゃ。誰でもそうだが、家も家財道具も財布の中身も、人相に相応しいのが一番おちつくのじゃよ。
客が来たときに用事があって、大先生を真似て、「エヘン」と咳払いをして女房を呼ぶのだが、その女房は下で用事をしておるから聞こえないらしく、期待した「ハ―イ」という明るい返事はない。面倒臭いから聞こえんフリをしているのかも知れん。苦労をかけたからのう。
さて、泰山先生の話だが、暫くして先生の鑑定室に案内されて見ると、大きな本棚にようけ本が詰まっておる。そして立派な机の向こうに貫録のある先生が座っているではないか。「サスガに、一流ともなると大した貫禄だなあ」と思いながら椅子に座る。先生が、「どういう事を知りたいのですか」と優しく聞いたので、「一代の運命の鑑定をお願いします」と応えた。大した人物じゃから、ア―ちゃんのように威張ったりはせんぞ。
次ぎに生年月日と時間を聞かれたので応えた。話の受け答えはそれだけじゃ。後は、泰山先生が万年暦などを見ながら、罫紙のような鑑定書へ万年筆でサラサラと書き入れて行く。十五分くらい経ったかと思うと、わしの氏名を聞いて、鑑定書の表に氏名をサラリと書き入れ、表紙をホッチキスでカチカチと止めて、朱印を押して、「はい、どうぞ」じゃ。流石じゃのう。全く無駄がないわい。わしみたいに、ヘラヘラしたり、ペラペラ喋ったりはせん。
帰りの電車の中で鑑定書をメクりながら、達筆な文章を食い入るように読んだものじゃ。懐かしいのう。
今にして思えば、その悉くが的中しておる。チ―ちゃんと結婚する年齢も、チ―ちゃんが良妻であることも、良い子供に恵まれることも、金は溜まらんが流通の財があって行き詰まることが無いことも、何もかもがその通りじゃ。サスガじゃのう。学と術とに通じた達人と言うべきじゃろう。
泰山先生に見てもらったことを女房に話してからというもの、小言を言うと、「泰山先生が私のことを良妻だと言うたでしょう」と言うからかなわん。序でに言うと、わしは昭和二十二年八月十九日の午後三時から五時の間に生まれたらしい。
その泰山先生もこの世の人ではなくなった。運命鑑定家の殆どの先輩が亡くなって、占い業界も大きく変わったように思うのはワシだけかのう。何やら寂しいのう。泰山流の推命は、弟子とその弟子、ひ孫弟子と賑わっておるようじゃ。それを見ても、泰山先生の学識と人柄が偲ばれるではないか。
生年月日時さえ分かれば、色々なことは分かるのが四柱推命のはずだから、下らん問答は必要ないと思うがのう。近ごろは問答ばかりで埒が明かんのが多い。鑑定書が書ける鑑定家も少ないようじゃ。泰山先生が模範じゃ。無駄口など一切きかず、その場でサラサラと鑑定書を仕上げるからのう。余程の経験と学識がないと勤まらんぞ。漢字を間違えてインク消しで消し回ったり、金釘流やミミズが這うたような字で書いたり、幼稚な文章では、とてもじゃ無いが、「運命鑑定書」などとは言えんからのう。
わしは街頭易者で良かったわい。漢字をしょっちゅう間違えるのじゃよ。ワ―プロでも間違うからのう。しかし街頭易者でも何時迄もそれではいくまい。「よし、来世は一生懸命勉強するぞ!」
○伊藤泰苑著【泰山流、四柱推命学の要訳】(古)は、泰山先生の直弟子である泰苑女史の著作で、表題の通りに泰山流の推命学の要訳じゃ。分かり易い。【泰山流 四柱推命学入門】(新)も、分かり易いから初心者にはピッタリじゃ。
○三木照山著【四柱推命の完全独習】(新)も、泰山流だが、初心者にはピッタリじゃ。市販されておるから買うてはどうじゃな。しかし、何時迄もこの本だけ読んでいては埒が明かんぞ。
○宮田有峯著【四柱推命】(新)は、三部作で、干支の説明も易しい。泰山流だと思う。宮田先生の出している万年暦は、横書きで、節入りから月分けしているので非常に見易い。
わしは宮田先生には世話になった。人相教室に心斎橋の関西推命学院の教室を使わせてもらったりもした。「宮田先生ありがとう。今後とも宜しくお願いしますよ」
○武田考玄著【通信講座・四柱推命学詳義】(新)は、十一巻の大著じゃ。腹を据えて、三年位はみっちり取り組まんと、何が何やらサッパリ訳が分からんままで終わることは、この天童が保証する。特に推命は、全部がハッキリ解らないことには、何一つ判断できんというのが本当のようじゃ。
考玄先生は、中国の原書から研究したと言うだけあって、著書の内容にも、先生の人相にも、非常に厳しい妥協を許さないものがある。
【四柱推命学入門】(新)は、入門書ではあるが、慌てずに何回も何回も熟読せんと分からん。皆の衆も一つ挑戦してみてはどうじゃ。脳みその皺がグンと増えることは間違いなかろう。四柱推命学詳義のポケット判と言うて良かろう。先ずは、この本を読んでみてはどうじゃ?
【あなたの生命エネルギ― 四柱推命】、【未来予知学としての四柱推命入門】も同じようなものじゃ。併せて読むとよかろう。何冊でも買うて読んだらええ。わしの懐には響かんからのう。
○佐藤六龍著【四柱推命活用秘儀】(新・古)は、懐かしいのう。わしが二十歳の頃に出された本じゃ。推命の基本が簡潔に載っておる。
○中村文聡著【推命判断秘法】(新・古)は、入門書を読んでからにしたら良かろう。
○高木乗著【四柱推命学】(新)は、基礎から丁寧に説明してあるが、立運をそのまま大運に取っているのはどうしたものかのう。大運は十年ごとに変わるのが当たり前だと思うが。
○加藤大岳著【奥秘伝書・四柱推命学】(新)は、分かり易い。詳しく丁寧であるから、初心者には良いのではなかろうか。大岳先生の本の殆どが、頭に「奥秘伝書」と付いておる。しかし、難しいものばかりではないから安心して良いぞ。
○朝田啓郷著【推命学の革新】(古)。わしは、大運を十年運としていないのがピンとこんのじゃ。現在の日本には、大運を十年運とするのと、立運をそのまま転がして大運とするのと二通りあるようだが、重要な大運の取り方が根本的に違うのに、それぞれが、当たるとし、正しいとしているのは、どうゆうことじゃろう。こうなると、摩訶不思議の世界としか言いようが無いのう。わしは十年の方を取っておる。十干は十の干じゃからのう。
わしは人相術が専攻だが、他の占いの本もあれこれ読んでおる。実際に推命で運命を判断することは無いが、色々な本を読んでいると著者の運命に対する考え方や思いが伝わって来る。それが堪らなく嬉しいのじゃよ。真面目な研究者が書いた本は、同じ運命研究家にとってはええ勉強になるのじゃよ。
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