天童春樹の人相術
 
 
 易占(えきせん)の本

 易占とは、皆の衆も見かけたことがあると思うが、占い師が神妙な顔をして、竹のヒゴのようなものでジャラジャラやって、「えへん」などと言いながら、木切れのようなものをカタカタ並べて占うのを易断(えきだん)とか、易占(えきせん)と言う。易を勉強していない占い師でも、机の片隅にそれを構えている者が多いほどに、これは易者の看板にもなっておる。
 一般には占い師を全部引っくるめて、「易者」と言っているようだが、本来は、易で占う者を易者と言うのじゃよ。易占の上手は、大抵のことを的確に判断するものじゃ。決して、頭から、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」などと、馬鹿にしてはいかんぞ。そんなことを言うのは、自分が馬鹿じゃ。人に言うことは、自分に言っておるのじゃよ。易占について、あれこれ言いかけるのなら、ちっとは易の本を読んでからにしてもらいたいものじゃ。話にもならんからのう。

 わしの専攻は人相術だが、次に好きなのが易占じゃ。易の教えと占いには、何とも言いようの無い魅力がある。易占は、高校生の時から勉強などはそっちのけで、専門書を読みあさって、例のヒゴを振り回して、放課後に女学生の悩みに応えたものじゃ。懐かしいのう。あの頃はわしも若かった。その放課後の女学生の一人にチ―ちゃんがおったのじゃ。縁とは本当に面白いのう。何とか幸せにしてやりたいものじゃ。「チ―ちゃん、苦労をかけてすまんのう。今日もホカ弁を買うて帰るから、機嫌を直してくれよ」 それにしても最近は暇じゃのう。小泉首相も国会答弁でヘラヘラしどころではあるまいに。「コラ、顔を引き締めんかい!顔を!」 わしに言わせれば、「顔は口以上にモノを言う」ということになる。
 いかん、今の世の中を見ていると、ついつい愚痴が出てしもうた。愚痴はいかんぞ。不運の元じゃ。地獄への近道でもあるからのう。思わず愚痴が出たときには、直ぐに自分に、「こら!しっかりせんか!」ということが大切じゃ。そうすれば不運から免れる。人に言うということは、結局は自分に言っておるということに気づいてくよ。そんな面倒なことをせんでも、始めから愚痴を言わんに限る。

 ところで、易占の話の続きだが、易占で使うこの竹のヒゴを筮竹(ぜいちく)と言い、木切れのようなものを算木(さんぎ)と言うが、易の上手がこれを駆使すれば大抵のことは判るようになっておるのじゃ。不思議なようだが、本当じゃ。
 しかし、最近は易占で何でも占うという、本来の易者が少なくなったのが淋しい。最近の易者は看板だけで、他の占法も交ぜ込んでやっておるのが殆どじゃ。自分が勉強をしていないことまで広告に載せている者も多い有り様じゃ。《易一本でも、熟練すれば何でも分かる》というのが本当のところじゃ。そういう易者がわしの回りには殆どおらんのじゃよ。易をちゃんと勉強すれば、大は世界情勢の動向から、小は封印されている箱の中身まで見通せるぞ。但し、ちゃんと勉強すればの話じゃ。

 易占で色々な当てものをするのを、「射覆(せきふ)」というが、箱の中身を当てたり、心でグッと思ったことを当てたりもできるぞ。それと、《易経(えききょう)》は、中国の五経(ごきょう)の筆頭に位置するもので、そこには宇宙の真理とかも全部載っておるから、本当に易が分かれば一切の迷いも無くなる筈じゃ。悪徳易者というのは、要は、易のことが何一つ解ってない証拠じゃ。《五経とは、儒学で尊重する五部の経書(けいしょ)で、易経、書経、詩経、礼記、春秋を言う》と辞典にある。キスボケのわしでも、たまには辞典を引くこともあるのじゃ。学校で勉強をせんかった分だけ、後から苦労するわい。

 おおそうじゃ、占いの本の話じゃ。これから紹介する本の著者は、皆んな大先輩だが、敬称は略させてもらう。本の値段は書店にハガキなどで問い合わせてもらいたい。しかし、千円位の本は殆ど無いからそのつもりでのう。十万円以上の高価なものもある。

 ○加藤大岳著【易学大講座(全・八巻)】(新)。この本は易占の金字塔と言ってよかろう。大岳(だいがく)先生は、汎日本易学協会を主宰して、後進の指導にも当たられた。二千人位の会員がおったそうじゃ。 この大講座は、易経の解説から、易占の仕方まで全部を網羅しておるから、初心者は勿論、易占家必読の書じゃ。
 【易学通変】(新)は、判断の仕方、問題別の占い方を詳しく解説してあるから、実践には持って来いの必読書じゃ。有名な易占家の占例もようけ載っておる。有り難いのう。わしは困窮した時でも、この本は手放さなんだ。
 【眞勢易秘訣】(新)は、江戸時代の易占家として有名な、眞勢中州(ませちゅうしゅう)という先生の占法と、名占が載っておるが、わしはこの本が妙に好きじゃ。
 【易学病占】(新)は、なかなか難しいぞ。しかし、「病気のことは何一つ分かりません」ではどうしようもないから、是非とも読破してもらいたい一冊じゃ。病気の占い方の秘伝書の貫録がある。いくら医学が進んでも、易には易なりの病気の見方があるのじゃよ。
 ところが、「医学の進歩が目覚ましい現代において、占いで病気を云々すべきではない」などと、判ったようなトボケタ事を言う占い師がおるのじゃ。いったい何を考えているのか訳が分からんのう。

 以上の本は今でも発売されているから、易占を志す者は、是非とも揃えてもらいたい。というよりも、必読書じゃ。筮竹と算木なども一緒で、三万円そこそこだと思う。現実に、易占をやりたいという者にはこの本を勧めておる。しかし、「エ―ッ、高いですねヘ」とか、「四冊も読まんといかんのですか」とか、「難しそうですねェ―?」などと言う問題外の者が多いのが実情じゃ。疲れ果てるわい。「占いの勉強は諦めて、空想小説でも書いたらどうじゃ」と、わしゃ言いたい。

 ○高田真治著【易経】(新)は、岩波書店から今でも出ているから、早速買うてはどうじゃ。値も安いし。これは易経(えききょう)の解説書だが、携帯にも便利じゃ。原文、訓読、解説と三段構えなので分かり易い。たまには、易占をやっていて易経のことを知らんのがおるが、そんな易者には特にお勧めの一冊じゃ。外務省と同じで、易者業界も、「伏魔殿」かも知れんわい。ご苦労さんとでも言っておこうか。

 易経をちょっと読んで、「これは難しい」などと言って、チョイ読みを繰り返すようでは何も分かりはせんぞ。丸暗記する覚悟で挑戦することじゃのう。有名な、高島嘉右衛門先生は、易経を丸暗記しておったらしいが、易占をやる以上はそれ位であって貰いたいものじゃ。うん。実は、わしも丸暗記はしてないのじゃ。言い触らしてはいかんぞ。易もそこまでやると、「易占馬鹿の一丁上がり!」となるは必定。後はア―ちゃんにならないように、わしは祈っておるぞ。

 次に、加藤大岳先生の本以外にも、わしが若いころ読んだ本を、懐かしさから挙げておくから、金持ち連中は勝手に購入して読めば良かろう。 それと、「私は色々な本を読んでいます」と言う者も多いが、「誰という先生の本を読んでいるのかね?」と聞くと、「エエ―ト、エエ―、覚えていません」などと言う者も結構多いが、誰が書いた本か位は覚えていてもらいたいのう。
 そんな事がどうして大切かというと、読めば読むほどに著者の波動が伝わって来るからじゃ。実力のある立派な先生の本は、その先生そのままだと言える。読んでいると、文字では表せない著者の思いがヒシヒシと伝わって来るのじゃよ。実力の無い者が書いた本には、それが全然無いのじゃ。仮令へ文章は立派であっても、波動が空っぽじゃ。何も伝わって来やせん。それどころか、マイナスの波動が入って来る場合があるから、そんな本は読まんのが身のじゃと言える。そうじゃ、続いて、易の本の紹介をせんといかんのじゃ。

 ○高島嘉右衛門著【高島易断】(新・古) 豊富な占例も魅力じゃ。嘉右衛門先生は実業家であり易占家であって、明治の易聖と言われておる。世に、「易は高島」と言われ、一世を風靡したそうじゃ。今日日の高島○○などと勝手に名乗っておるのは、嘉右衛門先生とは全く無関係ということじゃ。
 わしの所にも、たまに、「高島流の易断ですか?」などと訳の分からんことを聞きに来るのがおるが、冷やかしではないし、といって、鑑定を請う訳でもないし、何が気になるのやら、質問がサッパリ分からんわい。そんなことを聞いておいて、そして哀愁を漂わせて何処となく去ってゆくのじゃ。「シェ―ン! カクバック!」とでも言ってもらいたいのかのう。その後ろ姿に、「風邪をひかんようにのう」と、つい言うてしもうたわい。

 ○熊崎健翁著【熊崎易本義】(古)は、大体が高島易断の携帯判のようなものじゃ。値も相当に上がっておる。
 【易占の神秘】(新)は、今でも紀伊国屋書店とか旭屋書店などにはあるはずじゃ。熊崎易本義の簡略小型判のようなもので、値も安いから一冊どうじゃ? そうそう、熊崎健翁という先生は、「熊崎式姓名学」の本家本元として特に有名じゃ。

 ○中村文聡著【易学実義(判断編)】(新・古) 日本運命学会会長であった中村文聡先生は著書が非常に多い。わしも若い時には運命学会の大阪支部の会員であったが、懐かしいのう。そのころの大阪支部長の山本先生は元気で頑張っておられるであろうか。「島田(わしの本名)君は、目がキツ過ぎる」と、よく言われたものじゃ。先生の言われた通り、キツイ目のお陰で人間関係で苦労したわい。最近は客に、「優しい目をしていますねエ」などと言われることもあるが、悪い気はせんのう。
 この書は、六十四卦と、各爻の占断が出ていて、初心者には良い。

 ○尾栄大寛著【簡明易占統計秘録】(新・古)は、六十四卦と三百八十四爻の項目別の占断が満載じゃ。よくもまあ、忙しい間をみて根気よく纏めたものじゃ。感服するわい。わしはどうも根が詰まんからいかん。保育園の時から、「落ち着きが無い子じゃ」と言われたそうだが、のんびりと、親のスネをカジリながら生きたせいで、ちっとも根性は改善されておらん。長年スネをカジッたので、前歯がピカピカ光っておる有り様じゃ。皆の衆、日々の鍛練が大切じゃ。魂を鍛えることじゃ。「今日、ただ今から」という気で頑張ることじゃのう。しかし、わしは、そんなことを考えただけでも疲れるわい。話が前後するが、尾栄先生は信仰心も相当のものじゃ。

 話は逸れるが、わしが四十歳頃に、ある霊能者に見てもらった時じゃ。その霊能者は、お経とか祝詞(のりと)を唱えていて、それが詰まった時に神様か眷属(けんぞく・神の使い)の言葉が聞こえるらしい。
 一緒に行った知り合いは、祝詞がスラスラと暫く挙がってから詰まって、神様の言葉が幾つかあったのだが、わしの場合は、「タカマガハラニ・・・」の、「タカ」のところで、もう祝詞が詰まるのじゃ。「タカ、タカ、タカ、」となって、一向に祝詞が挙がらんのじゃよ。そこでその霊能先生が、「これは珍しい、祝詞があがらん! いったい何をしておる。ン?、ン?、何をやっても三日坊主じゃ。ん?、いやいや、二日坊主もあったと言っておるぞ」、「神がグッと睨んでおるぞ」と言うのじゃ。わしは余りにもズバリと言われたので、思わず、「アハハハ」と笑うてしもうたわい。その頃は五悪に浸って、乱れた生活をしておったからのう。地獄も何回か見せられた頃じゃ。それと、易者稼業は余程しっかりしておらんと、地獄行きは間違いなさそうじゃ。これから勉強する者は肝に銘じておいてくれよ。身のためじゃ。地獄は正に《覚めやらぬ悪夢》そのままじゃ。怖いぞ。
 霊能先生の話だが、続いて、井戸を埋めたことも、便所を動かしたことも、塀の中の木を全部切ってしまったことも、門を建てたことも、神様のお札をようけ纏めて、大きな封筒に入れて本棚の隅へ突っ込んでいることも、わしが何も言わんのに全部当てられてしもうた。そこまで言われると、いくら横柄なワシでも、「アハハハ」が、「トホホ」となるわい。
 そこで、色々と尋ねて、それから、何やらふっ切れて、改めて信心を起こし、易者稼業にも少しは精を出すようにもなり、一切が有り難くもなったのじゃよ。有り難い有り難い。人相と霊との関係、運命と霊との問題に取り組み出したのもそれからじゃ。それからは、他にも、幾人かの霊能者との付き合いもあって、得るところが多かったのじゃ。色々なことがあるが、なあに、全部が有り難いことなのじゃ。

 【実占秘伝大完】(古)も、尾栄先生の本で、易占、墨色、家相など色々出ているが、尾栄先生は実占家で苦労人あっただけに、この本には魅力がある。
 易占ではないが、尾栄先生の【墨色一の字秘伝】(新・古)は面白いぞ。墨色(すみいろ)による占いは、大阪では見かけるが、わしの地元の高知では誰も知らんようじゃ。寂しいのう。実際やってみると面白いぞ。信仰心があって、簡単な占いを勉強したいという者には、特にお勧めじゃ。今でも売られておる。難しい占いが役に立つとは決まっておらん。簡単な占法でも、臨機応変な判断さえできれば充分に役立つのじゃ。

 ○鹿島秀峰著【現代易占詳解】(新)は、今も神宮館から出ておるが、簡潔で丁寧な解説が嬉しいのう。【易経精義】(新)は、易経を詳しく解説しておるし、携帯にも便利だからお勧めじゃ。 ○加藤大岳著【易法口訣】(新)は、中筮法による占い方を詳しく説明している珍らしい本じゃ。 ○紀藤元之介著【活断自在】(新・古) 大岳先生の門下の元之介先生にもお世話になったのう。何回か見てもらいもした。易占業界の為にも、もうちょっと長生きして頂きたかった。 ○松田定象著【新選 易学小筌】は、入門者に根強い人気があるようじゃ。 ○高木乗著【花心易秘伝書】(新)は、筮竹を使わずに易占をする、梅花心易(ばいかしんえき)の解説書じゃ。一度読んでおいてはどうかの。易占業を始めてから、「バイカシンエキ? 何じゃそりゃ」では恥ずかしいからのう。いやいや、実際にそんなのがヨウケ居るのじゃよ。

 易で占うのに、もう一つ、【五行易(ごぎょうえき)】と言うのがある。断易(だんえき)とも言うが、こっちの方はワシャややこしゅうてヨウ分からんから、本の勧めようがない。目録を見ると、最近は五行易の本もようけ出ておるから、勝手に探してもらうしかない。わしが読んだのは次の二冊だけじゃ。

 ○加藤大岳著【五行易精蘊】(新)は、色々と詳しく解説しているが、根(こん)が詰まん者には難しいし、ややこしい。ややこしいのが好きな、脳の皺が細かな連中にはピッタリかも知れん。この間、懐かしいからこの本を読んでいたら、同業が、「わしも五行易の勉強をしたいから読ませてくれ」と言ってきたから、貸したが、十分位したら黙って返してきた。頭が悪いとは言われんぞ。五行易が肌に合わんのじゃろう。 
 
 ○九鬼盛隆著【断易真義】(新)。これは上級者向きではなかろうかと思う。わしにはサッパリじゃ。「何であろうか」と思う程じゃ。しかし、何易であろうが極めれば同じじゃ。実際に五行易で活躍している先輩もようけおるからのう。しかし、わしは苦手じゃのう。

 さて、次回は手相とか人相の本などの紹介をするが、「わしは、易者になる気はないし、勉強する気もない。エヘン」などという、立派な御仁は、次回は飛ばしても結構毛だらけじゃ。しかし、運命の為になる話も出て来るから、読んでおいた方がええぞ。