Questo vento che soffia dentro di me
mi porta lontano ma immobile

Ascoli Piceno からの帰りは、私の仕事の都合で単独行動となった。ホームステイ先のDinoが、午前2時40分発!のプルマンに乗っけてくれた。以後は、覚悟していたとは言え、不安と疲労、の2文字だった。プルマンの中では、一切の聴覚的および視覚的情報が無く(乗客の眠りを妨げないということか。当然私は一睡もしていない、そんな余裕は non, nessuno, mica, niente! )、しかも、乗換の時と空港で降りるときに運転手に話しかけた(と言っても行先の単語だけ)が、発語が無く、しかも身振りも何も無く無反応だった。つくづくイタリア旅行には男は向かないと実感した。空港では、チェックイン開始までひたすら2時間半待ち、搭乗ゲート近くに座る段になってやっと安心。そんな成田行きの飛行機の中で、ふと聴いた Chiara “Vieni con me” というポップスがえらく気に入り、10数回も歌ってしまった(エンジン音がうるさいので誰も気にしてないでしょ。後でネットで調べると歌詞の一部は間違って聞き取っていたが)。当然この7日間を想いだして泣いた、が歌詞が気にいって感涙にむせんでいることにした、というか誰も気に留めるはずが無いけど。東京の会議に出て高松の我が家で就寝したのは午後10時、イタリア時間の金曜朝7時から、56時間ぶりの臥床だった。
“Mangia e bevi di piu’!? “  “ Basta!
“Hai capito? “  “ Non ho capito!”
遅い晩御飯が終わると、Dino & Maria Elena のイタリア語学校の授業が始まる、毎晩である。年金、家族、病気、酒、食べ物、火事、等々、ある程度分かったとも言えるし、分からずに返事していたこともあったろう。簡単な単語、既に習った言い回しもその場ではなかなか喋れないし、聞く方も、「オーク材でできた戸棚の取っ手が壊れたので、」と言われても、辞書(それも紙の)を引き引き、のジェスチャー混じりでは、なかなかコミュニケーションがとれない。私が何か話すまで、何分でもじっと二人が待ってくれる、ありがたいけど、つらかった。ただし誤解無きよう、この就寝前の1~2時間は私の至福の時でもあったのです。昼間の小旅行ももちろん楽しく記憶に残ったが、それ以上に。
唐突ですが、滞在先のご家族や地域の方々、もちろん、Maurizio, Brunella, Matteo e  Elisabettaにも、紙上でお礼を申しあげたい(伊語で書こうとすると半年以上かかるでしょう)。滞在中は、本当にいろいろな事を親身にケアしてくれたのに、言葉ではお礼が言えてないからです。ほんの一例を挙げると、朝食時に、話題に困って「普段はヨーグルトとバナナを食べてます」、と言うと、次の朝からそれらが準備されていた。イタリア式の朝食が合わないとかそれらを準備して欲しいという意味では無かったこと、また、すぐに反応するホスピタリティに感激したこと、を伝えたい。
♪~Se stai cercando di scegliere come me
un posto nel mondo in cui dipingere nuvole,
allora vieni con me, vieni con me,
~♪
 今回、ゆっくりじっくり観光できるかと思っていたが、訪れたいずれの場所でも、見足りない所が残った。また来い、という事なのだろう。更に、E-mail Dinoの学校が続いているとは言え、Ascoli Piceno の人々が既に懐かしくなってきた。これはまた、行くしかあるまい。
Toshihiro

アスコリピチェノの人々と古い石造りの町並みは長旅の私達をやさしく迎え入れてくれた。行く先々の教会の壁画やステンドグラスの美しさ。例えようもなく青いアドリア海の白い砂浜古の石の都を貫き、碧のテベレは滔滔と流れる。偉大と呼ぶにふさわしいアッシジの全景に圧倒され名も知らぬ山間の小さな村の夕暮れに点々と灯る街燈山並みは柔らかい曲線を描き、頂きに城壁をめぐらす。                
Atsushi

二度目のイタリア旅行。慌ただしく過ぎた9日間でした。滞在先のアスコリピチェーノは、マルケ州の地方の小都市ですが、その旧市街は、石畳の続く歴史ある中世の面影を多く残す、石造りの建物が美しい街でした。また、妻とともにお世話になったホストファミリー夫妻には、イタリア家庭料理を振る舞っていただき、その美味しさを堪能することができました。そして、イタリアのよもやま話を夜遅くまでしていただき、それが、いつまでも消えない深い想い出となりました。今回の旅行を企画していただいた、マウリッツォとブルネラ夫妻に心より感謝しています。    
Akihiko

 

今回の旅行に係わった全ての人に深く感謝します。私は、イタリアで、濃密な時間を過ごしました。一番良かったのは、Maurizioのご両親の家で夫とともに過ごせたことです。美しく整えられたその家は、築70年は経過しているでしょうか・・。オリーブの木々の間を抜けると、颯爽と現れました。時折、馬が散歩していて、田舎の風景画のようでした。想像してみてください・・イチジク、モモ、クルミ、リンゴ、洋ナシ、美味しいパッションフルーツ(こちらのご両親は、召し上がらないようですが、私たち夫婦は、美味しくいただきました!)野菜畑には、トマト、アーティーチョーク、ズッキーニ、フェンネル、ルッコラ・・・書ききれません。 本当に全面的に彼らの援助を受け、まるで子どものように日常生活を送らせてもらいました。特に家庭内では、*祈り*が、特別なことではなく、ごく自然であることを経験しました。 滞在中、日帰り旅行をすると、かなり疲れましたが、*あ~もう早く帰って、お母さんのzuppaを飲んで早くベッドに倒れ込みたい*と、思ったものです。実際、そうなってしまいましたが・・
前回の旅行は、夢の中にいるようでした。今回は、夢の続きでもあり、また、自分の足で確かに歩いた実感も得られました。しかし、グループの皆さんはご承知の通り、大問題が発生しました。(詳しくは、ここでは、語りませんが・・)おかげ様で、すぐに良い方向へ進みました。日本人もイタリア人も皆があまりにもやさしいので、何度も何度も涙しました。人間は、弱い・・にもかかわらず、愛は強い!と、納得しました。お礼の言葉を捜しましたが、*ありがとう*以外の言葉を見つけられません。
Tomoko

私は旅行が好きで色んな所に行きます。
なぜなら、歴史・文化・どちらかというと分化・風土(食、飲み物、アルコール、習慣)に興味があるからです。
行くと なぜか、どうしてか分からないけど いっぱい いっぱいもらえてしますう。
それは、お金、スーツケースに入るものではなくて。

Episode 1
2~3年前 福島原発地震 3,11
そのよく月私はタイ、バンコクに
今回 宿は知人の紹介でアパートに決まっていた。
その道のりの話
電車の駅からタクシーで10分ぐらいだったかなあ
行き先をつげ2,3ことタイ語と英語で
彼「あなたは何人ですか?」
私「日本人です」
彼「日本、福島、大丈夫ですか?
それとあなたの家、町は大丈夫ですか?
私「日本は細く長い島なので西と東ではぜんぜんちがうです、私の住んでいる所は西の方なので大丈夫です」
それから2,3分しゃべって
彼は最後に英語で
I am so sorry

今回、イタリア旅行もいっぱいいっぱい飛行機につめないぐらいもって帰りました
マウリツィオさん ブルネラさん
共同体の皆さん
ニコラさん、フランカさん
本当にお世話になりました   Grazie mille    
Shigeki

Grazie Mille! Taka mama
私は今回での旅でこの言葉を何度言ったことでしょう。感謝を伝える言葉が言えず・・・いつも、いつも。
3年ぶり2回目のイタリア旅行でした。前回はツアーでバス移動にへきえき・・・今回はホームステイというプラン!普通の家庭を見れる! 魅力的な体験。
私がお世話になったブルーノ家はまるで親戚の家?! とても気さくに接してくれて、本当に嬉しかった。
旅の拠点となったアスコリ・ピチェーノは素敵な町。一日一人でお散歩したかった!
アッシジを始め、古くすばらしい教会、圧巻!!(migliore
日本では見たことのない海の色、Bellissimo
チーズ・ワイン工場、Buono
どれも思い出深く、選ぶことができません。
マウリツィオ先生、ブルネラ先生、共同体の方々の愛がいっぱい詰まった旅でした。本当に有難うございました。ツアーのメンバーの方々にも助けられ、とても楽しい旅ができました。
また、ご一緒出来たら嬉しいです。最後に Grazie mille!!
Takako

Cari tutti
Molte grazie a Maurizio e Brunella e ai vostri amici per tutto quello che avete fatto per me durante il mio soggiorno ad Ascoli Piceno.Adoro questa città.Mi sono sentita come a casa mia e ho passato dei giorni meravigliosi con voi!
Gli italiani mi piacciono molto. Questo viaggio da sogno resterà per me uno splendido ricordo.
Molte grazie per la vostra cortese ospitalità
Masako


生まれて初めてイタリアへ。夢がやっと実現して、興奮状態がずっと続き子供の様に、はしゃいだ自分がいました。イタリアの歴史、文化、芸術、宗教全て世界の中心であったその時代の遺産を大事に守り、その中にローマ市庁舎があるように、店舗等、それにすっぽり埋もれて、古い時代と新しい今の時代を調和させている、日本にない姿を見たような気がしました。そしてイタリアは、現在も、芸術、ファッション、料理等も世界の中心にいることを実感して、更に大のイタリア好きになってしまいました。
初体験のホームステイ。イタリア語を始めて1年余り。どうなることかとドキドキしましたが、行ってみれば、娘のように可愛がって頂き、イタリアに、もうひとつ家族ができたような気持ちになる位、充実した時間を過ごせました。 
そういう環境を与えて下さったマウリィッツィオ先生・ブルネラさんの人脈・お人柄のお蔭で、どこでもは経験できない、数々の特別な体験をさせて頂きました。 
地元を知り尽くした先生達だからこそできる、レストランの選択ひとつをとっても、きめ細やかな心配り、温かいお気持ちで見守って頂けたからこそだと、関わって下さった全ての方々、先生ご家族、ホームステイ先のCarlo e Francaさん、共同体の皆様に、心から感謝を申し上げたい気持ちで一杯です!
共同体の方々お一人おひとりのお気持ちが温かく、心のこもったおもてなしをして頂き先生達を含め、そんな素晴らしい方々に見守られてのこんな旅行に参加できたことを、心から幸せに思います。有難うございました。              Hiroko.

back