(2015第8回)カンツォーネと陽光の国を行く −最終回−
【第5日目 12月11日(木)ローマ市内】
旅行会社のツァーに一人参加して乗り込んだ南イタリアへの旅も、明日には帰国の途に就く。実質的に旅行最後の夜をローマ市内で迎えようとしている。
ローマ市内散策へ
やっと食事が終わり、地上に出た。やはり何度か電話がかかっていたようで、「電話を下さい」というショートメールも2通届いている。急いで電話をかけるが、今度は相手が出ない。そうこうしているうちに宿泊場所のホテルに到着した。ロビーで「にわか合唱団」の面々と再会できて、ほっとした。
さて、これから夕食までの間に束の間の市内散策することになっている。メンバーは、昨夜の6人。私たちのホテルは市内中心部にあって、少し時間はかかるものの、有名観光地のあれこれにも徒歩で行ける。まずはスペイン広場へ行ってみようということになり、ホテルを出た。
同行者は、皆さん、多分私よりも年上。その人たちの足取りの軽いこと。私なんかついて歩くのがやっとである。
この旅の間、何度も「あなたはお若いからうらやましい」と言われた。職場などで最年長になることが多いこの頃、久々に聞く言葉である。その「お若い」はずの私が、皆さんに後れないよう、必死こいて歩かねばならない。
「ローマではスリ、カッパライに気をつけるように」とガイドブックなどに必ず書かれているものだから、財布やデジカメの入ったウェストポーチを片手で固く押さえて歩く。「そないしてたら、ここに貴重品があるいうて教えてはるようなものですがな」と藤井さんに笑いながら言われた。いやあ、ごもっとも。
スペイン広場
映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘプバーン扮する王女がジェラートをなめながら階段を歩いたスペイン広場。
私も、この旅に出る前にレンタルビデオ店で、この名画を借りて観てきた。
現在、この広場が工事中ということは、旅行会社から渡された注意書きを読んで分かっていた。それでも是非、この広場の前に立って、オードリーが歩いた階段を見てみたい。この思いは、同行者の皆さん全員共通だったらしく、藤井さんか「スペイン広場、行ってみまひょか」と言ったとき、異論は全く出なかった。
地図を頼りに、クリスマスの飾りつけがきれいな街を20分以上歩き、その広場に到着。
工事中にもかかわらず、人、人、人。やはり名画の威力だ。
ちなみに「ローマの休日」が公開されたのは、1953年。私が生まれる前年である。現在の日本の若者は「オードリー」と言えば、若林と春日のお笑いコンビのことと思うのが普通なのだそうだ。
トレビの泉で真っ青に
次に向かったのは、トレビの泉。やはり、ローマに来たからには、ここへ行かなくては、という大観光地だ。地図で見ると、スペイン広場からさほど遠くはなさそうである。
とにかく人通りが多い。人込みをかき分けながら、藤井さんたちとはぐれないよう懸命に歩く。
トレビの泉は、ものすごい人だかりだった。泉の周りを何重にも観光客が取り巻いている。「コインを投げ込む時は後ろ向きになって、左肩の上から」ということも聞いてはいたのだが、この混雑ぶりでは、泉の傍らの近づくことさえ一苦労である。
と、ここで騒ぎが起こった。複数の警察官が男を捕まえようとしてもみ合いになり、怒号が飛び交う中、人々が右往左往する大混乱になったのだ。そして、私は、藤井さんたち同行者の皆さんを見失った。正直、頭の中が真っ白になった。とてもではないが、自分一人ではホテルに帰る自信がない。恥ずかしながら、ホテル名もメモしていなかったし、地図も持参していなかったからだ。ローマで迷子、いや迷いオジサンになったのか?困った!
あちこちキョロキョロしていたら、旅行会社のワッペンを帽子に着けた人が目に入った。同行者の一人、横田さんだ。よかった〜!
そんな次第で、コインを泉に投げ込む余裕もなく、トレビの泉を後にした。
民謡レストラン1
ホテルに帰って一憩の後、タクシー2台に乗り合わせて民謡レストランへと向かう。「にわか合唱団」メンバーの女性が観光案内所で探して、予約も入れてくれていたものだ。
お店は、ごく普通のレストランにギターなどの楽器を抱えたマリアッチのような楽団が常駐し、客のリクエストに応えて歌い、また客が希望すれば客が歌って楽団が伴奏するという形。
夕食が遅い国にしては早い時間帯に入店したためか、まだ客はまばらで、私たちのほかには、家族連れが1組いるだけだった。
欧州のレストランはどこでもそうだが、店内は、ろうそくの明かりに申し訳程度の電灯が点いている程度で、暗い。メニューを開いて文字を見るにも少々ヨイショが要る。ともあれ、料理とお酒を注文して、さあカンツォーネだ!
70歳代かと思われる楽団のオジサンがギターを弾きながらます一曲。年齢を感じさせない声量であり美声だ。そして、藤井さんが早速「オーソレミオ」をリクエストして、全員で歌う。これぞイタリア!楽しい。来てよかった!
お酒が回ってきた私も、持参の楽譜をオジサンに渡して「OKか?」と聞くと、オジサンは「心得た」とばかりに胸を張った。
曲目は「海に来たれ(Vieni Sul Mar)」。中学生の時に「世界音楽めぐり」を定期購読して、すっかり魅せられ、意味も分からないままイタリア語の歌詞を覚えたナポリ民謡である。本当にイタリアで歌うことになるとは夢にも思わず、日本から楽譜をコピーしてきたのだが、持ってきて大正解!
オジサンのギター伴奏に合わせて歌う。「デティ デスタ ファンチュラ ラ ルナ♪」思い切り声を出して歌った!
旅が好き、そして音楽が好きな者にとっては、至福のひとときである。いや、聞かされる皆様には迷惑だったかも知れないが。(汗)
ナポリ民謡「海に来たれ(Vieni Sul Mar)」は、是非、皆様にも聞いていただきたい。
(ユー・チューブへのリンクはこちら)
民謡レストラン2
歌い終わって拍手が沸く。そして、リクエストした曲が終わると、オジサンにチップを渡す。チップについては、藤井さんが仕切ってくれたので有難かった。
お客さんもだんだん増えてきて、賑やかになってきた。いつの間にか、楽団に女性歌手も加わって美声を披露。客も手拍子で盛り上げる。
音楽と料理を堪能し、上気したまま店外に出た。タクシーを待っていると若い女性2人連れが花束を抱えて近づいてきた。プレゼントかと思ったら、たどたどしい英語で「お花を買って下さい」と言う。ボスニアからの手稼ぎ女性たちだった。
私たちは、明日、帰国だ。持って帰るわけにはいかないし、人道援助と思って買ってあげてもよかったが、高く吹っ掛けられても困るので、値段を聞かずに断った。
ただ、民謡レストラン内部の盛り上がりから一転、厳しい現実を目の当たりにした。
【第7・8日目 12月13日(土)〜14日(日)ローマからフランクフルト経由関空へ】
早朝の帰国
南イタリアの旅も全旅程を終えて、今日は朝から帰国の途に就く。
早朝6:30にホテルを出るというので、昨夜は荷造りに追われたりして寝不足である。
左足がかゆい。それもかなりかゆい。トイレで見てみると、蕁麻疹が出ていた。鏡を見ると、左目の瞼が腫れていた。私の場合、ストレスが続いた時などに、こういうアレルギーが現れる。
海外に出ると、パスポートなど貴重品の管理や安全の問題など、日本にいるときとは違ったことに神経を使わなくてはならない。ホテルのベッドでは、自宅の畳の上とは違って、やはり熟睡はできない。ツァー一人参加なので、身の回りのことは何もかも自分でしなければならないし。こうしたことがストレスになって、蓄積していたのだろうか。
この旅では、十分楽しい日々を過ごしたのだが、やはり身体は正直である。
早朝のローマ市内をレオナルド・ダ・ヴィンチ空港へと向かう。まだ周りは真っ暗である。これからフランクフルト経由で関空まで飛ぶ。
ローマの町の明かりが車窓に流れていく。長いようで短かったこの旅。
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退職後は、旅を楽しみながらのんびり、というのが私の夢だった。
人生、なかなか思い通りにいかないもので、2015年7月に父が逝去して以来、母にますます手がかかるようになっている。そして、私自身も、長距離のフライトなどを負担に感じるようになってきた。もう遠くへの旅、長期間の旅は、ほどほどにしたい、という気持ちも芽生えてきている。
だが、帰国してテレビの旅番組を見たり、旅行パンフレットを手に取ったりしているうちに、また旅心がうずいてくる。今回は南だけだったが、北イタリアにもいつかまた、とか。
そんな思いを胸に感じながら、南欧の地を後にする。歴史を感じさせる街並み、花に飾られた家々、そして明るくフレンドリーな人々。機会があれば、また会いたい。ありがとう、さようなら。グラッツィエ・ミーレ、アリヴェデールチ、悠久の歴史の国!
カンツォーネと陽光の国を行く −完−
(2016/05/29)