(2015第7回)カンツォーネと陽光の国を行く −第7回−
【第5日目 12月11日(木)アマルフィ〜ナポリ〜ローマ】
カンツォーネの国で「にわか合唱団」を編成し、「オーソレミオ」をバス車中で歌った後、ナポリからローマと向かう。南イタリアへの旅も、終盤が近づいてきた。
ナポリという町
バスは、ナポリの街中に入ってきた。聞いていたとおり、渋滞が多く、建物と建物の間には洗濯物が目につく。
数々の歌にも歌われ、讃えられてきたこの街なのだが、ここには「カモッラ」というヤクザ組織がある。カモッラは、シチリア発祥のマフィアとも並び称されるほどの存在である。麻薬、賭博、売春など、裏の世界で暗躍する彼らがゴミ回収処理業を牛耳っているため、2008年にはゴミ焼却施設の建設を巡る対立から、ゴミ回収が行われずナポリの市街地がゴミの山になったこともある。
そういう町だからかどうかは分からないが、私たちのツァーでは、ナポリでは下車観光はせず、バスの車窓から街中を眺めるだけということになっている。
なお、ナポリは、鹿児島市と姉妹都市になっている。桜島とヴェスヴィオという火山を仰ぎ見る町同士というご縁である。鹿児島の「ナポリ通り」は堂々たる大通りだが、ナポリの「カゴシマ通り」は、目立たない坂道なのだそうだ。
「やめとき」
ナポリの町を走り抜けて、この旅の出発地であるローマへと向かう。今夜は、ローマ泊である。
眠い。バスの中で景色を見ずに夢を見ていた。もったいない話ではある。
約230kmの道のりなので、途中でトイレ休憩。
大体、こういうツァーでは、日本で言えば「道の駅」のようなバス駐車場とトイレが整った土産物店に寄るものだが、ここもそうだ。イタリアは、比較的、無料トイレが多いので、いちいちコインを用意する必要がなくて助かる。
そのイタリア版道の駅で、土産物を物色する。日本語で「溶けないチョコレート」と表示されたチョコがあったので、何箱か買い物籠に入れた。
すると、後ろから「やめとき。高いわ」と、女性の声が。川野さんだった。
まあ、確かに円に換算すると1枚千円近い。にしても、この川野さんという人、なぜ私が何かしようとしたら口を挟む?しかも命令口調で。
親切心のつもりかも知れないが、「わたしゃ、あなたの弟でも息子でもおまへんで」と心の中で思いつつ、チョコを棚に返した。
イタリア語−3−
イタリア語の数字「85」は、日本では、うっかり発音しない方がよいかも。
5はイタリア語で cinque チンクエ
ずっと飛んで、
60は sessanta セッサンタ
70は settanta セッタンタ
80は ottanta オッタンタ
従って「85」は「オッタンタ・チンクエ」となる。
ついでに言えば、イタリア人に「カツオを食べに行こう」と誘う時は気を付けたほうがよい。
イタリア語でcazzo カッツォは、男性の、、、あっ、これ以上書くとセクハラと言われる可能性あり。
だから、自分で「イタリア語 カツオ」をキーワードに検索してほしい。(汗)
サザエさんの弟「磯野カツオ」は「io sono cazzo(イォソノ カッツォ)」と聞こえるらしい。「io sono」は、英語の「I am」なので、「io sono cazzo」は「私は○○○」ということになるのだそうだ。
【第6日目 12月12日(金)ローマ〜チビタバニョレージオ〜ローマ市内観光】
自由行動とオプショナルツアー
あ、余計なウンチクで脱線してしまった。失礼!話を旅行記に戻そう。
この旅も終盤である。旅行6日目は、ローマで終日自由行動ということになっていて、希望者は有料でチビタバニョーレッジオ半日観光に行くことも出来る。私は、この半日観光オプショナルツアーを選んで、ローマ市内観光は午後だけにした。
実は、これについては、出発前に随分悩んだ。せっかくローマまで行くのに、バチカンやコロッセオに寄らないのは、いかにももったいない。でも、重症方向音痴の私が一人で、スリ、カッパライがうじゃうじゃいると聞くローマの町を散策することは避けたい。
ネットで検索して、ローマ市内で日本語観光案内をしている旅行社を探したりもしたが、あれこれ申し込み手続きを読んでいるうちに面倒くさくなった。結局、今回参加しているツァーのオプショナルで半日、残りの半日は成り行き任せで、この日を過ごすことにしたのである。
そして、その結果は大正解だった。
他の参加者は、「自由行動」をどう過ごすか尋ねたところ、神野さん母子は、タクシーで市内各地を観光するという。他の女性たちも、同行者同士で地下鉄などを使って市内を回るそうだ。失礼ながら、どなたも、イタリア語はもとより英語もほとんど話せない。どうにかなる、という腹積もりらしい。日本女性は度胸がある。
半日自由行動の行き先を藤井さんはじめ実年男性3人と相談していたら、女性3人のグループが
「あの、よろしかったら私たちもついて行かせてもらえませんか?行き先はどこでもいいです。女性だけで回るのは不安ですから」
という申し出てきた。
なんだ、やっぱり不安な人の方が多いんだ、と納得。
チビタバニョレージオ
天空の村
ローマのホテルを出て北へと向かう。2時間ほどの距離だ。
目的地のチビタバニョレージオ(Civita di Bagnoregio)は、映画「天空の城ラピュタ」のモデルになったとされている村である。同行者の中には「ここへ行きたくて、このツァーに参加したんです」という人もいて、イタリア通にはよく知られた土地である。
と言っても、私は、この旅に出るまでは、この村の地名さえ知らなかったのだが。
車窓から、のどかな田園風景が見える。チビタバニョレージオもそうだが、小高い丘の上に人家が密集している所が目につく。これは、かつてマラリアなどの伝染病が猛威をふるった時代に「低地は湿度が高いので感染の危険性が高い」として、標高の高い土地に人家が集まったからだそうだ。
なお、チビタ(Civita)は、ラテン語由来のイタリア語で「町」という意味。だから、イタリアには、「チビタ」を冠する地名は少なくない。「おそ松くん」に出てくる、おでんが好きな悪ガキのことではない。
300mの坂道
田舎道を延々と走ってチビタバニョレージオの近くに着いた。道路がさらに狭くなるので、大型バスからマイクロバスに乗り換えて天空の村が見える場所まで行く。
着いた。展望台からの光景は、まさに「天空の城ラピュタ」である。丘の上に建つ城郭だ。しかしこれはアニメではない。地球上に存在する現実の土地だ。「おお!」という声が沸く。壮観。よくぞこのオプショナルツアーに参加した。
だが、村に通じる道は1本しかない。約300mのかなり傾斜がきつい橋梁だ。あれを歩くのか、と思うとちょっとひいてしまった。
死にゆく村
せっせとそのスロープを歩いて城郭のような村にたどり着いた。
石造りの重々しい門をくぐると花で飾られた建物が並んでいる。元領主の居宅。教会。中世の町にタイムスリップしたかのような不思議な景色である。一部はレストランや土産物店に改装されているが、私たちの訪問時は、観光客が少なく、至って静か。
この村の人口は、わずか8人。昼間人口は土産物店の店員などがいるので25名ほどになるという。常住者は、この地を選んで移り住んだ芸術家などもいると聞いた。この村全体が、元は要塞だったという。なるほど、言われてみれば納得。そして、かつては賑わっていたところ、度重なる地震で周囲が崩れ、現在のチビタだけが残った。しかし、その地盤は、粘土質で刻々風化が進んでいて、別名 「死にゆく村」 とも呼ばれているそうだ。
人より猫が多い?
そんな小さな集落に、なんと猫の多いこと。みんな人懐こくて近寄っても平然としている。
猫好きの川野さんが、そんな猫の頭を撫ぜながら「ここの子は、みんな幸せやわあ。大阪の野良猫は、虐待されて可哀想やのに」と言う。
その川野さんは、地元の人に「こんにちは」と平気で日本語で挨拶。なぜか通じてしまうところがすごい。
元ブラジル駐在員の藤井さんは、お得意のポルトガル語でイタリア人と会話している。こちらも通じて、村のお年寄りに年齢を尋ねたりしている。イタリア人はフレンドリーな人が多くて、あまり人見知りしないようだ。
そんな人たちに可愛がられるから、猫まで人懐こいのか、と思ったりする。
この村は、この旅で、最も印象に残るスポットになった。
遅い昼食にイライラ
「天空の村」チビタバニョレージオに満足してローマへと引き返す。昼食をとった後は解散して自由行動だ。
のどかな風景から郊外、郊外から都市部へと進む。だんだん自動車が増えて往来が頻繁になってくる。そして、ローマの街中に入る。
この町で目につくことは、小型車が多いことと路上駐車がやたら多いこと。日本でも時折見かける2人乗りの小型車が人気車種なのか、あちこちでよく見かける。そして、道路の両側に路駐。2重駐車している所も珍しくない。
そんな道路事情の中、私たちのバスは、レストランへの経路を間違えたようで、食事時間がすっかり遅くなった。既に午後2時が近い。そこへもって、レストランの食事のサーブがいたってスロー。
実は、私は、昨夕、藤井さんたち「にわか合唱団」の面々プラスアルファで、今夜は民謡レストランへ行くことにしていた。
そのレストランの予約が取れたかどうか、「にわか合唱団」の女性から私の携帯電話に連絡が入ることになっていた。レストランが地下ににあるので、携帯電話の電波が届かない。早く地上に出たいのに、超スローなイタリア的サービス。やはりイライラが募る。
南イタリアへの旅の記録、次回は、いよいよ最終回。大勢の観光客でごったがえすローマ市内で、方向音痴の私が同行の皆さんを見失って・・・。
最後までお付き合いいただければ幸いである。
−続く−
(2016/05/22)