(2015第6回)カンツォーネと陽光の国を行く −第6回−
【第4日目 12月10日(水)マテーラ〜ソレント】
カンツォーネの国への旅4日目は、世界遺産の町を巡り、「帰れソレントへ」で知られたソレントに向かっている。
イタリアのトイレ
マテーラを出て、これからソレントに向かう。273kmの距離があって、今日はもう観光はなく、移動だけになる。
バス車窓から見える南イタリアの風景は、山が多く緑が深いためか、日本の四国や山陰地方に通じるものがある。坂道を走る時など、周りが島根県津和野あたりの雰囲気によく似ていると感じた。
途中でドライブインにより、トイレ休憩をとる。なぜかイタリアでは、男性用トイレも個室1室だけ、という所が多く、男女ともトイレの前に行列が出来る。
イタリアのトイレについては、前にアサガオ型の便器が高い位置にあることを書いたが、あれなど横一列に何台か並んでいるから、個室よりもずっとマシである。日本の便利さに慣れた者からすれば、なぜ、こんな不便なことをするのか、と文句のひとつも出ようというものである。
ブヅブツ言っていたら、元ブラジル駐在員の藤井さんが
「西洋の男は、あまりトイレに行かんらしいで。朝トイレ行ったらお昼まで平気なんやて。せやからこんなトイレになってるらしいわ」
もしそうなら、西洋男は、日本男児に比べてボウコウの貯蔵容量が大きいということか。
私なんか、歳のせいか、この頃どうもトイレが近い。こんな風にトイレの前で待たされるのはボウコウ罪、てぇのは言い過ぎか。(汗)
車中のクイズ
バスに戻ると、車中で添乗員の山田さんがクイズを出題するという。
「日本、ドイツ、イタリアの兵士が連合軍の捕虜になって拷問を受けました。両手を椅子に縛り付けられて厳しく尋問されます。さて、最後まで口を割らなかったのは、どの国の兵士だったでしょうか?」
「日本男児は拷問になど屈しない。だから日本兵?いえいえ、違います。正解はイタリア兵。イタリア男は、よくしゃべるって聞くけどって?はい、そういう風に言われますが、彼らは、しゃべるときのジェスチャーが大きいのです。欧米人でも、特に身振り手振りが大きいので、イタリア人はすぐに分かる、と言われているほどです。そんなイタリア人のことですから、手足を縛りつけられたら、しゃべることも出来なくなる、というジョークです。」
なかなか面白いクイズだと思った。
それはそうと、すぐ後ろの座席で「車酔いで気分が悪い」という声が聞こえた。誰かと思って振り返ると川野さんだった。頼むからゲロはしないで!
日常の風景
私たちのバスが向かっているソレントは、歌曲「帰れソレントへ」で知られる町。(「帰れソレントへ」のユー・チューブへのリンクはこちら)
この有名な曲は「ナポリ民謡」として紹介されることがあるが、民衆の中から生まれ歌い継がれてきた曲ではなく、1902年に当時のソレント市長が首相の来訪を歓迎するために作詞・作曲家に依頼して作ったものである。
そのソレントに近づくと渋滞が始まった。もう日が暮れて、家々には電灯が灯っている。バスの車窓からは、いやでも、沿道の家の内部が見えて、庶民の営みが照らし出される。民家、商店、理髪店。クリスマスが近いので、飾りつけをしている家が多い。信仰心が厚いのだろう。一日の仕事が終わり、テレビを見ながらのんびりしている人たち。日本と何ら変わらない、日々の風景がそこにある。イタリア人も日本人も、同じように毎日を送っている、という当たり前のことを改めて実感した。
今夜は、この街で1泊する。
【第5日目 12月11日(木)ソレント〜アマルフィ〜ナポリ〜ローマ】
アマルフィへ
南イタリア旅行5日目の今日、最初の目的地は、この旅のハイライト、アマルフィ海岸。「世界一美しい海岸」と言われる景勝地である。
ギリシャ神話の神、ヘラクレスが、仲睦まじく暮らしていた女神ニュンペーが死んだ時、それを嘆いて「この世でもっとも美しい土地」に彼女を葬った、とされる場所なのだ。1997年には、ユネスコの世界文化遺産にも登録されている。
道路が狭いので、バスは小型2台になる。旅行前に調べたところでは、「アマルフィではバスは右側の座席が絶対にお勧め」ということだった。しかし、乗車時にもたもたしているうちに、右座席が埋まってしまい、やむなく左側、しかも通路側に着席した。隣席は昨日、昼食の時に同じテーブルだった神戸市の永田さんだ。
海沿いの断崖に彫刻刀で線を引いたかのような道をバスで行く。ここには、ソレント半島に約30kmにわたって海岸線が続き、カラフルな家々が斜面に張り付くように建ち並ぶ。崖の下に広がる地中海はあくまでも青く、明るい陽光に満ちている。
道幅は確かに狭い。しかも、その狭い道路に路上駐車が多いこと。レモンの段々畑が続く中をくねくねと走っていく。
急斜面の輸送手段
「四国の佐田岬半島に似てますね」と永田さん。そのとおりである。レモンが温州ミカンに変わるだけで、とてもよく似ている。
でも、なぜ神戸の永田さんが佐田岬半島を知っている?と不思議に思ったら、彼は釣具店の経営者。趣味を仕事にするために脱サラし、松山市にも支店を持っていて、釣竿を乗せてしょっちゅう佐田岬方面に足を運んでいるのだそうだ。
にしても、すごい急斜面だ。収穫したレモンを担いで移動するのは、大変だろう。今は軽トラックでも使うのだろうが、昔はもっぱらロバが使われていたらしい。数こそ減ったものの、今でも現役で使われているらしく、ロバが1頭、つながれているのも見られた。
「トイレはどうすんのやろ。その辺に撒くんやろか?」と川野さん。確かに下水道など完備しているようには見えない。本当にどうするのだろうか。
絶景が続く。このあたり、是非、遠景から撮影した写真を見てほしいので、他のサイトをリンクさせていただこう。
エメラルドの洞窟
そのアマルフィ海岸でも、写真撮影スポットとして知られる「ポジターノの丘」で停車してひとしきり記念撮影をした後、「エメラルドの洞窟」に向かう。
南イタリアでは「青の洞窟」が有名だが、カプリ島という島にある「青」と違って「エメラルド」の方は、バスの通る道路脇から直接エレベーターで入口付近へ降りていける。この洞窟は、「アマルフィの宝石」と呼ばれ、「青」よりも100年ほど後の1932年、地元の漁民によって発見されたものである。
エレベーターで海べりまで降り、洞窟の入り口をくぐると小さなボートが何艙か係留されていた。これに分乗して洞窟内部を周遊するわけである。
やがて水面が輝き始める。洞窟内の海水は、外海とつながっていて、水面下から光が差し込み、エメラルド色に水面が輝くのである。
船頭がオールで水面をかき混ぜたり海水を跳ね上げたりすると、エメラルド色が躍る。私たち一行から「わぁ!」という声が上がる。
きれいだ。しかし、私は、ボートの中ほど、3人掛け椅子の真ん中という見えにくい場所に座っているので、周りの人に視界を遮られて、この「光の芸術」が見えにくい。やむを得ず立ち上がって何枚か写真を撮影した。
「青の洞窟」でもそうらしいが、ボートを降りるとき、船頭にチップを渡すことが慣習になっているという。だが、十分鑑賞できなかった私は、知らん顔をして下船した。
アマルフィ
さて、30kmにわたって美しく続く「アマルフィ海岸」の中心の町がアマルフィである。人口5,200人の小さい町ながら、南イタリアを代表するリゾート都市として有名になった。私たちも、ここでバスを降りて自由散策し、昼食もここでとる。
町の中心は「ドゥオモ」つまり大聖堂である。私も、まずここを目指した。
町の規模は小さい。大きなレモンや土産物を並べている商店などを横目にしながら歩けば、すぐに行き止まりになる。海岸の方にも出てみた。明るい。陽光がこれでもか、というほど降り注いでいる。山に目をやれば、斜面を埋め尽くすように家々が並ぶ。リゾート気分満杯である。
昼食の時、添乗員の山田さんが、この旅行会社のパンフに「人気添乗員」として紹介されていることを知った。なるほど、彼女の案内ぶり、アシストぶりは、要点をきちんと押さえていて気配りもよく行き届き、なかなかのものである。今まで何度もツァーに参加し、いろいろな添乗員さんを見てきたが、その中でも山田さんは、ピカイチだと感じる。
にわか合唱団斉唱
アマルフィを後にして、ナポリへ向かう。約73kmの道のりである。「ナポリを見て死ね」と言われ「世界三大夜景」のひとつに数えられるナポリ。この有名な町について、多くは説明する必要はないだろう。
さて、そのナポリが近づいたところで、いよいよ「にわか合唱団」のデビューである。曲目は「オーソレミオ」。藤井さんが添乗員の山田さんと交渉して、合唱団員男女4人がバスの前方座席に座り、マイクを握る。移動中のバス車中で歌うのだ。歌詞カードは、藤井さん手書きのカタカナ書きイタリア語である。(オーソレミオのユーチューブへのリンクは、こちら)
ケ ベッラ コーザ ウナ ジォルナータ ディ ソーレ ウナリア セレーナ ドーポ ウナ テンペスタ ペルラーリア フレースカ パレ ジャ ウナ フェスタ ケ ベッラ コーザ ウナ ジォルナータ ディ ソレ |
どうにか歌い切った。バスの中に拍手が沸く。大満足!
私なんか、お他人様にお聞かせできるレベルには程遠いながら、歌うのは大好き。しかも本場のナポリでこの曲を歌えるとは、望外の幸である。
藤井さんには大感謝。下手な歌に付き合ってくれた女性合唱団員お二方にも感謝である。
この旅も終盤に差し掛かってきた。明日は、映画「天空の城ラピュタ」のモデルになったと言われる村を訪れる。息を呑むような風景にご期待!
−続く−
(2016/05/15)