(2015第5回)カンツォーネと陽光の国を行く −第5回−
【第3日目 12月9日(水)アルベロベッロ〜ロコロトンド〜オストゥーニなど】
南イタリアの旅3日目の今日は、世界遺産の町巡り。この頃、日本でも旅番組などで紹介されることが増えてきた町々である。
にわか合唱団編成
トイレ休憩の時に、年配の男性に声を掛けられた。大阪近郊から一人参加されている藤井さんである。現役時代にブラジル勤務の経験があり、ポルトガル語が堪能。同じラテン系言語だから、ということでイタリアでもポルトガル語で現地に人の話し掛け、それが結構よく通じている。
「私、オーソレミオが大好きですねん。出発前にネットで調べてイタリア語の歌詞をメモしてきました。どうです?バスの中で一緒に歌いまへんか?女性にも2人OKもろうてますし、添乗員さんにも頼んどいたから大丈夫です」
藤井さんは、私が同じ一人参加だし、片言のイタリア語をあちこちで使っていることで親しみを感じてくれていたらしい。
実は、私も、このカンツォーネの本場に来たからには、気分だけでも味わいたいと思い、ナポリ民謡のイタリア語歌詞と楽譜をコピーして持参してきた。
下手な歌を披露することは躊躇するところだが、このイタリアの太陽の下で歌いたい、という気持ちは十分にある。一も二もなく「にわか合唱団」への参加を承諾した。恥知らずなオジサンである。
「ほな、よろしいな。あさって、ナポリの街中を走るときに、バスの中で歌いまっせ」
とカタカナによる手書きの「オーソレミオ」の歌詞を渡してくれた。
この後、「にわか合唱団」は、ナポリだけでなく、ローマでも民謡酒場でコーラスを披露することになる。
「お伽の国のような街」
さて、私たちのバスは、アルベロベッロへ引き返す。このツァーの目玉のひとつにもなっている「お伽の国のような街」である。
かわいい三角屋根の家が建ち並び、近年、観光地として大人気になっているこの町の名前「アルベロベッロ」は、「美しい木」という意味である。
「トゥルッリ」と呼ばれる三角屋根の家は、屋根の部分を石を積み上げて造るのだが、この石のどれかを引き抜けば、たちまち崩れるようになっているらしい。昔、領主が今でいう固定資産税を取り立てに来ると、すぐに家を崩して「ほれ、ここに家なんかありませんぜ」と言うためにこんな構造にしたのだとか。お伽話とは、かけ離れた現実的なお話ではある。
昼食も、このトゥルッリの内部を改造したレストランでとる。デザートが甘くてしかも量が多い。この国の人は、どうやら甘いものが大好きなようである。ダイエット継続中の私には目の毒、と言いながら、結局、全部お腹に納めた
アルベロベッロ散策
一旦、ホテルに寄って街中の散策に出る。
ずらっと三角屋根が並ぶ様子は壮観である。街中のほんの一画だけ撮影した観光用写真が、実際は近代都市の中のほんの一部だったりして、期待との落差にがっかりすることが多いものだが、ここはそんなことはない。正真正銘、三角屋根が連なっている。その数、約1,500軒だとか。
開拓農民たちによって16世紀の半ばから約100年間に建築されたトゥルッリは、今でも住居として使われているほか、観光客向けの土産物店として使われているものも多い。
その土産物店のいくつかを4人ほどのグループでハシゴする。川野さんも一緒だ。
リバーシブルの人形など、なかなか可愛い。買おうかな、と思って財布を出そうとすると、川野さんが「高いわ。出よう」。あっ、いや、別に貴女に指示される理由はないんだけどな、と心の中で思う。
アルベロベッロは、坂道の町である。トゥルッリの周りにプランターが置かれ、花がきれい。あちこちで写真を撮りまくりながら坂を登ったり降りたりしながら散策する。
それは良いのだが、寒い。今日は結構暖かいから、と思って、ホテルの部屋にダウンの上着を置いてきたのだ。これが間違いだった。午前中に回った2つの町に比べて、ここアルベロベッロは標高が高いのか、結構寒いのである。私は「上着を取りに帰ります」と言ってホテルへ引き返した。部屋の中に入ると、寒い屋外に出るのと坂道を歩くのとが面倒になって、そのまま夕食時間まで、部屋でゴロゴロしていた。
お伽の町の夕景
夕食の時に、川野さんが隣に座って話し掛けてきた。
「上着を取りに帰る、っていうから戻ってくるかと思うたら、戻って来んかったやないの」
すんまへん。けど、別に貴女に叱られるいわれはないと思うねんけど。
川野さんは、海外旅行は今年2回目。前回はポルトガルに行ってきたという。なかなかリッチな生活ぶりらしく、航空機はもっぱらビジネスクラスを利用するとのこと。
今回のルフトハンザ機の機内食には、かなりご不満の様子。ビジネスクラス2回目の私は、十分おいしいと感じたのだが。
その川野さんは、猫が好き。「お宅はペットを飼ってる?」と尋ねるので「私がペットです」と答えておいた。
町は、クリスマスのイルネーションが飾られていた。電飾がきれい。雪のマークがトゥルッリの周りに次々と映し出される仕掛けなどもあって、昼間とはまた違ったお伽の国の風景が楽しめた。
【第4日目 12月10日(水)アルベロベッロ〜マテーラ〜ソレント】
この旅も4日目。ちょうど折り返し点である。今日は、アルベロベッロから67kmほどの位置にある世界遺産「洞窟住居の町」マテーラを回って、ソレントへ向かう。午後は、ほぼ移動だけ、という日程だ。
スーツケース置き去り?
2泊したアルベロベッロのホテルを出発すべくバスに乗り込む。座席に座っていると、添乗員の山田さんがスーツケースを2つ、ガラガラと引き摺りながらバスの方に歩いてきている。そのうちの1個は見覚えのある・・・というか、私のスーツケースではないか。ホテルのロビーに置き去りにしたまま、バスに乗ってしまったのだ。
どうもいけない。もともとボーとしていたのがますますボーとして、こんなに大切なものを忘れてきたりする。山田さんが気付いてくれなかったら、この先、大変なことになっていた。女性に重い荷物を運ばせてしまい、山田さんには平謝りである。
「洞窟住居の町」
さて、これから向かう「洞窟住居の町」マテーラについて、ちょっと解説しておこう。
マテーラには、3千戸もの「サッシ」と呼ばれる洞窟住居が建ち並ぶ。
この地には、8世紀以降、人が居住し始めた。19世紀ごろまでは比較的快適な住環境であったようだが、人口の増加に伴ってもともと畜舎であった採光も水環境も良くない洞窟に、家畜と同居するようになったりして、衛生状態が悪化。乳児の死亡率が50%を超えるに至った。このため、政府がサッシの住民を強制的に移住させ、サッシ地区は廃墟となった。
しかし、その後、衛生管理システムが整備され、洞窟住居の文化的価値が見直されるようになり、1993年にはユネスコの世界文化遺産に指定された。
そして、現在、ホテルやレストラン、土産物店などの施設が整った観光地区になっており、サッシ全体の5分の1ほどが再利用されているという。
近代的な観光都市
のどかな南イタリアの田園を抜け、坂道を登ってマテーラに着いた。ちょっと驚いたのは、この町が、おしゃれなショッピング街を備えた近代都市・観光都市になっていることである。前述のような解説書の記述を読んで、観光地化はされていても、どこかうら寂れて近代化から取り残された集落のような街を想像していたのに。
サッシも、一見普通のコンクリート製の住居と変わりない。だが、これは入口に石を積んでおしゃれに見せているだけで、中身は洞窟そのものなのだという。
狭くてアップダウンの多い路地を歩いて、町全体が見渡せる広場に出た。ちょっと灰色がかったサッシがびっしりと並ぶさまは、壮観。町の一番高いところには教会の塔も見える。なかなかのものである。
サッシの内部
広場の近くに有料で内部を見学できるというサッシがあったので、1.5ユーロを払って入場してみた。
内部には、ベッドや台所などがコンパクトにまとまっていたが、ロバも1頭同居していた。このロバは作り物で本物ではなかったが、実際には生きたロバが人間と同居していたわけで、下水道なども整っていなかった時代には、どんな生活環境だったかと思う。
セクハラ・ウェイター?
今日の昼食は、マテーラのサッシ風レストランでとる。メインはオレキエッティというパスタである。オレッキオ=耳=の形に似ているのでこの名がついている。イタリアには、実に様々なパスタがあって、その形状も実にバリエーションに富んでおり、オレキエッティは、その中の一つである。
同じテーブルには、豊中市から来られた神野さん母子と神戸市から一人参加の男性、永田さん。
神野さんの娘さんは、20歳代前半。イタリア男が放っておくはずがない。やや頭髪の薄いウェイター氏が馴れ馴れしく彼女の肩に手を置いて、しきりに英語と片言の日本語で話し掛ける。
「日本から来たの?」
「旅行は楽しいかい?」
「料理はおいしいかい?」など。
イタリアで「おいしい」というサインは、人差し指を頬に当てたままクルクル回すこと。添乗員の山田さんからバス車中でそう習っていたので、神野嬢も、このサインで答える。すると、ウェイター氏は、嬉しそうに彼女の肩に手を回して、背中を叩く。神野母が隣に座っているのに良い度胸である。
「もう!なんだかんだと言って触りまくるんだから」
と口をとがらせる神野嬢。
とんだセクハラ・ウェイターだが、彼の態度が、あまりにも明るくてあっけらかんとしているので、言葉ほどは怒っていない様子である。
イタリア語同時通訳にしてエッセイストの田丸公美子さんは、その著書の中で何度も「イタリア男は女性を口説くことが礼儀だと思っている」と書いておられる。確かにイタリア男は、女性が大好きで手も早いのが多そうである。
南イタリアの旅、次回はソレントからアマルフィ海岸へと向かう。陽光のもと、快適にバスは走るが、またしてもこの国のトイレでは・・・。
そのお話は、次回に。
−続く−
(2016/05/08)