(2015第4回)カンツォーネと陽光の国を行く −第4回−
【第2日目 12月8日(火)ポンペイ〜アルベロベッロ】
ツァーに一人参加して出掛けた南イタリアへの旅。南欧の陽光に恵まれながら旅がスタートした。ポンペイを経て世界遺産の町を巡っていく。
イタリアについて
ポンペイを後にして、バスは南へ。アルベロベッロへ向かう。長靴型のイタリアの土踏まず、かかとに近い場所にある世界遺産である。距離にして340kmもあるので、今日は、もう移動だけになる。昼食時にビールを少々飲んだこともあって、バス車中で爆睡してしまい、気付いた時は、アルベロベッロ特有のとんがり屋根の家々が目に入ってきた。
ここで少しだけイタリアについて触れておこう。
イタリア共和国は、面積301,230km2、人口約6千万人。面積は日本の5分4ほど、人口は約半分である。
言うまでもなく、ローマ帝国に象徴される文明と文化を誇り、中世にはルネサンスが花開き、ダ・ヴィンチ、ガリレオ、ミケランジェロなど数多くの学者、芸術家を輩出した。また、マルコ・ポーロ、コロンブス、ヴェスプッチなど、世界史に名を残す探検家たちを生み、大航海時代を先導した。
11世紀以降、多数の都市国家が成立し繁栄したが、中世後半以降は多くの小国に分立し衰退に入り、イタリア王国として統一が実現したのは19世紀のことである。1946年に共和制に移行して現在に至っている。
国旗は、緑、白、赤の三色旗。緑は美しい国土、白はアルプスの雪と正義・平和、赤は愛国の熱血を象徴している。
私たちが高校生くらいの頃は、イタリアと言えば西欧諸国の中では、経済的にやや厳しい国、という印象があったのだが、現在は工業化が進んだ先進国、ユーロ圏で第3位、世界でも第8位の経済大国である。(2014年IMF統計による)
そんなイタリアでも、私たちが旅をする南部は、どちらかと言えば農業が中心。工業都市の多い北部に比べ、経済的には厳しく人口流出が問題になりがちな地域、しかしながら、牧歌的なムードを色濃く残し、素朴なイタリアのたたずまいを味わえる地域である。
【第3日目 12月9日(水)アルベロベッロ〜ロコロトンド〜オストゥーニなど】
ボロホテル?
イタリア3日目の朝は、アルベロベッロのホテルで目覚めた。昨夜は、訳が分からない間違い電話が携帯にかかってきて起こされたりして、またも熟睡できなかった。おまけにモーニングコールも鳴らなかった。
朝食はビュッフェ形式。宿泊客の人数を考えていないのか、ヨーグルトなどすぐに品切れ状態になるし、コーヒーサーバーは調子が悪い。
このホテルに今夜も泊まる。連泊は楽だが、サービスレベルの低いホテルに2泊するのは面白くない。
文句たらたらで部屋に帰り、枕元の電話をよくみたら、受話器がずれていた。こりゃモーニングコールが鳴らないはずだ。
イタリアの最も美しい村巡り
さて、今日は南イタリアの世界遺産3ヶ所を巡る。旅行会社の行程表には「イタリアの最も美しい村巡り」とある。
まず先に「白亜の丘上都市」ロコロトンドと「白い迷宮の街」オストゥーニを回った後、「お伽の国のような街」として人気が出ているアルベロベッロへ帰ってきて、街中を回ることになっている。
事前にネットで調べて、これらの街の写真を見てはいるが、やはり実物を見られるのは楽しみである。
イタリア語−1−
バスに乗る前に、ドライバーのアントニオ氏に挨拶。
「ブォンジョールノ」(おはよう)
彼も
「ブォンジョールノ」
と返してくれる。
そして、彼からミネラルウォーターを買う。1本1ユーロである。
「アックァナチュラーレ、ウーノ、ペルファボーレ」(ミネラルウォーターを1本下さい)
イタリア人男性にしては、大人しくて温和なアントニオ氏が、バスの冷蔵庫から1本取り出して、
「プレーゴ。グラッツィエ」(どうぞ。ありがとう)
と手渡してくれる。
イタリア語−2−
なんて書くと、少しばかりイタリア語が出来るかのようだが、実は、出発する前に10月からスタートしたNHK Eテレの「テレビでイタリア語」を見て、にわか勉強しただけ。私の世代には懐かしいデュオ「ヒデとロザンナ」のお二人の長女である万梨音さんがナビゲーターを務めている番組である。
イタリア語の読み方は、ほぼローマ字読みそのものなので、私のような覚えの悪いオジサンにも入っていきやすい。ローマ字の発祥の地の言語だからなのかも知れない。そして、単語の後ろから2つ目の音節を強く長く発音すると「イタリア語っぽく聞こえる」のだそうだ。
「アックァナチュラーレ、ウーノ、ペルファボーレ」
という感じに。
また、文法は同じラテン系言語であるフランス語と実によく似ている。この点、40年前に第2外国語として少しフランス語をかじった私には、楽だった。
いずれにしても、初めて訪れる国で、現地の人と少しでもコミュニケーションが取れることは、本当に嬉しい。これこそ海外旅行の楽しみ、と私は感じている。だから、訪問先の言語の挨拶言葉だけは必ず覚えていくことにしている。あっ、それと「ビールを下さい」の一言も。
「白亜の丘上都市」
さて、アントニオ氏の運転によるバスで、本日最初に向かうのは「白亜の丘上都市」ロコロトンド。アルベロベッロから僅か10kmの距離だ。「ロコロ・トンド」と読んでしまいそうだが、丸い(rotondo)場所(loco)という意味なので「ロコ・ロトンド」である。
丘の上に白い建物がマードレ教会を囲むように丸く立ち並ぶ。遠くから見ると、「宇宙基地のよう」とも言われる町である。(全景はこちらの外部リンクでご覧いただきたい)
なるほど、白い建物が多い。このあたりの地質は石灰岩質なのか、建物も石灰岩で出来ていて、青空のもと、白く輝いているようだ。
街中に入ると、そんな建物の間に昔ながらの狭い道。ここは歴史的市街区なのだ。どこまで歩いても、白、白、白。その白い建物には赤い花のプランター。クリスマスが近いので、町のあちこちに飾りつけやサンタクロースが見られる。カトリックの国であり、町の人々の信仰心の厚さが伺えた。
建物のテラスから猫が顔をのぞかせていた。一行から「かわいい!」という声が上がり、一斉にカメラを向ける。
苦手なタイプ
ロコロトンドの高台から、周囲を展望する。のどかな丘陵にトンガリ屋根や四角い形の白い建物が点在している。気持ちが良い風景だ。
観光協会の職員らしきオジサンが町の案内パンフレットを配ってくれる。そのオジサンがノートを開いて、ペンを指し示す。「訪問の記念にサインを」とのことのようだ。どうしようかと迷っていると、川野さんが寄ってきて「サインしてあげなさいよ」と言う。日本語で「高知市 ぽんど」とだけ記入した。川野さんは「大阪市○○区○○ 川野▽子」と記入。ここで川野さんのフルネームと大阪市内中心部に住んでいることが分かった。
猫好きで、毎朝、散歩しながら野良猫に餌をやっているという川野さんは、世話好きな良い人だということは分かるが、「○○すべき」とか「○○でなければ」という言い方が多くて、どうも私には苦手なタイプのように思える。なのに、同じくツァー一人参加ということで親しみを感じてくれているのか、何かと話し掛けてくるのである。
イタリアのドライバー
ところで、ここまで見た印象だが、「意外に」と言っては失礼ながら、イタリアのドライバーは割合にマナーが良い。歩道を渡るとき、ずっと停車して待っていてくれるし。日本では当たり前だが、これが当たり前ではない国の方が多いのである。
と思っていたら、決して広くない道のT字交差点近くに路上駐車している車があって、私たちの乗ったバスが右折できない。ドライバーのアントニオ氏が何度もバックしては前進を繰り返すが、どうしてもダメ。どうなることかと思っていたら、アントニオ氏は一旦ずっとバスをバックさせて、左折し、果敢にも一方通行の道路を逆走していった。
「白い迷宮の街」
「白亜の丘上都市」を後にして、次に向かうのは、「白い迷宮の街」オストゥーニ。イタリアを長靴だとすれば踵の位置にあり、ロコロトンドから24kmほどの距離である。
周囲は見渡す限りオリーブの畑。そのオリーブ畑の中、丘の上に白い建物が建ち並び白亜の要塞のように見える。
街中に入ると、まさに「迷宮都市」、そして坂道の町である。
白い建物の間に細い路地が入り組み、町全体が迷路のようになっている。外敵の侵入から町を守るために、わざとこんな構造にしたのだという。観光客として散策するにはよいが、生活するには不便な町ではないかと思う。
少し歩くと町の外れに出る。小さな町だ。丘の上に出来た町なので、眺望が良い。オリーブ畑の向こうに広がるのは、アドリア海である。あれこれ書くよりも、町の様子を写真でご覧いただきたい。画像をクリックすると拡大表示される。
いい気分になっていたら、川野さんが「あっ!その靴!」と言う。誰のことかと思ったら私のことだった。犬の落し物を踏んでいたのだ。石にこすりつけて落とそうとすると「あかんよ。草にこすりつけんと、きれいに落ちんわ」。野良猫に餌を与えているためか、よくご存知だ。
「イタリアの最も美しい村巡り」、まだまだ続くが、紙幅の関係で本日はこのあたりまで。次回以降も、是非、お付き合い願いたい。
−続く−
(2016/05/01)