(2015第1回)カンツォーネと陽光の国を行く −第1回−
地中海に面したブーツ型の国、イタリア。古くから文明の灯がともり、ローマ帝国が栄え、さらにルネサンスが花開いた国。
かつて天正遣欧使節団の4人の少年たちは、命懸けで大海原を渡り、日本発から3年の後に、この地でローマ法王への謁見を果たした。
「すべての道はローマに続く」という。このたび、その文明と繁栄の中心として輝いていた国、陽光と陽気な人々に彩られた国、イタリアへと足を運んできた。しばし、旅行記にお付き合い願えるなら幸いである。
(なお、文中の人物名は、すべて仮名です)
消去法の選択
あまり言いたくないが、ほんの少しコーラスを嗜んでいた。歌曲の好きな者にとって、イタリアは別格の国である。カンツォーネ、オペラなど、この国で生まれ親しまれているメロディーは数多い。
私自身も、中学生の頃、「世界音楽めぐり」を購読し、付録のレコードでこれらの歌曲に接して以来、魅せられた。そして、その意味も分からないまま、カタカナ書きによるイタリア語の歌詞を丸覚えした。
いつか行ってみたい。カンツォーネに歌われた明媚な土地をこの目で見てみたい。イタリアは、そんな国だった。聞くところによると、日本の女性が行ってみたい国の第一位は、イタリアだとか。
しかし、今回、旅先に南イタリアを選んだのは、消去法によるものだった。
もともと2015年には定年記念旅行として、8月に北欧・ノルウェーのフィヨルドやフィンランドの森と湖を訪ねるつもりで、旅行申込みも済ませていた。
ところが、7月上旬、父が入院後3日で急逝。四十九日法要などの関係でキャンセルせざるを得なかった。その後も、後始末に追われて、2007年以降、年1回は出掛けていた海外への旅は、この年は諦めるしかないか、と思っていた。
でも、行きたい。どこか行けないか、と思案しているうちに秋を迎えた。年内に行くとすれば、もう冬の旅しかない。ならば、南半球?いや、やはり欧州に行きたい。でも寒いのは嫌だ。スペインかイタリアか?と、絞り込み、やはりカンツォーネのふるさとに行こう、それも、なるべく南の暖かそうなところを、ということで、イタリア国内でも、ベネチア、フィレンツェなどメジャーな観光地が多い北部ではなく、南イタリアを行き先に選んだ、という次第である。
愛読書
ところで、イタリアのことは何も知らない私だが、田丸公美子さんのご著書は、ずっと愛読している。ご承知のとおり田丸さんは、イタリア語同時通訳として高名な方であり、エッセイストとしても活躍されている。「シモネッタ・ドッジ」なる変名?を自称されていて、シモネタの大家とお呼びしてもよろしいだろう。まさに私の感性にはピッタリ。
それでいて、その文章からは、品格と知性がにじみ出ていて、私などが申し上げるのは失礼かと思いつつ、陰ながらお慕い申し上げている女性である。
今回は、その田丸さんの著作の中から「シモネッタの本能三昧イタリア紀行」(講談社文庫)を旅の道しるべとし、カンツォーネをBGMにして、出発することにした。
行程
冬の旅9日間、その行程は、次のとおり。
12月6日(日)
高知発 高速バスで大阪梅田へ。大阪市内にて前泊。
12月7日(月)
ホテルからバスで関空へ。
10:50発ルフトハンザ・ドイツ航空機で、ドイツ・フランクフルトへ。
現地時刻15:55フランクフルト着。
入国手続きの後、さらにルフトハンザ航空機でローマへ。
18:00ローマ着 ローマ市内泊。
12月8日(火)
【世界遺産】ポンペイ遺跡。 アルベロベッロ泊。
12月9日(水)
白亜の丘上都市 トコロトンド、白い迷宮の街オストゥーニ、
【世界遺産】アルベロベッロ アルベロベッロ泊。
12月10日(木)
【世界遺産】マテーラの洞窟住居、ソレントへ。 ソレント泊。
12月11日(金)
【世界遺産】アマルフィ海岸、エメラルドの洞窟、
【世界遺産】ナポリ歴史地区(車窓観光) ローマ泊。
12月12日(土)
チビタ・バニョーレッジオ ローマ自由散策 ローマ泊。
12月13日(土)
9:50発ルフトハンザ・ドイツ航空機で、ドイツ・フランクフルトへ。
現地時刻13:25フランクフルト発。 機中泊。
12月14日(日)
8:20関空着 13:25伊丹空港発 14:10高知空港着
【12月7日(月)大阪梅田→関空→フランクフルト→ローマ】
人気観光地?
大阪梅田で前泊した私は、宿泊したホテルの1階から出ているバスに乗って関空へと向かっている。朝の渋滞にはまりつつ、高架橋からビルや工場を見ながら、今回も「前日移動・前泊」を要することに地方都市在住者の悲哀を感じる。
出発前に添乗員の山田さんから掛かってきたご挨拶コールによると、このツァー参加者は38名だとのこと。シーズンオフであり、イタリア国内でも北部は回らないので、少人数かと思っていたので驚いた。南イタリアは、既に人気観光地になっているのだ。
添乗員一人で、配慮が行き届かせるには、ツァー参加者は15名程度が限度だと聞いたことがある。大丈夫だろうか。そう言えば、この旅行会社の同じ旅行商品は、参加者38人という場合が多い。2009年8月の欧州3か国、2012年10月の英国。バスの乗車定員ギリギリまで申し込みを受け付けて、単価を抑えているのだろう。今回は、何かとトラブルが多いというイタリアである。
ツァーには、一人参加も8名いるという。年齢的には、やはりリタイヤ後の世代が多いらしい。果たしてどんな出会いが待ち受けているだろうか。
テロ
だが、この旅行を申し込んで、出発日まで1ヶ月を切った時点で、パリ市内でイスラム過激派による同時無差別テロが発生した。
私自身は、「イタリアじゃなくてフランスのことだから」と思ったのだが、同じ欧州内で起きたこととあって、家族が心配して騒ぎ始めた。
「本当に行くつもり?」
「こんなことになったのに、ツァーは予定どおり出るが?」
「イタリアは大丈夫?」
かみさん、娘に妹も加わって、まさに女声3部合唱である。
さすがに、私も少々不安になって、滅多に加入したことがない旅行傷害保険を申し込み、かみさんに「万一の時は、この保険会社に電話したら、救援費用が出るから」と説明するとともに、他の生命保険についても証書の保管場所をメモ書きして渡した。
また、「心配性の塊り」みたいな私の母には、「旅行に行くことは言わないでおこう」ということで娘夫婦も含めた家族間談合が成立した。
早速チョンボ
関空に到着し、旅行会社の窓口に並ぶ。周囲はみんな同じツァーの人たちだ。関西弁が飛び交っている。隣のご夫婦に話しかけてみた。
「イタリアですか?出発前にテロは大丈夫かって、思われませんでしたか?」
「いや、こんな時は警備が厳重やから、却って大丈夫でっしゃろ」
なるほど、そんなものかと思う。
初顔合わせの添乗員、山田さんから航空券や保険証書などを受け取った後、出国手続きを済ませ、出発を待つ。
搭乗開始10分前になって、とんでもないことに気付いた。空港内で円からユーロへの両替をしておこうと思っていたのに、完全に失念していたのだ。もう間に合わない。汗タラタラ。出発前からいきなりチョンボである。
と言っても、最低限のユーロは確保していた。出発の1ヶ月ほど前に高知市内の地方銀行本店で3万円だけユーロに替えていたのだ。為替レートが円安気味だったので、もう少しレートが良くなってから追加しよう。それも少しでも有利な日本国内=関空で両替すればいいや、とケチなことを考えてのことだった。要するに、手元のユーロは日本円換算3万円分のみ。あと、どうしても必要なら、レートの悪いイタリア国内で両替するかクレジットカードを使うかしかない。
どうにかなることだとは言え、このチョンボのお陰で、この旅行中、私の買い物意欲は、おおいに減退した。なにしろ現地通貨の持ち合わせがキツキツなのだ。
加齢とともに
なお、今回も、前回の米国に引き続き、大手旅行会社のツァーに一人参加した。
父が逝去して以来、ますます母に手がかかるようになっていることから、かみさんは旅行辞退。「親戚に頼んでおいて、思い切って行けばいい」と説得したが、やはり遠慮があるという。仕方がない。新婚さん、かつ妊娠中の娘は、オヤジの旅行に付き合ってくれるはずもない。
そんなこともあり、2人で旅行に行ったと思って、航空機の座席は、前回と同じくビジネスクラスを利用。重いスーツケースは、宅配便で自宅と空港間を託送した。私なんかには分不相応だが、私の腰と足にいつ激痛が再発するかも知れない、という事情を抱えているためである。加齢とともに、肉体的にも経済的にも、負担になることが増えている。
ともあれ、いよいよイタリアに向けてテイクオフ。しかし、まず機内で見たものは「日本人の恥」。そんなことも含めて、欧州までの長いフライトは、苦行だった。
その話は、また次回に。
−続く−
(2016/04/10)