(2014第1回)メリケン国西部 大自然を訪ねて -第1回-


 地球の歴史を刻んだ大自然を目の当りにすると、人間の一生などほんの刹那であることを思い知らされるという。
 グランドキャニオン、そして、モニュメントバレー。一生に一度は訪れてみたい。かねてそう思っていた。

モニュメントバレーにて いつまでも若いつもりでいた私も、今年、還暦。誕生月の11月末には定年退職である。そんな私が、修学旅行とも言うべき記念旅行に出るならば、その目的地は、グランドキャニオンなど米国西部をおいてほかにない。その壮大な風景を是非、この目でじかに見てみたい。

 そんな思いから、かの地への旅を思い立った。そして、幾多の感動を抱えて帰国した。
 この旅に関して、今回も拙い旅行記を記し、自身の記録として残したいと思う。しばしお付き合いいただければ幸いである。

行程

平成26(2014)年6月26日(木)
  18:25高知空港発 羽田空港へ。
  深夜24:05羽田発全日空直行便でロサンゼルスへ。
  ロサンゼルスからラスベガスへ(深夜)。ラスベガス泊
     同    6月27日(金)
  ザイオン国立公園、午後ブライスキャニオン国立公園。
  夜 星空観賞。
  ブライスキャニオン泊
     同    6月28日(土)
  ブライスキャニオン朝日鑑賞。
  コーラルピンクサンドテューンズ州立公園、ホースシューベンド。
  アンテロープキャニオン。
  モニュメントバレー泊
     同    6月29日(日)
  モニュメントバレー朝日鑑賞。
  モニュメントバレー、グランドキャニオン。
  グランドキャニオン泊
     同    6月30日(月)
いつか訪れたかった念願の地 グランドキャニオンにて
  グランドキャニオン朝日鑑賞。
  グランドキャニオンのヘリコプター遊覧。ルート66上の町セリグマン。
  ラスベガス泊
     同    7月1日(日)
  ロサンゼルス市内観光。(サンタモニカ、ハリウッドなど)
      同    7月2日(月)
  深夜25:20全日空直行便でロサンゼルス発。日付変更線通過。機中泊。
     同    7月3日(火)
  AM5:00羽田空港着。AM9:30高知空港着。

プロローグ キャンセルの危機から


 とてつもない大自然。そして、ネイティブアメリカン、いわゆるインディアンの人たちが平和に暮らしていたメリケン国西部。この土地に白人たちがやってきて、「開拓」を進めていった土地。

 前述のように、この地を訪ねることは、長年の夢だった。しかし、私は、一昨年、引っ越しで無理をした直後、右脚に激痛が走り、約半年間、杖を突いて歩かざるを得なかった。その右脚には、今でも痺れが残っていて、決して万全ではない。痺れと言えば、その前から左手の指先に軽い痺れを覚え、しばらく近所の病院に通院したものの、回復せず、治療をあきらめていた。

 そんな中、旅行出発を約1ヶ月後に控えた5月半ば頃から、あろうことか、今まで健全であった左脚と右手指先にも軽い痺れを感じ始めた。これは、「旅行になんか行くな!」という天からのメッセージかも?と柄にもなく落ち込む私。

 キャンセル料は、出発1ヶ月前から発生する。もう目前だ。仕方ない。残念だけど、キャンセルしよう。私は、旅行の申し込み番号をメモして、旅行会社に電話でキャンセルを告げようとしていた。

 いや、その前に、友人に紹介してもらった市内のF整形外科に診療の予約を先にとっておこうと思った。F整形の受付嬢は、
「初診ですね。来週の予約OKです。けど、今、ちょうど空いていますよ。来院されますか?」
と言ってくれた。
 全く予定外だったが、そのまま電停に向かった。すると、偶然、運転本数が極めて少ないF整形方面への直通電車がやってきた。「何か良いことがありそう」と感じた私。

 F先生は、丁寧に診てくれて
「メリケン国へ旅行?1ヶ月後出発ですか。大丈夫でしょう。問題ないと思いますよ
と笑顔で答えてくれた。

 もし、F整形外科より先に旅行会社に電話していたら、また、F整形外科の受付嬢が「今、空いていますよ」
と言ってくれていなかったら、この旅行に行くことはなかった。そして、後々までずっと悔やんでいたことだろう。これも運命というものかも。


思い切ってビジネスクラスに

 今回、この旅は、大手新聞社系の旅行会社のツァーに一人参加することにした。いろいろな事情が重なって家族が行けなかったのである。重いスーツケースを一人で運び、片道10時間以上も飛行機の座席に座らなければならない。

 日頃、能天気な私だが、正直、足腰の具合が悪化して、あの激痛が再来しないかと不安がよぎる。一昨年の英国旅行の時みたいに、エコノミー席で3人掛け座席の真ん中で長時間座りっぱなしになり、トイレにも自由に行けなくなることを想像すると、ぞっとした

 このツァーでは旅行費用に20万円追加して航空便の座席を往復ともビジネスクラスにすることが可能だった。ビンボーな身に20万円は痛かったが、家族と2人で旅行に出ると思って、ビジネス席を申し込んだ。今まで16回の海外渡航で初めてのことである。もちろん、座席は通路側を指定。

 また、スーツケースは、往復とも、宅配便で自宅と羽田の間を送ることにした。とにかく、体の負担を軽くできるなら、何でも利用しようというわけだ。

確認の電話

 出発3日前の夕刻、女性添乗員の萩本さん
(仮名。以下登場人物はすべて仮名です)から確認の電話がかかってきた。ちょうど職場の送別会の真っ最中。マナーモードにしておいた携帯電話がブルブルと震えたのである。私は、既に十分過ぎるほど酔っ払っていた

萩本さん「今、お電話よろしいでしょうか?」
「今、部屋から出ましゅ。は~い、出ますた。でぇ丈夫でしゅよ」
萩本さん「明日にでもかけなおしましょうか?」
「かまいましぇん。ツァーの参加者わぁ、にゃん人でしゅか?」
萩本さん「12名です。女性7名、男性5名です」
「ご夫婦が多いんでしゅか?私のような一人しゃんかは、にゃん人いましゅ?」
萩本さん「ご夫婦もいらっしゃいますけど、女性のグループが多いです。一人参加の方は、ぽんどさんを含めて3名です」
「にゃにか気を付けることわぁ、ありましゅか?」
萩本さん「そうですね。訪問先によって、朝夕の温度差が大きいので、真夏と真冬の服装を用意して下さい」
「はぁ?真にゃつと真ひゅゆでしゅか?わきゃりましゅた」

なんとも、頼りないやり取りである。萩本さんも、不安を感じたに違いない。「このオッサン、大丈夫かしら?」と。

【第1日目 6月26日(木)高知から羽田・羽田からロサンゼルスへ】

ラウンジ

 機内持ち込み用の布製バッグひとつだけ手に提げた私は、電車とバスを乗り継いで高知空港に到着。その軽装のまま、羽田へ飛んだ。重いスーツケースは、宅配便で送り、羽田で受け取ることにしたため、こういうことが出来るのである。自宅と空港との往復にマイカーを使わなくて済むので、帰国便でも降機間際までお酒を飲むことができる。本当にお気楽である。

 羽田空港の旅行会社カウンターで添乗員の萩本さんと初対面。
「ビジネスクラス乗客用のラウンジは使えますよね?」と私。慣れていないことがバレバレである。
「もちろんです」と萩本さん。

羽田空港のビジネスクラス乗客用ラウンジ 搭乗手続きと出国手続きを済ませた私は、早速、ラウンジに向かった。なにしろ、初めての経験だ。恥ずかしながら、出発の少し前まで、このラウンジで軽食がとれることさえ知らなかった。

 実は夕刻にお腹に収めたのは、小さなパン1個だけ。このラウンジの食べ物を夕食替わりにしようと、食事量を控えていたのだ。いやいや、決して、ケチでそうしたのではない。ダイエットを継続しているからである。

 昨年秋、健康診断の再検査で中性脂肪が、驚くような数値だったことから、本気でダイエットに取り組み、ピーク時に比べてkg減量したのである。その甲斐あって、今年の人間ドックでは、生活習慣由来の数値は、大幅に改善していることが確認出来た。このペースを崩してはならない。リバウンドなど、もってのほかなのだ。・・・と思いつつ、「どうせこれも20万円追加した航空運賃のうち」と、あれもこれも料理をお皿にとる私。やはりセコイおじさんである。

深夜発

ウェルカムドリンクの白ワイン さて、出発便は深夜2405分発。航空便は、青色航空こと全日空である。
 出発ロビーで並んでいると萩本さんから
「一緒にビジネス席に乗られる古田さんです」70歳代とおぼしき男性を紹介された。お互いに「よろしくお願いします」と挨拶。道連れがいることは、ありがたい。

 ゲートが開いて機内へと進む。自分の座席を確認して腰を下ろすと、CAさんが
「ぽんど様でいらっしゃいますね。私、担当乗務員の堀内と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
と挨拶してくれた。そして、ウェルカムドリンクとして、白ワイン。うーーん、さすがビジネスクラスである。

ビジネスクラス席の座席前ポケット アメニティやスリッパなどが差し込まれている 座席の前には、歯ブラシなどアメニティがセットになって差し込んである。スリッパも備わっていて「お持ち帰り下さい」と書かれている。これらも、運賃に含まれていることは分かってはいるが、やはり嬉しい。

 
深夜の機内サービスで頼んだ赤ワインとチーズやがて離陸。水平飛行に移ると、堀内さんがメニューを持ってきてくれた。
「何かお飲み物をお持ちしましょうか」というので、出発前にネットで調べて目をつけていたカリファルニアワインの赤とチーズを頼んだ。ダイエット中などいう意識は、高知空港に置き忘れてきてしまった

 座席を倒してみた。2段階のリクライニングになっていて、ベッドのように180度近くまでフラットになる。これは楽だ。脚に痺れが残り、いつまた激痛が復活するかも、という不安を抱える私にとっては、
本当に有難い。しばし、眠りにつく私。

 夜中にトイレに起きた。用を済ませた後、足の屈伸運動をしていると、堀内さんが
「ぽんど様は、メリケン国には、たびたびお越しになるのですか?」
と話しかけてくれた。私の顔と名前を覚えてくれているのだ。
「いえ、5年ぶりです。前回は仕事でシカゴ経由オーランドへ飛びました」
と私。あの時も、同じ青色航空だった。

赤い大地

機内食の朝食 機内の明かりが灯った。朝食の時間である。日付変更線を越えているので、到着地時刻で言えば時計が逆戻りして、6月26日(木)の午後3時30分前だ。いつもなら、食前にビールを頼むところだが、一応、朝食なので、控えておくことにして、飲み物はトマトジュースにした。食事は、写真のような内容で、特別のものとは言えないが、きれいに整っていて、ナプキンにくるまれたナイフとフォークも金属製である。

機内から見たメリケン国西海岸の赤い大地 私の座席は通路側だが、隣の窓側席に顔を向けると、眼下に赤い大地が広がっている。北米大陸だ。西海岸からシエラネバダ山脈にかけて、延々と赤い色が広がっている。鉄分を帯びた土なのだろうか。やがて街並みと入り組んだ湾が見えてきた。フライトマップで確認すると、やはりサンフランシスコ湾である。もう目的地、ロサンゼルスは間近だ・・・と思ったが、これがなかなか。地図で見ればすぐ近くに見える両都市だが、かなり時間がかかる。メリケン国の広さを改めて感じた。


 いよいよメリケン国に降り立とうする私。これで人生16回目の海外渡航だ。もうかなり慣れているはずだが、空港に足を踏み入れた早々、
とんでもない目に。
 そのお話は、また次回。

-続く-


(2014/12/21)


 

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