(2013第3回)親子旅はシベリアの町へ −その3−
寒気の中、ハバロフスク空港に降り立った私たち親子。何かと面倒な国、ロシアだが、ビザはきちんと取っているし、機内で男性パーサーから入国カードは不要になったと聞いて安心。二人とも、すんなりロシアに入国出来るはずだ。なのに・・・
【第1日目 9月20日(金)ハバロフスク到着】
カードなしはニェット!
私と娘とは、入国審査の行列の先頭に並び、パスポートを手に審査官の前に立った。
おもむろに私のパスポートを開いた審査官のおばさんは、「Immigration card?」と言う。えっ?飛行機の中で要らないと聞いたのに。英語でその旨を言ったが、おばさんは、青い目をギョロリと剥いて、手を横に振り、カードの用紙を突き出して、「あそこで記入しなさい」とジェスチャーで示した。
ごたごた言っても無駄だ。入国審査官の指示には従うしかない。娘と二人、入国カードの記入欄を埋めていった。「S航空のパーサーの奴、いい加減なこと言いおって」とプリプリ怒りながら記入したものだから、下手な手書き文字がますます汚くなった。
審査待ち行列の最後尾に並びなおして、入国審査ブースの前に立つ。審査官は、私が提出した書類をじっと見て、パソコンのキーを叩いている。あまり時間がかかるので、審査官に「下手な字が読めない。また書き直せ」とでも言われるかと思ったが、なんとか、パスポートにスタンプを押して返してくれた。
麻薬捜査犬
出発前に預けた荷物を受け取ったら、次は税関だ。特に大金や商品の類を持ち込んだわけではないので、私たちは「申告すべきものなし」である。さっさと通してくれるかと思ったら、ここもなかなか厳しい。
列に並んでいると、迷彩服を着た係官がシェパードを連れて、私たちの荷物をすべてチェックする。「麻薬捜査犬やね」と娘に言う。大きな犬が、私たちの荷物にも遠慮なく寄ってきて、鼻を近づける。後ろめたいことなど何もないのだが、気持ちの良いものではない。
税関職員の前に立つ。娘と二人、スーツケースなどを開けさせられたりすることもなく、無事通過できた。
はじめまして
出口には、私たちの名前を書いた紙を手に掲げた若い女性と初老の男性が立っていた。現地ガイドのナターシャさんとドライバー氏に違いない。
「ズドラースト・ヴィッチェ。ミニャー・ザブート・ぽんど。エータ・マヤ・ドーチ。オーチン・プリヤートゥナ」(こんにちは。ぽんどです。こちらは娘です。はじめまして)
と出発前、覚えの悪い頭に無理に叩き込んできたロシア語を並べて挨拶した。
二人ともちょっと驚いた後、ニッコリ。金髪美人のナターシャさんが「ようこそ、ハバロフスクへ。こちらはドライバーのアンドレイです」と返してくれた。
「ロシアには何度か来られたことがあるのですか?」
「いいえ、初めてです」
「ハバロフスクは寒いでしょう。さあ、車へ急ぎましょう」
と、ナターシャさん。
アンドレイさんは、日本語はさっぱり分からない様子だが、本当に人が良さそう。ロシアでは、役人は威張っていても、一般市民は人が良い、という話は本当らしい。
ハバロフスク市
ロシア極東の町、ハバロフスクは雨だった。
この町は、東経135度にある。つまり、日本の標準時子午線の町、兵庫県明石市の真北に位置する。しかし、現地で採用されている時刻は、日本より2時間進んでいる。今、ハバロフスクでは午後8時過ぎだから、日本は午後6時過ぎということになる。
一方、北緯は48度42分。北海道宗谷岬よりも北、サハリンの真ん中よりも少し南のほうと同じ緯度にある。
ロシア極東連邦管区の本部が置かれ、この国最東端地域における行政の中心都市だが、首都のモスクワとは8,523km(東京・鹿児島間の約5.7倍)も離れており、シベリア鉄道で行けば1週間近くかかる。時差もモスクワとは7時間もあって、推定年齢20歳代後半のナターシャさんは、「一度もモスクワへ行ったことがありません」と言っていた。
現在の人口は約58万人。1858年、シベリアを東進してきたロシア帝国の監視所がアムール川とウスリー川の合流点に建設されたのがこの町の起源である。ハバロフスクという地名は、17世紀のロシアの探検家エロフェイ・ハバロフ(1603年頃〜1671年頃)にちなんだものである。
なお、ハバロフの本業は毛皮商人で、当時「動く宝石」と呼ばれたほど高価に取り引きされた黒貂の毛皮を求めてこの地にやってきた。強欲な人物で、先住民の村々を破壊し焼き尽くすなど、残虐な略奪者だった。なぜ、こんな人物の名前がこの町につけられ、いまだに改称されていないのか、私には分からない。
ホテルインツーリスト
小雨のハバロフスク市内をアンドレイさんが運転するワゴン車でホテルに向かう。
現地時間で午後8時10分。外はもう暗い。20分ほどで今夜から3連泊する「ホテルインツーリスト」に着いた。かつて、この地を訪れた外国人は、選択の余地なく泊まらされたホテルである。紀行作家の故・宮脇俊三さん、昭和57年2月に放送された「NHK特集・シベリア鉄道」の取材クルーなど、多くの人たちがこのホテルに泊まっている。
宮脇さんが泊まられたのは、昭和57(1982)年4月18日(日)。当時は、まだ新しかったようで、「新しいホテルなので、ロビーは広く、すっきりと、そして閑散としていた」と書いておられる(宮脇俊三著「シベリア鉄道9400キロ」)。しかし、31年を経た今では、それ相応に古くなっている。
ナターシャさんにパスポートを渡してチェックイン手続きをしてもらう。ロシアのホテルでは、パスポートは、フロントに預けることになっているのだ。ソ連時代は、ホテルがパスポートをもとに、宿泊者の氏名を、すべて地元の警察に届けていた、という話を聞いたが、今でもそれをしているのだろうか。
部屋のキーを受け取った。カードキーである。31年前、宮脇さんは「ずしりと重い大きな鍵」(前掲書)を受け取ったそうだが、この点は改良されているようだ。ただし、私たちの部屋は、宮脇さんが泊まられた「病院なら4人部屋として使えそうな」大きな部屋ではなく、ごく普通のツインルームだった。(左下の写真参照)
大音量
さて、今夜の夕食は、旅費に含まれていない。私たちは、ホテル1階(このホテルでは0階と表示されていた)の大レストランへ行ってみた。ところが、ドアの外にまで聞こえる大音量で音楽を流している。宮脇さんも、この大音量に閉口されたようで、この点は、31年前と全然変わっていない。こんなうるさいレストランで食事をすることなど、まっぴらである。
ナターシャさんから聞いた話では、ほかにこのホテル内には、地下に韓国レストラン、11階に日本レストランがあるという。「日本食の味は期待できそうにないから、韓国レストランでビビンバでも食べよう」ということになった。
韓国レストラン
さて、地下の韓国レストランである。1階の大レストランほどではないにしても、ここも音楽の音量が大きい。ロシア人は、大音量の音楽がお客サービスだとでも思っているらしい。
それはさておき、メニューを見るとロシア語、英語、韓国語の3ヶ国語で書かれていて、どれがどんな料理なのか分からない。
「韓国レストランやき、ビビンバはあるはずよね」と娘。
「ハングルで『ピピンパップ』っていうのが見つからんけど」
そこへ韓国人の顔立ちをしたウェイトレスが通りかかった。
「ピピンパップ、トゥル チュセヨ」(ビビンバを2つ下さい)
と韓国語で話し掛けたが、キョトンとしている。
「ハングゲソ、オショスムニカ?」(韓国から来られましたか?)
と畳みかけると、彼女は英語で
「私、韓国系ロシア人ですけど、韓国語はほとんど分かりません」と言った。
娘に「『Mixed vegetables and rice』って英語で書いてあるのがビビンバじゃないかねぇ?」と言うと。
娘も「そうやね。これじゃない?」
ということになり、それを指で指して2人分注文した。韓国系ウェイトレス嬢は、「心得ました」というようにうなずいて、奥へと去っていった。
待つことしばし。私たちのもとに運ばれてきたのは、チャーハンだった。
言語は食文化を映す
英語は、食べ物の味に対して執着心が薄いアングロ・サクソンの言語だから、食に関する語彙が貧弱だという。だから、中華など、英語では正確に表記できない料理がたくさんあるそうだ。また、英語では「ロースト」と表現する料理法は、中華だと何種類もあるのに、英語では、それを細かく区別しようにも、単語そのものがないと聞く。
すべて、帰国後に聞いた話である。多分、韓国料理についても、同じことが言えるのだろう。
スマホ
ところで、ホテルに到着した後、娘は、部屋でも、このレストランでも、スマホを手に、ひたすら何やら操作し続けている。
私「スマホが好きやねえ。そんなにメールがたくさん届いちゅうが?」
娘「違うって。このホテル、Wi-Fi接続できるはずやのに、設定の仕方が分からんがよ」
私「ロシアに来てまで、ネット情報が欲しいわけ?」
娘「まあ、繋がらんでもかまんけど・・・あっ!繋がった!良かったぁ!」
私「やれやれ」
私は、いまだにガラケーを使っている。スマホが便利なことは頭では分かっているのだが。
昨年1月、韓国旅行に出る前に、現地で使える携帯に機種変更した。
その際、娘に
「いっそのこと、スマホにした方がいいかねぇ?」
と相談したところ、娘は言下に
「お父さんが?やめちょきや」
と、のたまった。オヤジの機械音痴を知り抜いているのである。
まあ、とにかく、娘のスマホがWi-Fiに繋がったので、ロシアにいても、日本の情報に不自由はしないだろう。技術の進歩により、旅先でも格段に便利になった。だが、旅に出ることによって非日常を楽しもうとしている人たちにとっては、果たして有難いだけなのだろうか、と感じたりもする。
ビビンバを頼んだつもりがチャーハンが出てきて、閉口しつつも夕食を終えた私たち。
しかし、ホテルの部屋に帰ると、またも困ったことが・・・
続きは次回。
−続く−
(2013/11/10)