(2013第2回)親子旅はシベリアの町へ −その2−


 
出発前からドタバタに巻き込まれたハバロフスクへの親子旅。なんとか、予定どおり出発できることになり、成田空港から旅立とうとしている。

【第1日目 9月20日(金)成田からハバロフスクへ】


成田空港

 高知・成田間は、娘と別行動になり、親子2人、成田空港で待ち合わせることにした。

 当日の気温は
30℃近く。9月も下旬だというのに、この残暑である。当然、2人とも夏の服装だ。一方、ネット情報では、ハバロフスクは、既に最低気温が5℃ほど夏から一気に初冬へとワープするようなものである。私たちは、私が持参した機内持ち込み用のバッグに上着やコートを捻じ込んで、現地到着次第、機内で着込むことにした。

 これまでハワイ、カナダ、欧州3ヶ国、シンガポールと親子旅を重ねてきた。
これで5回目の親子2人旅である。

 搭乗前に空港内の店で、扇子を2本買った。現地のガイドさんと訪問予定のロシア人家族へのお土産だ。会計の時、男性店員に中国語で話しかけられた。

「私たち日本人です」と言うと、
「あっ、すみません」

中国人や韓国人と間違えられたのは、これで何度目だろう。よほど私たちの容姿または態度が、日本人らしくないのだろうか。いっそのこと
「我是日本人(ウォ・シー・リーベンレン=わたしゃ日本人ですよ)」と中国語で答えた方が面白かったかも知れない。

アンナちゃん


 ハバロフスク直行便の出発ロビーは、既に半ばロシアだった。周りは、ほとんどロシア人ばかり。日本人の団体ツァー客で賑わう他のフロアとは大違いである。裏を返せば、それだけ観光地として人気が定着していない、ということなのだが。

 ロシア人の家族連れが多い。その子供たちの可愛いこと。特に、ロシア人のお母さんから
「アンナ」と呼ばれている2歳くらいの金髪の女の子は、本当に可愛い。キュッキュッと音が出るサンダルを履いて、ニコニコしながらフロア内を走り回っている。

 娘に
「お前様も、小さいときには、あんなサンダルを履いて、ニコニコして歩き回りよったよ」と言う。
 娘は
「そう?覚えてないわ」

 アンナちゃんは、窓の外を指して日本語で
「ヒコーキ」と言っている。お母さんも日本語を話しているところを見ると、お父さんは日本人であり、日本で暮らしているのだろう。今日はお母さんと一緒に、ロシアのおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行くのだろうか。

S航空の機内にて−その1−


私たちが乗ったS航空旅客機。なんともユニークな塗装である。成田空港にて。 S航空の航空機は、その派手な塗装で航空ファンに知られている。親子2人、その機内に入り、シートベルトを締める。私たちの座席は、エコノミー席の前から2番目。チェックイン時の指定どおり、3人掛けの通路側と真ん中が私たちの席だ。通路側には、私が座ることにした。

 乗客全員が着席すると、ロシア人のCAさんが通路に立った。どうしたのかと思っていると、驚いたことに、彼女たちが、
緊急時の脱出法や救命胴衣の着用法を実演で説明し始めた。

 今では、この説明は、ビデオで乗客に見せるのが一般的だが、S航空では、今でも実演しているのである。しかも、言語はロシア語と英語のみ。かつて、高知・東京間がまだジェット化されていない頃、YS11の機内でこの説明法を実施していた。しかし、それは
もう30年も昔の話である。

S航空の機内。トイレに立ったときに見たら、後方3分の1くらいは空席だった。 よく見ると、この機内、座席にビデオはもとより音楽を聴くジャックも何も付いていない。せめて現在の飛行位置とか到着予定時刻などが見られればよいのに、これでは何も分からないではないか。

 機内誌はあるにはあるが、ロシア語のキリル文字が並ぶものだけ。どうやら、飛行中は、
退屈との戦いになりそうである。これはもう、3時間弱の飛行だから、と思って我慢するしかない。

S航空の機内にて−その2−

 アンナちゃん母子は、私たちの斜め前に座っていた。アンナちゃんは、元気がよく何にでも興味を持つ年齢。お母さんが
「ダメよ」と言っても、すぐ座席を離れて通路を歩きたがる。しかし、当然のことながら離陸時には、乗客全員が着席してベルトを締めていなければならない。

 何度もお母さんに席に連れ戻され、ついにしっかり抱きかかえられて動けなくなったアンナちゃんは、
激しく泣き叫び始めた
 成田空港では、離陸待ちの航空機が多いのか、空港内のタキシング(地上走行)が延々と続く。30分近く経ってもまだ離陸しない。その間、ずっとアンナちゃんは、
泣き叫び続けた。お母さんも辛そうである。

「可哀想やけど、仕方ないね」
「うん。早く離陸してベルト着用サインが消えたらいいのにね」

 日本の航空会社なら、すぐにCAさんが駆けつけて、何か玩具を渡したりしてあやすところだが、S航空では、
そんな気配りは見られなかった

S航空の機内にて−その3−

配られた機内食のパッケージ やっと離陸して、水平飛行に移った。飛行時間が短いとは言いながら、国際便なので、機内食と飲み物のサービスはある。
 日本時間にして午後3時半過ぎなので、いかにも中途半端だが、軽食の入った紙箱が配られる。CA嬢は、私たちに
お尻を向けたまま、ホイッとばかり座席前のテーブルに紙箱を置いていった。

 箱を開けると丸いパン、サラミ、チーズ、ジュースなどのほか、甘そうなチョコレートケーキも入っている。せっかくだから、と賞味してみたところ、
味は悪くない。しかし、チョコレートケーキは、どうしても口に運ぶ気になれなかった。
機内食の中身。味は悪くなかった。
 食後は、飲み物タイム。国際線の機内では、ビールをもらって飲むことを何よりの楽しみとしている私は、このときに備えて(?)
 「ウ ブァス イェスチ ピーバ? ピーバ、パジャールスタ」(ビールはありますか?ビールを下さい)
というロシア語を頭の中に入れてきていた。しかし、CA嬢は
「Coffee or Tea?」としか尋ねてくれない。
 「コーフェ、パジャールスタ」
コーヒーを頼まざるを得なかった。プリンの空き容器のようなプラスチックの小さなコップに黒い液体が注ぎ込まれる。ミルクと砂糖は、はじめから用意していないらしく、「要りますか?」なんて尋ねてもくれなかった。

 帰国後、旅行作家の下川裕治さん著「格安エアラインで世界一周」(新潮文庫)を
読み返してみた。
 同書P.131に「S航空というロシアのLCC」という記述があることを再発見。
 LCC(格安航空会社)とは何か?という定義に確たるものはないが、LCCならば、
座席にビデオや音楽を楽しめる装置が付いていないのは普通のことである。むしろ
機内で軽食やコーヒーが無料で提供されたことを幸いとしなければならないだろう。
 にしても、旅行代理店がS航空に支払った運賃は、いかほどなのだろうか?


S航空の機内にて−その4−

機中から見たシベリアの大地 前述のとおり、座席にビデオどころか音楽を楽しむ装置すら付いていないS航空機の機内では、退屈極まりない。

 前方のビジネスクラス席と私たちのエコノミー席の間には、アコーディオン型のカーテンがある。その合わせ目に僅かな隙間があった。覗くつもりはなくても前から2番目の私の席からは、しっかり見えてしまう。

 すると、ビジネスクラスの座席に腰を下ろし、
両足を思い切り上げて前の壁にもたせかけている女性の後姿が見えた。
 「ロシア人の金持ちだろうに。お行儀の悪い客がいるものだな」
と思った。

 よく見ると、それは
なんと!
この航空機のCA嬢だった。

S航空の機内にて−その5−

 ロシアでは、入国ビザが必要である。その代わり、大きな空港では入国審査の際に
入国カードを提出する必要がなく、入国審査官がアウトプットした書類にサインすればよいだけになっている。

 しかし、出発前に旅行代理店へ問い合わせたところ、ハバロフスク空港には
まだそのシステムが入っておらず、やはり入国カードへの記入と提出が必要なのだという。

 通常、入国カードは、往路の機内で配布され、乗客が機中で記入しておいてから到着後、入国審査官に提出、という運びになる。
 なのに、私たちが乗っているS航空機では、一向に入国カードの用紙が配布されない。

 私は、トイレに立ったついでに、後方にいた男性パーサーに英語で
「Immigration card, please.」と言った。
彼は、
「You don't need. Sign only.」
と頼もしく答えてくれた。

 出発直前の時点まで入国カードが必要だったところ、システムが整備されて不要になったらしい。
よしよし。面倒なことがひとつ解決した。

ハバロフスク到着

高度を下げてくるとアムール川が眼下に。窓側に座っていた青年が写してくれた写真。 私たちの搭乗機はシベリアの大地に向けて降下し始めた。左側の窓から大きな川と湿地帯が見えてきた。アムール川に違いない。どんどん高度を落として、スムーズに着陸。
ついにロシアへやって来た

 機が停止すると、やはり寒い。多分気温は
10℃以下だろう。30℃を超える残暑の日本から一挙に初冬のシベリアへ飛び込んだのだ。私たちは、機内持ち込みのバッグから上着やセーターを取り出し、急いで着込んだ。

ハバロフスク空港に到着。ボーディング・ブリッジなどはない。 機外にボーディング・ブリッジなどはなく、タラップを降りてバスに乗り換える。うーーん、これだけ着ても
やはり寒い

 バスの中では、アンナちゃん母子が近くにいたので、
「アンナちゃん、よく頑張ったね。おばあちゃんに会いに行くのかな?」と声を掛けた。
アンナちゃんに代わってお母さんが、
「はい、おばあちゃんが楽しみにして待っています」とニッコリ。

 バスが横付けされた空港ビルに入ると、そこは、いきなり入国管理室だった。


 私たちは、すんなり入国出来るはず。
 なのに、入国審査官のオバサンは・・・・

 続きは次回。

−続く−

(2013/11/03)




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