(2013第1回)親子旅はシベリアの町へ -その1-


 赤レンガの建物に教会の尖塔。坂道に続く並木の緑。広い公園には黄色く色づいた落葉樹。道行く人たちは、黄金色の髪に青い目。子供たちは人形のように可愛い。
 ここは、まさしく欧州の町である。いや、正しくは「欧州風の町」か。

 ロシア極東の都市・ハバロフスク。9月下旬のこの北の町を冬服で歩く私。大河アムールのほとりに位置する坂の町は、日本から3時間足らずで行ける欧州である。

 時間がゆったりと流れるような美しい町だが、シベリア抑留をご存知の世代には、忘れられない土地であり、複雑な思いをお持ちの方も多いはず。

 娘と2人、そのハバロフスクへ行き、ほんの少しながらシベリア鉄道に乗ることも出来た。
 今回も、私自身の備忘録を残したいとの思いから、この旅行で感じたことなどを少しずつ書いてみようと思う。雑文を読んでいただければ幸いである。
(なお、文中の人名は、すべて仮名です)

行程など

2013年
9月20日(金)
 成田空港から直行便でハバロフスクへ
 成田発14:55  ハバロフスク着19:55(日本時間17:55)


市内のロシア正教プレオブラジェンスキー聖堂9月21日(土)
 ハバロフスク市内
 アムール川展望台、郷土史博物館、アムール川クルーズ、レーニン広場、
 日本人墓地、プレオ・ブラジェンスキー聖堂 など

9月22日(日)
 シベリア鉄道体験乗車
 ロシア人の家庭訪問


9月23日(祝日・月)
 帰国
 ハバロフスク発13:10(日本時間11:10)  成田着14:05
 羽田経由高知龍馬空港へ


ハバロフスク

ホテルの部屋から見たハバロフスクの町とアムール川 娘が勤務先を変わることになった。医療人としての腕を磨くために、前勤務先のA医院を円満退職し、同じ市内のB医院に勤めることにしたのである。
 ついては、1ヶ月間、充電期間を置くという。ならば、娘が社会人になって研修期間を終えた時点で、もう行けないものと諦めていた
親子旅に行けるではないか。

 娘は現在一人暮らし。互いに多忙な中、月に何度か食事を共にするくらいで、ゆっくり話をする時間はなかなか取れない。だが、旅に出れば、ずっと一緒。
会話の時間もたっぷり取れる「よし!どこかへ旅行に行こう」という話になった。

 行き先は、いろいろ検討した結果、ロシア・ハバロフスクにした。昨年末以来、痛みと痺れが続く私の脚が、まだ完璧ではないため、3~4日程度で行けて、出来れば同じホテルに連泊できる、それでいて2人とも行ったことがない国、という条件で絞っていったのである。

アムール川。向こう岸から中国東北部は程近い また、私が、合唱曲
「アムール河の波」(リンクはこちら→日本語版 ロシア語版)が大好きで、一度はアムール川を見てみたかったことと、某旅行代理店のツァーなら、短時間とは言えシベリア鉄道乗車が可能、という点が気に入った。また、行程に組み込まれている「ロシア人の家庭訪問」にも興味があるし、何よりも、帝政ロシアの極東進出の野望や戦後に日本人のシベリア抑留の舞台となった土地を見ておきたい。

恐ロシア?


 近代史やシベリア鉄道に全然関心がない娘は、
「はぁ?ロシア?なぜ」という反応だが、「まあ行き先は任せるわ」と言った手前か、特に文句は言っていない。だが、友人には「え?ロシア?珍しいね」と例外なく言われたそうである。私自身も「ロシア?なぜそんな所へ行くの?」と、何回言われたことか。

 そもそも、いろいろな人が書かれた旅行記を読んでも、ロシアのことを褒めている文章などお目にかかったことがない。


 「ロシアでは、どんなに待たされても、決してイライラしてはいけない」
 「レストランや商店などで、お客として扱われることを期待してはいけない」
 「ホテルにはゴルフボールを持参せよ。風呂の栓がないことが多いから」


などなど、もう
悪口、雑言のオンパレード。まさに「恐ロシア」である。

何の根拠もない期待感

 しかし、昨年、ロシア旅行をした人からは
「いやいや、ロシアはそんなに悪くないですよ。食べるものは結構美味しかったし、ロシア人は親日的で人が良いし」という話も聞いた。
 もっとも、その人は、モスクワ、サンクトペテルブルクなど、ハバロフスクから遠く離れたヨーロッパ・ロシアの大都市に行ってきたのであって、どこまで参考になるか分からない。

 まあ、とにかく行ってみて、この目でロシアという国の一端を瞥見してみよう。今までにも、
「行ってみたら案外良かった」という国はあったから、という「何の根拠もない期待感」を持ちながらロシア旅行を申し込んだのだった。

 なお、今回、かみさんは留守番。我が家が年寄りを抱えているためだ。本人も、昨年、英国旅行の際、親戚に気兼ねしたことから、今回は最初から留守番を申し出ていたのである。

ロシア語「ズロース一丁」


 ところで、ロシア語で
「こんにちは」「ズドラースト・ヴィッチェ」

 舌をかみそうだが、ロシア語同時通訳で知られた故・米原万里さんによれば
「ズロース1丁」と覚えたらよいのだとか(米原万里著「ガセネッタ&シモネッタ」文春文庫)。知ったかぶりをしてこれを娘に教えた。

「ロシア人に『こんにちは』と言う時は、日本語で『ズロース1丁』って言うたらいいって」
受けるかと思ったら、娘は、首をかしげている。

「何それ?」
「何って、面白いと思わん?」
「『ズロース』って何のこと?」

うーーん、娘の世代に
「ズロース」は死語だったのだ。

ロシア語再履修

私が使ったロシア語教材。総費用210円也。 かつて韓国語のハングルが読めるようになった後、「次はロシア語のキリル文字を読めるようになりたい」と思って、ロシア語のテキストを開いてみたことがあった。

 「Pという形のキリル文字がローマ字のRで、CがSか。芋の串刺しみたいなのがF、帆掛け舟みたいなのがD」
 「PECTPAH」と書いて「レストラン」って?なんじゃ、こりゃ。HがNか、なるほど」
 「Nが裏返ったのがイで、Rの裏返しはヤと読むのか。ふむふむ」


と言いながら、
「ローマ字26文字がキリル文字だと33文字になるだけ。覚えてしまえばどうってことないだろう」
と思ったのは
甘かった。一定の子音の後にある文字が来ると読み方が変わる、など例外がいくつもあったりして、これがなかなかの難物なのである。ズボラな私は、すぐに投げ出してしまった。

 今回は、そのテキストを本棚から引っ張り出してきて、ロシア語
再履修である。

 しかし、老化して柔軟性も記憶力も衰えた私の頭には、なかなかすっきり収納できない。自分に甘いことでは自信(?)がある私は、
 
「どうせわずか3泊4日の滞在だし、必死こいて勉強するまでもないさ」
と、ロシア語学習は、挨拶言葉のほか、「ビールはありますか?」「おいしい」などの、ごく簡単な日常会話を覚えただけで
敵前逃亡。真面目に勉強しなかった。

出発前から大騒動「行き先が違う!」

シベリア鉄道にも、ほんの少し乗車 この旅は、学生の就職先人気ランキングで常に上位に入る某旅行代理店のツァーを利用した。「最少催行人員2名」というツァーなので、申し込みさえすれば、間違いなく出発できることがこのツァーの魅力であった。

 ロシアは、入国前にビザを取得する必要がある。航空便や宿泊するホテルなども確定しておかなければ、ビザがおりない。なんとも窮屈な国である。

 旅行代理店から「ビザがおりました」との連絡があり、旅行代金の残金支払いも兼ねて、いそいそと同社の支店へと足を運んだ。もう心は、ハバロフスクである。

 だが、航空便がS航空ではなく、A航空になっていることが気になり、
 
「これ、S航空の間違いですよね」と女性スタッフに確認したところ
 
「いえ、A航空です」と言う。
 
「でも、パンフレットにはS航空と書いてありますよ」と指で示したところ、
 
「え?ウラジオストクはA航空で往復するんですが」と言う。

 はあ?ええ?何それ?

 私が申し込んだのは
ハバロフスクへの3泊4日のツァーである。明細書をよく見ると確かに「ウラジオストク3泊4日」と書いてあるではないか。これは大変!既に出発まで1ヶ月を切っている。

 私
「私は、ハバロフスク行きを申し込んだんです。ウラジオストクじゃありません。至急再手配して下さい」
 スタッフ
「一旦ウラジオストク行きをキャンセルして、再手配ということになります。キャンセル料は、お支払いいただけますでしょうか?」
 私
「申し込んでもいない旅行のキャンセル費用を払うなんておかしいじゃないですか」

というやり取りになり、代理店が
「社内で対応を協議して、後程自宅へ電話します」とのことで帰宅した。
 
「しかるべきところに申し立てますよ!」

マトリョーシカ その夕刻、支店長氏から電話がかかってきた。

 支店長「電話によるお申し込みの時点に遡って調べましたが、熊本市のコールセンターで受付をしていて、担当者は、ツァーのコードを復唱して確認したと言っております」


として、私が申し込み時にツァーコードを言い間違えたと、言わんばかり。だから、キャンセル料支払いは必要だと言う。しかも、受付は熊本で、高知の支店は同グループながら別会社なので、高知の支店には責任はないと言う。

 私は、この直前まで、場合によっては妥協して、行き先をウラジオストクに変更することもやむなし、と考えていた。しかし、支店長の「責任無し」発言を聞いて、気が変わった。
絶対に筋を通す、と。
 そもそも、「ウラジオストク3泊4日」のツァーだと、アムール川は見られないし、シベリア鉄道への乗車もできない。妥協など、とんでもない。

 思い切り腹を立てた私は、

 
「私は、ウラジオストクなんて地名を口にしたことは一度もありません。高知支店に申込金を払いに行った時にも何度もハバロフスクと言いました。行き先は重要事項だからその時にきちんと確認するのが筋でしょう。そんな無責任な応対をするなら、しかるべきところに申し立てますよ

と、申し述べた。

マトリョーシカを順に開けていくと・・・ その2日後、再度、旅行代理店から電話があり、結局、
すべて同社の負担でハバロフスク行きを再手配、ということになった。ビザも急遽取り直しである。


 出発前から
とんだドタバタに巻き込まれたものだ。
 しかも、行き先は、何かと評判が芳しくないロシア。私は、お守り札を買うつもりで、今まで一度もかけたことがない旅行傷害保険を2人分申し込んだ。


 出発前から波瀾万丈。やはりこの旅は「恐ロシア」へのツァーなのか?
 次回は、いよいよテイクオフである。しかし、初めてのロシアへの旅は、出発便の飛行機からして・・・・。

-続く-

(2013/10/27)




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