(2012第9回)ぽんどの本場 8日間の旅−その3−
英国8日間の旅本番は、羽田発ヒースロー直行便で始まった。エコノミー席の3人掛けシートの真ん中に12時間缶詰になり、退屈と窮屈の二重苦に見舞われながら、やっと英国の土を踏んだ私。少年時代から一度は行ってみたいと思っていた国である。
【第2日目 10月9日(火)最初の訪問地、チェスターへ】
ヒースロー空港
到着口から入国審査室まで、空港内移動用の無料電車に乗る。早速、搭乗前に電源を切っていた携帯電話をスイッチオンし、海外モードに切り替えた。やはり、着信があったらしく、留守録が表示されている。この旅に出ることは、職場や家族以外には、ほとんど伝えていないので、日常モードの用件に違いない。
今、現地時刻でお昼過ぎの12:40。ということは日本では20:40なので、こちらからかけて非常識という時刻ではない。留守録の主、種崎さんに電話して「今、ヒースローです」と言ったら、驚いていた。
この空港は、入国管理の厳しさで有名だ。アラブ系の入国者には、特に厳しく、いろいろと尋ねるという。ロンドン五輪の頃は、入国審査の列に2時間も並ぶことが珍しくなかったと聞く。
どこの国でも、日本人、それも団体観光客には、審査は簡単なものだが、ここでは私たちの団体のお年寄りにも、いろいろ質問を投げかけている。英語が苦手な人がほとんどだろうに。添乗員の藤田さんは、たっぷり時間をかけて、いろいろ尋ねられていた。彼女のパスポートは、あちこちの国の入国スタンプで一杯だからだろう。
私の番が回ってきた。審査官のオジサンは、関係書類はしっかり見ていたが、質問も何もせず、簡単にスタンプを押してくれた。ちょっと拍子抜け。多分、私のパスポートが今年1月に更新したばかりで、他国への入国履歴は韓国1国だけだったことと入国カードに書き抜かりがなかったことが良かったのだろうと思う。
空路の次は陸路を延々と
ツァー一行38人が、入国審査を終えて、ヒースロー空港のロビーに勢ぞろいした。
現地係員の女性とともに添乗員の藤田さんが掲げる旗を目印に、バスへ移動する。空港の建物を出たとたん「寒い!」と上着の前を押さえた。こちらは、最高気温が12℃。高知なら2ヶ月先、12月の気温である。
バスの座席は、あらかじめ指定されていた。私たちは、最後部だが、座席は毎日変えていきます、と藤田さんが言う。有難い配慮だ。同じ旅行会社、同じ人数でドイツ、スイスなどを回ったときは、全行程自由席、要するに良い席の奪い合いだった。このため、道中、随分不愉快な思いをしたものだが、今回は合理的だ。添乗員のちょっとした配慮で、旅の印象は良くも悪くもなるものである。
にしても、これから最初の目的地、チェスターの町まで、なんと314km。約4時間半のバス移動である。最初、この旅の行程表を見た時、チェスターという町の位置を地図で確かめて、ヒースローからの移動は国内線の飛行機かと思ったほどの距離だ。12時間缶詰のあと、すぐにまた4時間半の缶詰。やれやれ。
石造りの家々
私たちの乗ったバスは、郊外に出て高速道路に入った。重厚な石造りの建物が並んでいる。観光施設ではない。人々が日々の暮らしを送っている住宅である。
「おお!英国だ」と思う。
そうした古めかしい建物の屋根に、太陽光発電用のソーラーパネルが置かれていたりする。
英国、正式名称「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」の面積は、244,820km2。日本の3分の2ほど。決して広大な国土ではない。しかし、高い山がなく、どこまでも丘陵が続いて、はるか遠くまで見渡せるような地形なので、広々、ゆったりした風景が展開する。傾き始めた太陽のもと、シルエットのように送電鉄塔が建っている。
この国の人口は、約6,150万人。ほぼ日本の半分。だが、この国から、米国、カナダ、豪州などに多くの人々が移民として出国し、新国家を建設していった。現在でも、エリザベス2世を君主と仰ぐ計16ヶ国からなる英連邦の中心である。
藤田さんが車中でマイクを持ち説明する。
「この国は、一言で言って、とても頑固な国です。衣食住、すべて、自分たちの気に入ったスタイルを変えようとしません。だから200年前の家にも平気で住むし、古い家の方が値打ちがあると考えています。EU加盟国ですが、通貨はユーロでなくポンド。日本だったら、不便と感じることはどんどん変えて行くのに、この国では、頑として不便なままで変えようとしないところがあります。そんなことも、これから、少しずつ感じられるかと思います」
チェスター
夕刻になってチェスターに到着した。この旅で最初の訪問地である。
恥ずかしながら私は、チェスターという町の名前さえ知らなかった。「マンチェスター」なら知っているけど、「チェスター」って何?という次第である。
調べてみると、イングランド北西部のこの町は、人口8万人足らずの小都市ながら、英国でも古い歴史を持つ城塞都市であった。AD79年頃、当時、この地を支配していたローマ人がウェールズとの戦いに備えて砦を築いたのが始まりだという。現在でも、中世に造られた城壁が、町の周りをぐるりと取り囲んでいる。
早速、私たちは、城壁の上に上がってみた。古い大聖堂が落ち葉の絨毯の中に端然と建っている。城壁の外には運河。中国・西安やドイツ・ローテンブルクなども城壁で囲まれた町だが、内と外とで、異民族や異教徒との戦いを繰り返してきたことだろう。
城壁から降りて街中に入ると、ティンバー・フレームドと呼ばれる木骨造りの建物が並んでいる。ドイツでもこの建築様式が見られたことを思い出す。そして、その建物群の2階部分にあるバルコニーが、回廊状につながっている。「ロウズ」と呼ばれる、言わばアーケードの商店街である。なかなか、趣のある町だ。
しかししかし!この寒さはなんだ!ジャケットこそ冬物だが、その下にカーディガンとポロシャツしか着ていない私は、寒い寒い。
既に辺りは暗くなり、ますます寒さが厳しくなるばかり。出発前に気温なども調べて、ある程度準備はしてきたつもりだが、「緯度の割には暖流の影響で暖かい」というこの国の「緯度の割には」という部分を甘く見ていた。
かみさんが「スカーフを貸しちゃおか?」と言うが「要らん」。男のやせ我慢である。
町の広場で全員集合し、バスに乗り込んだ時には、ほっとした。
【第3日目 10月10日(水)ハワーズ、湖水地方】
英国の朝食はおいしい
チェスターから30kmほどのランコーンという町で英国最初の朝を迎えた。私たちの旅は、同じホテルに2連泊を3回というスケジュールになっているので、今夜も同じ部屋だ。
早速、朝食をとりに行く。指定された時間より少し早めにホテル内のレストランへ行くと、既にツァーの人たちが大勢食事中だった。かなり早くから並んで、オープンを待っていたに違いない。朝の早い人たちだ。
さて、朝食は、いわゆる「イングリッシュ・ブレックファースト」。
卵、ソーセージ、ベーコン、マッシュルーム、焼きトマト、ブラック・プディング(豚の血で作った黒ソーセージ)、ベイクド・ビーンズ(豆の煮物)などに、トーストやクロワッサン。これにミルクと紅茶かコーヒーという内容である。
サマセット・モームは「イングランドでおいしいものを食べようと思えば朝食を三回食べよ」と言ったとか。「食べ物が不味い」と言われる英国だが、この朝食は評判が良い。
英国の朝食はがっつり
そもそも、ヨーロッパでは、トーストとコーヒーだけの「コンチネンタル」と言われる朝食が一般的で、朝食は簡単に済ませる地域が多いが、英国流は、とにかく「朝、がっつり食べて一日のスタートを切る」という考え方なのだ。
これに従って、私たちも、この「英国式朝食」をバイキング方式でたっぷりと食べる。
ただ、添乗員の藤田さんによると「皆さん、1回目に召し上がった時は、これはおいしい、と喜ばれますが、この先、どこのホテルに行っても、全く同じ内容だということに気づかれて、だんだん飽きてこられるようです」とのこと。そう言いえば、B航空の機内食も、朝一番に出たのは、これの簡易版だった。
「どこのホテルでも同じ」というのは、日本人の朝食がご飯と味噌汁に海苔、が定番になっているのと一緒なのかも知れない。
ただ、帰国後調べたところ、英国でも、こんなボリュームたっぷりの朝食は週末くらいで、普段はずっと簡単に済ませる人が多いようだ。
ハワース 1
今日は、ハワースという町へ行き、ここから湖水地方へと回る。
ハワースと言っても、知らない人が多いと思う。私も知らなかった。
ここは、「ジェーン・エア」「嵐が丘」などで知られるブロンテ姉妹が少女時代を送り、その短い生涯を終えた町である。3姉妹の父親は、北アイルランド出身、この町のパリッシュ教会の牧師だった。
そのパリッシュ教会の傍らに姉妹の記念館がある。私たちが訪れた時、教会は改修工事で入れず、記念館も開館時刻には早すぎて開いていなかった。しかし、記念館併設の売店は、しっかり店開きをしていて、いろいろな土産物を売っていた。その横は牧場になっていて、なぜか馬が一頭だけ、私に近寄ってきた。
ハワース 2
近くには「嵐が丘」の舞台になった荒野が広がっているそうだが、町そのものは、とてもかわいい。姉妹の兄が文学にも絵画にも絶望して、アヘンを買っていたという薬局も、現役で残っていた。あっ、もちろん、今ではアヘンなんかは売っていないので、念のため。
そのすぐ近くに郵便局があったので、娘に絵葉書を出すため、ここでエアメール用の切手を買った。1枚87ペンス=約110円だった。
ハワースは、小さな町である。その小さな町を歩いていると、私たちと同じ旅行会社のワッペンを付けた日本人団体がぞろぞろ。同じワッペンだが、色が違うので、別のツァーだ。この旅行会社、なかなか繁盛しているらしい。
ちなみに、私たちは、北海道から山口県までの在住者による混成チーム。別ツァーの人たちは、どこから来たのだろうか。
ぽんどの旅、次回は、お目当てのひとつ湖水地方へ。
しかし、到着までに、英国につきものの、ある事情によって、脂汗の辛苦を味わうことになろうとは・・・。
−続く−
(2013/04/06)