(2012第3回)片道90分の海外旅行−その3−


 王政時代の施設を復元した広大な王宮の敷地内を歩く私たち。ひとしきり、韓流ドラマの舞台を見聞した後、オバサンたちは買い物に走り、黒一点の私は、暇をもてあます。

【第2日目 2月13日(月) ソウル市内】

景福宮−3−

興礼門の「衛兵」 ゴッドヌナこと、ガイドの朴さんの早足を追いかけながら、景福宮の構内に入っていく。今日も、この季節のソウルにしては暖かいというが、気温は
0℃を少し超えるくらいである。寒い!

 私とかみさんの服装は、分厚いダウンジャケットに耳あて、下着もヒートなんとか、という
厳寒仕様である。着膨れしたボンレスハムが歩いているかのようだ。かみさんは、身体はもとより、靴の中にまで使い切り懐炉を入れている。

 旧総督府の撤去後に復元された
興礼門(フンレムン)には、王制時代の装束をまとった衛兵が立っていた。「横に並んで撮影してもいいですよ」と朴さん。早速私たちも、衛兵と記念撮影。この衛兵たち、多分、本物の軍人ではなく、この施設の職員なのだろう。寒い中、直立不動で、ご苦労なことである。

景福宮でも最大の建物である「勤政殿」 王宮の正門である
光化門(クァンファムン)からまっすぐ進むと、ひときわ大きな建物が見える。王宮内で最大の建物である勤政殿(クンジョンジョン)である。19年前には、雨の中、ここに鮮やかな韓服を着た女性たちがいて、日本語で「記念撮影はいかがですか?」と言われたことを思い出す。

 勤政殿には、国王の玉座が据えられていた。だが、ここは、大きな儀式や外国使節の謁見など、特別な行事の時にだけ使用され、通常の政務は、その奥の
思政殿(サジョンジョン)で執っていたという。

景福宮−4−

前面の池が結氷した「慶会樓」 この宮殿の中で最も美しいと言われるのが
慶会樓(キョンフェル)。祝い事があった時に宴会が催される建物である。前面に池があるのだが、この寒さで結氷していた。

 この建物をバックに記念撮影していたところ、
携帯電話が鳴った。しかし、重ね着、着膨れしているため、なかなかズボンのベルトに付けている電話機にまで手が届かない。何度か呼び出し音が続いた後、切れてしまった。

 着信表示を見ると勤務先からだった。
「緊急の用事かも?」と思いつつ、かけなおすと、職場の女性は、普段どおりの落ち着いた口調で「○○事業所のCさんのお母様が亡くなられたそうです。お香典はどうされますか?」と言う。私が今、韓国ソウルにいるとは知らず、高知市内にかけているつもりで電話をしてきたに違いない。以前、北海道の宗谷岬や小樽市内にいる時にも、日常の用向きの電話を受けた。日本から海を越えて、懐の機械へ声が飛んでくる。李氏朝鮮時代の人たちが聞いたら腰を抜かすことだろう。

景福宮−5−

景福宮の正面入口に当たり衛兵が立っている「興礼門」全景 推定身長175cm。私がひそかに「ゴッドヌナ」と名づけた朴さんの説明は、なかなか丁寧で分かりやすい。

 かみさんは、当時の王宮の王様やお后様、女官たちの生活ぶりについて、興味深げに頷きながら聞きいっている。韓流ドラマにどっぷりはまっているためか、韓国は初めてなのに、この国の宮廷のことや当時の庶民の生活ぶりなどは、
私よりもずっと詳しいのだ。

 ここで聞いた話の中で、印象に残ったことを記しておこう。

宮廷内は、通いの人よりも住み込みの人が多かった。全体の7割までが女性。一旦王宮に入ったら、
一生この敷地から出ることなく過ごした。

「勤政殿」内の玉座歴代の王様の平均寿命は40歳代。政務のストレスが多いためか
短命だった。

お后は、12〜15歳くらいで結婚して出産した。このためか、
長子は夭逝することが多く、長男が世継ぎになった例は、あまり多くない。

王宮内の女性にとって
最大の勤めは、王様の男児=王子を産むこと。王子を産み、その王子が王位を継承すれば大成功。そして、その一族も栄達した。

宮廷を舞台にした韓流ドラマは、筋書きを面白くするため、かなり史実と離れた脚色がなされている。いくら聡明でも、庶民の女の子が王様とラブすることは
あり得なかった。 

仁寺洞

仁寺洞の町並み 景福宮を出たあと、私たちが向かったのは骨董の町として知られる
仁寺洞(インサドン)。今では、喫茶店や土産物店が並ぶ有数の観光スポットとして知られている。景福宮では、中国人団体の声高な話し声が飛び交っていたが、こちらは日本人観光客が多数派なのか、日本語がよく聞こえてくる。

 かみさんと一緒に、いくつか店を覗いてみる。入店する時、
「アンニョンハセヨ」と声を掛けるのがこちらの作法だと聞いていたので、そのとおりにすると、必ず「アンニョンハセヨ」と返してくれるのが嬉しい。続いて店員さんは「何をお探しでしょう」と日本語で尋ねてくる。これは、この先、どこでも同じだった。なぜすぐ私たちが日本人だとわかるのだろうか?

 にしても、19年前にこの国を訪れた時には、一流デパートでさえ店員たちは、笑顔など見せず
愛想は良くなかった

 あとで、この国では、
「水商売以外の女性が初対面の人に笑顔を見せるのは、はしたない」とされていると知ったが、今回は、随分、接客姿勢が変わっている。日本で買い物をする時と比べて、ほとんど違和感がないのである。ある意味、この国の小売業も変化したのかも知れない。

くるまみんじゅうを売っていたお店 この町で私たちは、李大統領が外国訪問時に持参するという「くるみまんじゅう」などを、お土産として買った。何万ウォン、という数字に一瞬たじろぐが、何のことはない。1万ウォンが日本円で70O円くらい。日本の輸出産業には申し訳ないが、旅行者にとって円高ウォン安は
財布に優しい。
 
参鶏湯

私が賞味した参鶏湯 さて、そろそろお腹が空いてきた。今日の昼食は
参鶏湯(サムゲタン)。ご承知のとおり、鶏一羽をまるごと使い、もち米、高麗人参、ニンニク、ナツメ、クリなどを詰めて煮込む料理である。

 日本でも何度か食したことはあるが、本場の味はいかに?
 いや、本当に
おいしい!スープにほどよい味がついていて、文句なしにおいしい!

 そして、当然のように「メクチュ・チュセヨ(ビールを下さい)」と注文。
昼間から飲むビールこそ、まさに海外旅行の醍醐味。良い気分である。

 格安パックなので、料理にはあまり期待してなかったが、これは
望外の幸というべきか。


オバサンは買い物に オジサンは・・・

ソウルの免税店内部 免税店ってどうしてこんなに世界中どこでも同じような内装なのだろうか さてさて、お腹が一杯になったあとは女性たちお楽しみの買い物タイム。

 このツァーでは、
免税店や土産物店のハシゴが行程に入っていて「離団はお断り」という条件になっている。要するに、こうしたお店からのバックマージンを見込んで価格を安く設定しているのである。

 女性陣は大喜びであれやこれやと店内を見て回るが、私のような買い物に全く興味がないオジサンは
退屈きわまりない。そもそも、団体観光客が案内されるようなお店の販売価格って、市民が買い物をするようなお店に比べてどれほど高く設定しているのだろうか。オジサンは、アホらしくて仕方ないのである。

 と、ブツブツ言っていたら、足手まといと見たか邪魔くさいと見たか、かみさんが
「コーヒーでも飲んでいたら」と言う。お言葉に従って、最上階の喫茶店で居座ることにした。 

自由行動の行き先は?

免税店最上階の喫茶店前から見たソウルの町並み 免税店2軒をハシゴして、明洞でやっと解散になった。既に15:30を回っている。

 ここで、同じツァーのオバサン数名が、見知らぬオジサンに案内されて、そそくさとタクシーに乗り込んだ。
「えっ?どこへ行くがやろう?」と私。かみさんは、知っている様子。
「どこへ行きゆうが?」と重ねて聞くと、偽ブランド品を買いに行くがやと」

 ははあ、なるほど。彼女たちは、ゴッドヌナことガイドの朴さんに頼み込んで、そういう業者と連絡をとったのだ。あのオジサンは、その案内人だったのである。
 日本帰国の時に、税関でみつかったら、全部没収されるのに。

 
 さあ、私たちも自由行動。次回は、ここで見聞したあれこれをご紹介しよう。


−続く−

(2012/03/22)





トップページへPondsanの落書き帳表紙へ