(2012第12回)ぽんどの本場 8日間の旅−その6−
今日は、この旅の目玉のひとつ、コッツウォルズ地方を回る。例のイングリッシュ・ブレックファーストをしっかりお腹に納めて、いざ出発。
【第5日目 10月12日(金)コッツウォルズ地方−1−】
バイブリー
民話の挿絵そのもの
コッツウォルズ地方は、イングラント中央部の丘陵地帯にあり、古くから羊毛の交易で栄えてきた。そもそも「コッツウォルズ」とは「羊の丘」という意味である。「蜂蜜色」と言われる黄色みを帯びた石灰石=ライムストーン=を積んだ古い建物が並ぶ小さな村々があちこちに散在し、人気を呼んでいる。
そうした村の中で、まず向かったのはバイブリー。人口630人ほどの小さな村である。雨上がりの澄んだ空気の中、石積みの家々が見えてきた。
青空の下、小川が流れ、白鳥やカモが泳いでいる。その水のきれいなこと。清流は日本の専売特許かと思っていたが、イングランドの小川もたいしたものである。小川の畔には、赤く色づいたツタがからまる石造りのホテル。その名も「スワンホテル」が建っている。
バスから降りて、ぞろぞろと家の間の小道を散策する。こうした観光地に来ると、大勢の観光客でごったがえしていて、事前に描いていたイメージとの落差にがっかりすることが多いものだが、今日は朝早いためか、団体は私たちだけ。本当に静かな中、昔の面影をそのまま留める村の小道を歩く。
月並みな言い方だが、民話の絵本の挿絵そのものである。
にこやかな村人
村の家々は、すべて石積み。建築後200年も経っている家も多いというが、これらは観光用に造られたものではなく、現に村の人たちが生活している住居である。窓から室内を瞥見すると、当然のことながら、テレビなどの電化製品が並んでいた。
時折、犬を連れた村の人たちと出会う。「賢そうなワンちゃん」と一行の女性陣から声が上がると、言葉は分からなくても、気持ちが伝わるようで、村人は、微笑を返してくれる。村の人たちが、観光ずれしていないことが嬉しい。
この村では、マスの養殖をしていて、名物料理もマス料理なのだそうだ。残念ながら、こちらの方は賞味する時間がない。川を泳いでいるカモたちは、どうやら、養殖場から逃げ出したマスをエサにしているらしい。
ボートン・オン・ザ・ウォーター
車窓
私たちのバスは、バイブリーを後にして、引き続きコッツウォルズ地方を巡る。
村から村への移動中も、緑の芝生、牧場、木立など、なぜこれほど美しい景色が、と思うほど。
車窓の美しさは、スイスも同じだったが、こちらは、スイスと違って高い山がなく、なだらかな丘陵が続く。芝生の間には、石積みの境界。羊、牛、馬などが悠然と草を食む。服を着せられた馬が目立つのは、寒い国だからだろうか。これって愛馬精神から?
コッツウォルズのベニス
さて、コッツウォルズ地方、次なる目的地は、ボートン・オン・ザ・ウォーター。その名のとおり、水の町である。人口3,150人ほどの町の中心部をウィンドラッシュ川というきれいな川が流れ、「コッツウォルズのベニス」とも呼ばれている。
本物のベニスには行ったことがないが、規模は、こちらがはるかに小さいかと思う。しかし、川の水は澄んでいて、ここでもカモたちがのんびりと泳いでいる。
その水面に、青空とこぼれるような並木の緑が映り、その周りは、広々とした芝生が敷き詰められ、子供たちが遊んでいた。
そして、家々は、歴史を感じさせるライムストーンの石造り。町には、可愛い小物や雑貨を並べた商店やカフェテラス。
何を見ても、ゆったりと時が流れているかのような心地よい光景である。
私は、街中のお店で絵葉書を買い求め、一昨日ハワースで買った切手を貼って、郵便局から娘宛てに国際郵便を発送した。
モデル・ヴィレッジ
ボートン・オン・ザ・ウォーターには、町並みを9分の1に縮小し再現した「モデル・ヴィレッジ」がある。
入場料を払って構内に入ると、よくもまあ、こんなに精巧に作ったもの、と感心するようなミニチュアの町が出来ていた。かわいい小さな石造りの家々や通りを見下ろす私たちは、ガリバーになったような気分である。同じツァーの人たちの顔が、屋根の上に見え、みんな互いに写真を写しあっていた。
ストラトフォード・アポン・エイボン
次に向かった町、「ストラトフォード・アポン・エイボン」と聞いて、ピンとくる方は、かなり英文学に詳しい方ではないだろうか。恥ずかしながら、その方面に何の造詣もない私は、「エイボン川に面したストラトフォード」という意味を持つ、この長い名前の町を知らなかった。
そう。この町は、英国が生んだ大作家、シェークスピアのふるさとである。
ウィリアム・シェークスピア(1564-1616)は、この町の裕福な家庭に生まれた。
父は、市長も勤めた名士だったが、羊毛の闇市場に関わったことがきっかけで市長職を失い、家も没落する。しかし、シェークスピアは、20歳過ぎにロンドンに出て、演劇の世界に入り、やがて劇作家として頭角を現していく。彼は、高等教育を受けることこそなかったものの、鋭い人間観察、心理描写などを特徴とする優れた文学作品を次々に発表。このあたりは、私などがあれこれ書くまでもないだろう。
私たちは、シェークスピアやその妻の生家を見て回った。どことも団体客が詰め掛けていて大賑わい。それも欧米人の団体が多い。コッツウォルズの静かな田舎町を回ってきただけに、その違いに戸惑うほどだ。さすが、大作家ゆかりの地である。
ウェストンバート国立公園
甲子園球場63個分の広さ
コッツウァルズ地方、本日最後の目的地は、ウェストンバート国立公園。
ここは、このツァーでは、この季節、つまり紅葉真っ盛りの時期限定の訪問先とされている。私も、出発前からおおいに期待していた。600エーカーというから約243ha、つまり甲子園球場63個分もの広大な敷地に3千種、1万6千本の樹木や潅木が植えられており、紅葉が素晴らしいという。
ここで、ツァー一行が、まずトイレへ。これが曲者だった。男性用はよいとして、女性用の個室が少ないのである。行列に並んだかみさんを待つうちに、時間が経ち、散策スタートに後れをとってしまった。出発前に藤田さんから、構内で迷子になって集合時間に遅れないよう言われたこともあるし、とにかく園内が広いので、いくつかある散策コースでも、短めのコースを回ることにした。
緑の絨毯を敷き詰めたような芝生、深い森。その中を散策用の小道が続く。そぞろ歩く人たちは、自然を満喫するかのように、ゆっくりと歩を進めている。その数は少なくはないまでも、混雑してはいない。日本なら、この時期、紅葉の名所は、どこも人の波で大変なことになっているはずである。かつて、京都・東福寺を訪れた時、一歩前に進むにも難儀したことを思い出す。
が、しかし、ここ英国の国立公園では、肝心の紅葉が見当たらない。どうやら、私たちが回っている短縮コースには、紅葉がないらしい。ちょっとがっかりである。
心地よい同行者
集合場所に戻ると、同じツァーの人たちが屋外カフェテラスでお茶を飲んでいた。私たちも、紅茶を注文して雑談の輪の中に加わる。
「○○さんは、鹿児島の生まれなんだって。だから、バッキンガム宮殿へ行ったら、女王陛下に薩英戦争のお詫びをするんだってさ」
「ははは!私は土佐だから、幕末に長崎で龍馬を支援してくれたお礼を言いましょうか」
こうしたツァーは、日本人同行者がどんな人たちか、によって旅の印象が大きく違ってくる。今回は、一行38人という大人数なのに、身勝手な人、自己中な人が混じっておらず、毎日心地よく過ごせていることは幸いである。
また、雑談の中で、出発遅れの原因となったトイレが、実はすぐ近くに規模の大きいものがあることを教えられて、ちょっと損した気分になった。これさえ分かっていれば、紅葉が植わっている所にも行けたのに。
【第6日目 10月13日(土)コッツウォルズ地方−2−】
カッスルクーム
英国一美しい村
この旅も終盤に入った。今日は、コッツウェルズを回った後、いよいよ最後の訪問地、ロンドンへと向かう。
この日、コッツウォルズ地方で最初の目的地は、カッスルクーム。人口350人ほどの小さな村ながら、「英国一美しい村」とも言われるところである。
2日連泊したグロスターという町から67km、バスで約1時間半ほど走るとそのカッスルクームである。この村も、朝早いためか、私たち一行以外には観光客は見られず、ひっそりとした中、赤く色づいた蔦をまとった石造りの家々が並んでいた。
この村は、200年前の写真と風景が全然変わっていないそうだ。日本なら、土産物店や派手な広告の看板が並んで、たちまち「どこにでもある観光地」と化してしまうところだろう。
村の中には、古い小さな教会。セント・アンドリュー教会というそうだ。200年前の人々が、当時の服装のまま、ドアから出てきそうな雰囲気である。
ここでも、村の中に清流が流れている。その川べりに、古びた木製のベンチが。
消えかかった文字の一部が「チャールズ」と読み取れる。ここは、チャールズ皇太子とダイアナさんが結婚前にデートを重ねた場所であり、この椅子は、二人が並んで座っていたものなのである。
私も座ってみた。澄んだ空気、清らかな川の流れ。ロイヤルカップルならずとも、若い二人が愛を語り合うにふさわしい場所だ。
ただ、この椅子、皇太子が再婚されたためか、手入れはされず、古びるに任されているという。
ぽんどの本場への旅、次回は、世界遺産に指定された美しい街、バースを経て、ロンドンへと向かう。
折り鶴を現地の子供たちの前で折ってプレゼントする同行者になごまされ、夜はパブのビールに酔う。
次回もお楽しみに。
−続く−
(2013/04/27)