(2012第11回)ぽんどの本場 8日間の旅−その5−
ビートルズ誕生50周年のこの年、その発祥の地、リバプールを訪れた私たちは、13階建てビルに相当する高所を舟が行き来するという世界遺産に向かっている。
【第4日目 10月11日(木)ポントカサルテの水道橋とアフタヌーンティー】
ナローボートと水道橋
かつては陸運の主役
雨が降り続く中、私たちは、リパプールを後にして、ウェールズへと向かう。
目的地は、世界遺産「ポントカサルテの水道橋」。高さ38m、長さ307mの橋の上に水路があり、「ナローボート」という、その名のとおり横幅が狭く縦に長い舟が航行する、という構築物である。
産業革命以降、英国では、運河が網の目のように掘られ、陸上輸送の動脈として発達した。
当時、エネルギー源として重要な役割を果たしていたのは、石炭。「産業のコメ」とでもいうべき石炭の輸送手段として活用されていたのがナローボートだった。
そして、後に鉄道にとって替わられるまで、舟運は、陸上輸送の主役となり、町から町へと運河が掘られたのである。運河の脇には小道があり、馬がボートを引っ張りながら、移動していた。また、地形によっては、今日の鉄道橋や道路橋と同様に水道橋が造られたところもあった。その英国一の規模のものが、この「ポントカサルテの水道橋」というわけである。
水路版「道の駅」と「ジャンクション」
バスを降りるとすぐに舟だまりのような場所があり、カラフルなナローボートが何艘も繋留されていた。
現在、これらのボートは、貨物の運搬という役目はほぼ終えて、もっぱらレジャーに使われている。だから、ボートには、台所やベッド、トイレなどが備えられ、小型のエンジンも搭載して、のんびりと町から町へと移動していくのだそうだ。ナローボートは、レンタルが出来て、運転操作は簡単な講習だけでOKだとのこと。
こうした舟だまりは、「道の駅」のように、あちこちに設けられていて、ボートに乗ってきた人たちは、ここで水や食料を積み込み、トイレの汲み取りをしていくのだとか。舟だまりの近くには、水路が枝分かれしていて、道路のジャンクションのようにもなっていた。
13階建てビルの高さを舟が
水路の先が水道橋であった。小雨の中、別の日本人団体が、ぞろぞろと歩いてきた。先に渡り終わって引き返してきたのだ。よく見ると我々と同じ旅行会社のワッペンを付けている。「どちらから?」と尋ねると「名古屋から」と言う。
水道橋には、水路の脇に狭い人道があり、そこを恐る恐る歩いていく。昔はここを馬が歩きながらボートを引いたのだろう。
下を見下ろすと、はるか谷底に川が流れていた。高さ38mということは、13階建ビルほどの高さである。高所恐怖症の人ならずとも、あまり見下ろしたくない光景だ。
向こうから、ナローボートが2隻、相次いでやってきた。中学生くらいの女の子の団体の舟と家族連れと思われる人たちが乗った舟だ。手を振ると、ボートの中からにこやかに手を振り返してきた。のんびりと家族旅行を楽しんでいるのだろうか。
橋から引き返してきて、今度は坂道を下り、斜面から橋脚を見上げてみた。改めてその高さに感じ入る。この橋は、1805年の完成。今から200年以上も前に、人力で石を積み上げながら、こんな構造物を造っていったとは!なんともすごいことをするものである。
この「ポントカサルテの水道橋」は、2009年、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。
アフタヌーンティー
団体ツァーにおける「工場見学」とは
世界遺産を堪能したあと、再びイングランドへと引き返す。目的地は、今回の旅の目玉、コッツウォルズ地方。
その前に、腹ごしらえ。昼食である。私たちのバスは、有名な陶器の工場へと向かう。「有名な」と言いながら、無粋なオジサンである私は、1759年創設、一種のブランドであるその陶器メーカー「ウェッジウッド」の社名さえ知らなかったのだが。
だいたいが、こうしたツァーで「工場見学」というのは、構内の売店で買い物をさせることが主目的で、工場内部の見学は付録みたいもの、というのが普通である。
今日の昼食は、この工場兼展示施設構内の「ビジターセンター」のレストランで「アフタヌーン・ティー」だという。「アフタヌーン・ティーって、日本でいうおやつみたいなものだから、それを昼食っていうのは、おかしいんじゃない?」と思いつつ、建物の中に入る。
団塊の世代
ここで、従業員とちょっとしたやり取りがあった。添乗員の藤田さんがレストラン側と何か交渉している間、私たちは、雨が降っていたこともあって、ビジターセンターの建物の中、入り口付近で待っていた。
そこへ女性従業員が来て、(もちろん英語で)「あなた方は、韓国の団体ですか?」と尋ねるので、メンバーの一人が「いや、日本のツァーです」と答えると「ここではなくて、向こうの方へ回ってください」と言う。藤田さんが「ここで待っていてください」と言ったので、ここにいるのだ。ヘタに移動すると混乱する。
ここでリタイヤ組の上田さんが登場。滑らかな英語で「今日は雨が降っていて寒いから私たちはここで待っているのです。添乗員さんが、向こうで話をしているので、それが終わるまで、ここに居させてください」と答えた。
うーん、さすが!決して難しい会話ではない。しかし、ツァー全員環視の中、ネイティブ相手に、英語で自分たちの立場をしっかり説明するなど、なかなか出来るものではない。日本人の場合、「通じなかったどうしよう」と腰を引いてしまう人が多いのでないだろうか。団塊の世代=上田さん、男を上げた一幕である。
英国流アフタヌーン・ティー
さて、昼食の準備が整って、レストランで席に着く。
ここで、昼食が「アフタヌーン・ティー」って?という話に戻ろう。
要するに「アフタヌーン・ティー」は、英国発祥の喫茶習慣であり、主に女性の社交の場として定着してきたものである。
英国では、三段重ねのティースタンドにサンドウィッチ、スコーン、ケーキを載せて供せられ、ポット入りの紅茶を飲みながら、会話を楽しみつついただく。
まあ、そういうことは知ってはいたが、実際にテーブルの上に並べられたものを見ると、なるほど、これは「おやつ」などというものではないことに気づく。要するに、英国人には「アフタヌーン・ティー」であっても、私たち日本人が見ると「3度の食事」のひとつに数えた方がよいと思うほどのボリュームなのである。
同行者の皆さんと「カロリー高そう」などと言いあいながらも、私たちもしっかり食べて、お腹一杯になった。
そんなこんなで、いつものことながら、陶器の工場やら売店やらは、瞥見するだけにした。「ウェッジウッド」は、高級品として知られているそうだが、重量はあるし梱包はしてくれても割物ではあるし、などと勝手なことを言って、何も買わずにバスに戻った私である。
【第5日目 10月12日(金)コッツウォルズ地方−1−】
非常ベル
11日は、コッツウォルズ地方の町、グロスターのホテルに旅装を解いた。
その夜、正確に言えば12日早朝、その「事件」は起きた。
深夜午前2時頃、突然、けたたましいベルの音に眠りを破られたのである。私たちは、「何の音かな?」「暖房機の故障やない?」というお間抜けな会話を交わして、部屋の外を覗くことさえせず、そのまま毛布をかぶった。
翌朝、バスの中で藤田さんが
「昨夜、非常ベルが鳴りましたが、このツァーの方々は、どなたも部屋から出てこられず、私に電話もかかってきませんでした。私の部屋の周りでは、女の子がパジャマのまま飛び出したり、下着姿のオジサンが庭に出たり、で大変な騒ぎになっていたのに。実際は、ベルの誤作動ということで、何もなかったのですが、やはり、外国人と日本人とでは、非常ベルに対する反応が全然違うんですね」
彼女は、こういう風にやんわりと言ったが、これが本物の火災などだったら、大変なことになっていただろう。万一の場合、彼女自身なり旅行会社なりの責任問題に発展しかねないので、藤田さんにしてみれば、これは由々しき事態なのである。
その点、テロなどに対して敏感な欧米人は、全然違う。非常ベルが鳴れば、それは非常事態を知らせるものだ、という至極当然のことを前提に行動し、何もしないで死傷したらそれは自己責任、というのが彼らの常識なのだ。
平和ボケというのか、非常ベルが鳴っても「たいしたことないだろう」「どうせ誤作動だろう」と、事実確認さえしようとしない私たち日本人。もちろん私も、その一人である。うーん、反省!
ぽんどの本場への旅、次回は、このツァーの目玉、コッツウォルズ地方。蜂蜜色の石造りに家々が並ぶかわいい村々の風景をお楽しみに。
−続く−
(2013/04/20)