(2012第10回)ぽんどの本場 8日間の旅−その4−
英国に来て一夜明け、朝からイングリッシュ・ブレックファートをがっつりお腹に納めた私たち。今日は、「嵐が丘」などで知られるブロンテ姉妹を生んだハワースを訪れた後、風景明媚な湖水地方へと向かっている。
【第3日目 10月10日(水)ハワーズ、湖水地方】
湖水地方への道は
ハワースを後にして、湖水地方ウィンダミア湖の畔、バウネス(「ボウネス」とも表記される)という町へと向かう。106kmの距離だ。2時間半かかるので、私たちの昼食も13:30と、少し遅めになる。
この旅に出ることは、周りには、ほとんど言わなかったが、言った人からは必ず「英国ですか。湖水地方には行きますか?いいですね」という反応が返ってきた。私も、湖水地方の風光には大いに期待していた。
道中、英国の田舎の美しさには、嘆息の連続。
羊や牛が草を食む牧場、芝生を敷き詰めたような丘。この国でゴルフが始まった理由がよく分かる。なにしろ、どこへ行ってもゴルフ場の中を走っているかのよう、なのだ。
また、羊が多いのは、かつてこの国が毛織物で栄えた名残だという。
しかし、雨粒がぽつりぽつりと車窓を打ち始めた。英国では、一日の天気が変わりやすく、晴れていても急ににわか雨が降りだすので、雨具が欠かせないのだそうだ。英国紳士がこうもり傘をステッキの代わりに持っているのは、決して格好を付けるためではないのである。
融通の利かない国
うん?車の流れが停まった。延々と車列が続いている。
「ああ、道路工事にかかってしまいましたね。この国では、夜間の工事というのはせず、いつも昼間にこれをするんです。渋滞になろうとどうなろうと、平気で車を停めます」
と添乗員の藤田さん。
そうだったのか。それにしても、なかなか動かない。実は、私は、そろそろトイレに行きたくなっていた。早く動いて欲しい。目的地に着いて欲しい。
やっと動き始めた。が、しばらくして、また道路工事。これはたまらない。結局、目的地が近づいてから3回も道路工事に遭遇した。なんという頑固な国だ。なんという融通の利かない奴らだ。うーーん、早く動いてくれ!
ピーターラビット
やっとバウネスに到着。昼食場所のレストランに入ってトイレに直行。ふーー、間に合った。バス旅行は、これがつらい。加齢もあってかトイレが近いのである。
さて、イングランド北西部、湖水地方観光の拠点ともなっているこの町は、ウィンダミア湖の畔に位置し、中世の面影を残すリゾートの町。夏の観光ピークには、人であふれ返るという。10月の今でも決して観光客は少なくない。
私たちは、この町でウィンダミア湖の遊覧船に乗るのだが、その前に自由時間を利用して「ビアトリクス・ポターの世界」という展示館に立ち寄った。
ビクトリクス・ポター(1866-1943)は、「ピーターラビットのおはなし」で知られる絵本作家。
彼女は、湖水地方の自然を乱開発から守るため、ナショナルトラスト運動に賛同し、遺言により4,300エーカー(約526万坪)と15の農場、コテージをこの運動に寄付した。今日、湖水地方が徹底した自然保護の下、その風光明媚な景観を守り続けているのは、彼女とその遺志を忠実に守った夫やその仲間たちの努力によるところが大きい。そして、ご承知のとおり、この運動は、世界に拡がっている。
展示館「ビアトリクス・ポターの世界」では、彼女の絵本に登場する動物たちの人形が、その物語に沿って展示されている。娘が幼い頃、ピーターラビットを好きだったことを思い出した。
ウィンダミア湖
展示館に喫茶室があり、かみさんが「お茶を飲みたいな」と言う。要するに、私に英語でお茶を注文してくれ、という意味である。
おいしい紅茶を飲んだあと、集合場所となっている遊覧船発着場へ赴く。湖畔では、人懐こい白鳥や鴨など水鳥が、観光客たちにパンくずなどをねだっていた。
遊覧船は、2階建て。2階部分の甲板に椅子が並べてあって、周囲の景色がよく見られるようになっている。同行者の多くは、その2階席に座ったが、私たちは、囲いがなく風が吹き付ける2階席を敬遠して1階の部屋に入る。雨はやんだが、曇り空で寒いのだ。窓が小さくて景色は見えにくくても、暖かいほうがよい。
やがて出航。ウィンダミア湖は、イングランド最大の面積をもち、幅1.6km、長さ17kmと南北に細長い氷河湖である。窓の外、湖畔には、別荘と思しき建物や紅葉した木々が次々に現れる。湖面すれすれにカモメが舞う。
しかし、湖面は鉛色の空を映して明るさが感じられないし、湖畔の風景も寒風にくすんでいる。晴れていたら、印象は全然違っていただろうに。
同じツァーの吉田さんご夫妻と話が弾む。山口県宇部市から参加されたリタイヤ組で、今、四国88箇所を回っているのだという。私も、定年まであと2年少々。リタイヤ後は、旅行を楽しみながら、のんびり過ごすことを夢見てきたが、果たしてどうなることやら。
やがて、2階席にいた人たちが、次々に1階席に下りてきた。みんな寒いのだ。
湖のクルーズは40分程度で終了。天候のせいもあって、期待が大きかった割には、いまひとつ、という印象の湖水地方だった。
ホテル内パブ
ウィンダミア湖からランコーンのホテルへと戻って夕食。
この旅の食事で興味深かったことのひとつに、どこでも飲み物の注文がパブ形式になっていたことがある。
つまり、客がカウンターまで足を運んで注文し、現金を払って飲み物を受け取ったあと、自席に持ち帰って飲む、というやり方である。面倒なようだが、明朗会計かつチップに気を使う必要もなし。いたって合理的だ。
私も、「ギネス、1パイント、フリーズ」というように頼み、2杯目は、またカウンターへ行って別の銘柄のビールを注文、という調子で楽しんだ。なおパイントとは、568mlで日本の中ジョッキサイズ。8パイントが1ガロンである。ハーフパイントを注文することも出来る。
ちなみに、ドイツなどでもそうだったが、ここでもミネラルウォーターの方がビールよりも高い。この国では水道水も飲めるが、硬水なので、敏感な人は、ミネラルウォーターを買う方が無難なのだ。
そんなわけで、アルコールが苦手な、かみさんの飲み物は、もっぱらコーラ。注文の都度、パブのオジサンに「アイスは要るか?」と聞かれるので、3回目からは「コーク アンド アイス、プリーズ」と注文するようにした。
【第4日目 10月11日(木)リバプール、トレヴァーなど】
港町リバプール
4日目は、あいにく朝から雨模様。傘を差しながらバスに荷物を積み込み、リバプールへと向かう。
ご承知のとおり、リバプールは、産業革命の町、そしてビートルズが生まれた町。しかし、いまどきの若者には「サッカーのレッズこと、リバプールFCの本拠地」と言った方が分かりやすいそうだ。
郊外には発電所なども見えて、この町が工業都市だということが実感できる。
街中に入ると、さすがに人も車も多い。人口は約45万人。アイリッシュ海に面した港町である。ちなみに、あのタイタニック号の母港は、このリバプールだった。今年は、遭難からちょうど100年に当たる。
また、この町は、アフリカで捕らえた奴隷を新大陸へ売り飛ばすための「奴隷貿易港」として飛躍的な発展を遂げた、という暗い歴史も抱えている。
ビートルズ
リバプールには、対岸のアイルランドからの移民が多く住み着いた。
この町が生んだスーパー・スターであるザ・ビートルズも、メンバー4人のうちリンゴ以外の3人がアイルランドにルーツを持つ。
今年は、このグループのデビュー50年(「ラヴ・ミー・ドゥ」を発売した年をデビュー年とした場合)ということで、英国でも、再度注目を集めているのだという。
古い階級制度が残るこの国で、鬱屈した若者たちの気持ちをつかんだ彼らは、不良グループのように見られていた。しかし、大ヒットに次ぐ大ヒットを飛ばし、海外でも熱狂的に迎えられた。そして、外貨獲得に貢献したとして、女王陛下から勲章をもらったこともよく知られている。今、この町の郊外の空港は、「リバプール・ジョン・レノン空港」と名付けられている。
大聖堂からビートルズ誕生の地へ
私たちは、英国国教会の中でも欧州最大の規模を誇りネオゴシック様式のリバプール大聖堂を訪れた後、ビートルズ誕生の地、キャバーンクラブのあるマシューストリートへと向かった。
実は、ここは旅程には入っていなかったのだが、添乗員の藤田さんが、バスのドライバー氏に頼み込んでくれて、回ってもらったのだ。「ビートルズ誕生50年の節目の年にリバプールまで来て、マシューストリートには寄らなかった」っていうのは、いかにももったいない、という配慮である。聞けば、この国では労働者の勤務管理に厳しくて、ドライバー氏に予定外の行程を回らせることは、難しいのだという。
ビートルズには、たいして興味も関心もない私でも、こういう配慮は嬉しい。
行ってみると、藤田さんに聞いたとおり、マシューストリートは、ほんの短い通りだった。ここがビートルズファンの聖地なのである。雨の中、私たちは、再建されたキャバーンクラブやジョン・レノンの像の前で写真を写してバスへと引き上げた。
英国の旅、次回は13階建てビルほどの高さの水道橋の上を、舟がのんびりと進む様子や、なぜか昼食が「アフタヌーンティー」だったという話などをご紹介したい。
−続く−
(2013/04/13)