【 Manjari 】     
      





これは
サウス・ブルーのどこかで
いつかあった ささやかなできごと







「ベン、何してんだ」

「目が覚めたのか、ちょうどいい」
 振り向きはせず、ベンは作業を続ける。
「ちょっと待ってろ」

 カツッという音と共に甘い香りが立ち上り、
ベンが切ろうとしているものを知らしめる。
 マンゴともマンギーとも呼ばれる果実。
まだ朝露に濡れているようなそれは、たった今もぎとってきたばかりらしい。
 この果実は、この時期が収穫期なのだ。
美味そうと言うには濃すぎる色味だが、
輝くような果皮と甘いとしか言いようのない香りは、
“食べ頃”と看板を立てているようなものだ。
 シャンクスの目が輝く。



「俺にもっ」
 節操なく叫ぶ。
ベンが不機嫌なときなら
「アンタにやらなかったときなどあったか」と絡みそうだが、
幸い今の彼はたいそう機嫌が宜しい。





「じき剥ける。ちょっと待ってろ」



 ベンの手が果実の表面をなでる。
 掌に入れるには大きい果実だ。
骨太の指の間から、果実の肌が見える。
紫紅色の滑らかな表面には産毛めいた毛すらなく、
光を弾くような輝きが十分に熟れた果実と証していた。
ベンが握ったナイフは扁平な種子の両側に沿ってくるくると回り、
あっという間に皮が剥かれる。ちょうど三枚におろしたという案配だ。

「美味そーだな」


    
「ああ。張りがあるのに柔らかくて、弾力性があって、まるであんたの肌だ」


「嫌がらせかよ、そりゃ」
 憮然とした、を絵に描いたように口を曲げているシャンクスの、
その唇にベンの指があてがわれる。

「いいゃ、真実だ」
 このマンゴーの美が美味いようにな。


 鼻先に見事に盛りつけられたマンゴーを突きつけられて、
シャンクスの意識は一気にそちらに走る。

 しばし、部屋にはマンゴーを食べる音ばかりが響いた。
部屋中に、マンゴーの香が充満する。
一皿丸ごと、ほとんど一人で平らげたシャンクスは満足して舌なめずりした。
 と思うまもなく、皮と共に放置されていた種に目を付ける。


「種ンとこ、まだ肉が付いてるよな」
「ああ、食うか」
「食う!」

 即答だ。
シャンクスは片手でマンゴーの種を握り、そのままかぶりつく。

「‐‐‐」
 多分美味いと言っているのだろう発音不明瞭な単語が漏れる他は、
一心に果肉に吸い付いている。時折閃く肉色の舌が橙黄色の果肉をすくい取っていく。
柔らかな果肉はするりとシャンクスの口中に落ちていき、見ようによってはかなり淫らな光景だった。





 微かに松脂に似た芳香に包まれ、己が剥いた果実を堪能するシャンクス―― 
ベンも、しっかりとろけていた。“幸福感”に満たされる。






「マンゴーはインディアが原産地なんだが」
「?」
 シャンクスの耳元で囁くベンの口からもマンゴーの香りがする。
彼もしっかりマンゴーを口に運んでいたのだ。

「インディアのカーマ神は愛の神で」
「その持つ矢はマンゴーの花で飾られているという話だ」
「愛の神さまの矢というと、あれか。射られると恋に落ちてしまうってやつか」
「そうだ。」

「俺には不要なものだがな」
 恋には、もう落ちている――
 そう言いつつ、ベンの指は休みなく動き、
シャンクスの肌の上を流れるマンゴーの果汁を拭う。
指で救ったそれを一々舐め取るのはわざとなのか無意識なのか。



「おまえ、ホント好きだよな」
 俺のこと触るの、

 そう言う間にも髪の間に指を差し入れられる。
さすがに上半身限定なのは、一応配慮しているということなのだろうか。
だが、これほど近づいて――吐息がかかるほどだ――触れられると気が散る。有り体に言うと、反応してしまう。


「ああ、クセになってるのかもな」

「とんだ悪癖だな、そりゃ」

 揶揄を込めてからかってやれば

「いいや、俺にとっては最良、最高の選択だ」

 至極真面目な声が返ってくる。




「煙草に俺かぁ? 
醒めてるふりして、いったんはまるととことんのめり込む奴だな」

「そうだな、アンタに嗜癖してる」

 そういうの中毒ってえんだぜ。船乗りには禁物じゃねぇのか。

 シャンクスにしては珍しくたしなめたのだが、
はだけた胸から手からマンゴーの果汁でべたべたにした状態で言っても説得力がない。



「そうだな、食べる場所を間違えたな」

 全然明後日のことを返しているベンが聞いてないのは明白だった。
が、幸いなことに、シャンクスはあっさりとベンの発言内容の方に気を取られた。


「なんだよ、食べる場所って」

「ああ、マンゴーを美味しく食べるには大切なことらしい」

 もっと美味く? 
この手の単語をシャンクスが聞き逃すはずがない。

「どこだよ、それ」


「まず第一は完熟したマンゴーを摘み取ったその木の下で」

「もうムリだな」

 残念そうな声。
彼が、今日にでもマンゴーの畑に行こうと考えているのは明白だった。



「持ち帰ってしまった場合、最適な場所は」
「うんっ」

 わくわくしていることを隠さないシャンクスの目を見ながら、
重々しく下されたベンのお言葉。


「風呂場だ」
「は?」




「なんだよ、それっ」

 からかわれたと思ったのだろう、声が尖るシャンクスに、

「いや、ほんとのことだ」
 ベンは重々しく答える。あくまで真面目に。

「考えてみろ。これだけべたべたになるんだ。
服を汚さないように考えながら食べていたら気が散るだろ」
 気にもしないあんたは別として―― と、これは口には出さない。


「風呂場なら、服を汚すとか気にしなくていいし、
汚れた手や顔は後で洗い流せばいい。合理的だろう」



「そうか」
「そうだ」



「いいかもな」
「試してみるか」

 いつのまに剥いたものかマンゴーが山盛りの皿を差し出され、
シャンクスはいそいそと風呂場へ消えた。
もちろん、その後ろには彼の副船長も付いている――



 赤髪の辞書には、「懲りる」とか「警戒する」という単語は入ってないらしい……
 いや、そもそも己が服が汚れるなどと気を遣う人間か否かくらい自分で分からないのだろうか。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 赤髪の船の航海日誌には、破格に長いこの港への逗留が記されている。
その時期はぴったりマンゴーの収穫期に重なると気が付いた者はいない、らしい。








2004.4.1






☆ 文中のマンゴーについての描写及び、蘊蓄に関して
熱帯果樹写真館のねこがため様よりご教授いただきました。
心よりの感謝を捧げます。

 ――と言われても…ねこがため様もお困りかも知れませんが(^_^;)

☆ マンジャリというのは、正確にはマンゴーの花序のことです。
果実自体は英名も和名もマンゴーです。
でも、マンジャリという語感が気に入ったので、タイトルはこじつけてこちらに。
 チェックが遅れに遅れてとうとう四月になだれ込んでしまいました。
まぁ、四月馬鹿の日にアップというのも、ある意味ぴったりかも。



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