磨き上げられた床は塵一つ無く―――そして、 冬の最中というのに火の気すら無かった。きれいに掃き清められた部屋は、ただ美しく、 けれど「快適」だけはなかった。 ■■の険しい視線を感じ取って、召使いが慌てて暖炉に火を入れようとする。 それをとどめるのは、この部屋の女主人――本当なら、この屋敷の女主人であるものを、 「良いのですよ。妾のような役立たずのために火など…申し訳ないこと」 「ああ、でもそなたは耐えられぬかもしれませぬね。火を入れさせましょう」 そのように言われて、諾と言うべきなのか、否やと言うべきなのか―― 結局■■は、前者を選んだ。 たとえ、■■が辞去するやいなや消されてしまう火であろうと―― これ以上他者を拒絶した空間にいたくなかった。 「……お手数かけて申し訳ありません」 「そのように頭を下げるものではありませぬ。そなたなら、許されるのですよ。」 ‐‐‐家の後嗣たるそなたになら…その言葉を、■■は呪詛のように聞いた。 「立派におなりだこと。ほんに次期当主にふさわしくおなりですね……」 いかにも母らしい言葉。けれどその声音には一欠片のぬくもりとて無く…… 視線は、微妙にずらされて、■■の上にはない…… 「嬉しいこと。母もそなたを産んだ甲斐があるというもの」 「そなたを産む時は、ほんに辛かった。 このような身体になって……けれど、後嗣を得るのは、妾の義務ゆえ… 旦那様も誉めてくださった」 ■■に視線を合わすことなく、淡々と紡がれる言葉。 巧妙に隠された悪意――いっそ罵倒された方がマシだという気分になる。 けれど、そうと言ってしまえば、この“母”は、きっと…… さらに傷ついた表情を見せつけるのだろう。 我が身を削って生んだ息子に拒絶される哀れな“母”として。 「…今夜は、お別れのご挨拶に参りました」 「別れ?」 「…父上の代参として東の国に参ります。暫くは戻れません」 東の国は、遠い。 まして、その間には荒れる海が横たわっている。 凪の海、熱風の海、嵐の海、船乗り達の付ける名は、伊達ではない。 前の世紀に比べて航海術は大きく進歩したとはいえ、 この時代、海を渡るということは、生きては会えぬかもしれないという謂いでもあった ――だが…… 「そなたなら、首尾よう役目を果たしてお帰りになりましょうな」 母の態度は変わらなかった。 そんな危険なことをと取り乱すでなく、 なぜそんな任務に就けるのかと己が夫を詰るでなく、 当主夫人として非の打ち所のない対応をしてのけた。 「教会に寄進をして、そなたの無事を祈ってもらわねばなりませぬね。 そうそう心残りの娘御などはいませぬのか」 行き届いた配慮…よくできた“母”のそれ。 非難される余地など、これっぽっちも無い。ただ―― 「…いいえ、母上。お気遣いいただくようなことは何も…ありません…」 ■■が望んだのは、そんな配慮ではなかっただけだ。 けれど、この“母”に、それを望むのは、無理なのだと、彼はとうに悟っていた。 「お身体をお厭いください」 彼は短く、別れの挨拶を告げ、部屋を出た。 早々に閉ざされる扉の音を聞きながら、■■は、もう一度“母”に別れを告げた。 二度と会うことはないであろう人に。 己が命をくれた人に。 それは、この国への別れでもあった。 |
| 2002.7.19 |
| ☆ 何とか先が見えてきましたので、初っぱなの部分だけアップ。 こーゆーお話です。 |
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