目次

・ てんかん治療のポイント

・ 運転免許証がとれる

・ 筒井さん、断筆宣言残念です

・ 交流会参加の誘い

・ 20年前の贈り物

・ 施設入所の問題点

・ 薬の選択など適切に治療すれば治ります

 

     てんかん治療のポイント 

先日、部分てんかんなのに全般てんかんの薬を出されている13歳の女の子が相談にきました。薬がおかしいから治らないんだよと説明すると、「わー、3ヶ月も間違えた薬を飲まされていたの」と怒っていました。

でも3ヶ月というのはまだましな方です。私が徳島で5年間に診てきた患者さんの中で、一番長いのは、44年間でした。44年ぶりに発作が止まったのです。一生を台無しにされたようなものです。この方は医者がまったく信用できないと言ってましたが、返す言葉がありません。

次に長いのが20年間間違えた薬を飲まされた女性です。6歳の発症です。全般発作だというので全般てんかんの薬が投与されていました。この小児科の先生は全般発作イコール全般てんかんだと思いこんでいるようです。これが大きな間違いというか、取り返しのつかない間違いをおかしていることになります。彼女にとっては本当にとりかえしのつかない人生を送ってしまったということです。20年間もてんかんという重しの下で生活することを強いられて、性格的な変化をきたさなかったのかと心配になります。

次に17年間間違った薬を飲まされ続けた女性がいます。部分てんかんでしたが、発作が起こればその効かない薬を増やすということを続けてきたのです。合わない薬をいくら増やしても発作は止まりません。

他にも17年間の部分てんかんの男性、10年間の部分てんかんの男性などあげていけばきりがありません。詳しく知りたい方はアンケートのページをご覧下さい。

今度のてんかん市民講座「てんかん治療のポイント」ではこのアンケートを中心に話をする予定です。

           運転免許証がとれる

昭和35年に制定された道路交通法で、てんかん者は運転免許が取れなかったのですが、いま情勢は大きく変化しようとしています。この法律はてんかん者にとって、職業上、大きな支障となっており、こっそり取っていたのが現状でした。

1981年の国際障害者年以降、病名による資格制限から、疾患を有する個々の状態像に応じて運転適性を決める方向にきています。欧米諸国などほとんどの国では、発作抑制期間2〜3年が取得条件です。人間優先的であり、社会防衛的な日本と対照的です。

昭和35年当時はてんかんは不治の病だったのかもしれませんが、医学の進歩により治る病気になってきています。ところが法律はまだ35年をひきずっていたのです。

平成13年の国会で道路交通法は改正されましたが、「発作により意識障害又は運動障害をもたらす病気にかかっているもの」には免許を与えないと言うのですから、病名は入ってないものの、入っているのと同じでした。

ところが平成13年9月7日に警察庁が発表した見直し素案では、睡眠中の発作や単純部分発作、2年以内発作が起こったことがなく今後も起こるおそれがないと認められる場合等は処分の対象としない、となりました。この条令は平成14年6月の施行となりました。

 

   筒井さん、断筆宣言残念です

                                    朝日新聞論壇掲載

筒井康隆の大のファンで、「文学部唯野教授」や「大いなる助走」「俗物図鑑」などは何度も読み返したほどのマニアです。その筒井康隆が「断筆宣言」したと聞いていささかショックを受けています。

ことの発端は、来春から使われる高校の国語教科書に、近未来を描いた彼のSF小説「無人警察」が採用されたことでした。その中にてんかんに関する差別的な表現があり、てんかんの患者や家族が会員の日本てんかん協会が、7月、教科書の販売中止や作品の削除を求めて、発行元である角川書店と検定側の文部省に抗議しました。

「無人警察」を読み、筒井流のパロディとユーモアを再確認しましたが、てんかんの部分に関しては、29年前に書かれたこともあり、近未来というよりも近過去を描いているなと感じました。「(ロボット巡査の交通取り締まりで)てんかんがある(脳波に異常がある)と病院に収容される」といったくだりがあるのですが、現在日本のどこに行ってもこういうことはありませんし、歴史が逆行することは起きないと思うし、そう願っています。

「収容される」という記述に差別的なものを感じるてんかん患者は多いと思います。差別用語は使う者にはその意識がなくても、差別される者には敏感に響くことはよく知られています。

80%以上のてんかんは治るわけですから、てんかんを「障害」とよんでいいのかどうかわかりませんが、世界保健機関(WHO)の「障害」の定義は次の3つから成ります。

@機能障害(生物学的レベル)

A能力障害(個体レベル)

Bハンディキャップ(社会レベル)

@は病気そのものによる生活上の困難さ。Aは治療的状況とか@の結果二次的に発生した能力上の問題。Bはたとえ@Aを克服したとしてもその社会のもつ偏見とか規制によって味わう困難といった意味合いでありましょう。

日本の社会はてんかん患者に対し、寛容度がそれほど高いというわけではなく、弱者として隅っこに押しやられているのが現状です。てんかん協会はそういった弱者の集まりであるということをまず知ってほしいと思います。会員に機関誌を送る場合も「てんかん協会」という差出人名は入れないように細心の注意がしてあるし、各県にある支部の代表者の名前も伏せてあるところがあります。しかしこの事態を我々は過敏だといって笑うことはできないと思います。笑えるとすれば、それは強者の立場に立っているからです。

筒井康隆は「てんかんだった文豪ドストエフスキーは尊敬するが、彼の運転する車には乗りたくない」と述べているが、わたしも「筒井康隆の作品は読みたいけれども、彼が医者でわたしがてんかん患者なら、彼の診察だけは受けたくない」と言い返しておくことにします。

もうひとつの問題はてんかん患者が不快だと感じる小説が「教科書」に採用されたことだと思います。一般書店で好きな本を買ってきて読むのではなく、学校でいやおうなく読まされるという点です。たとえ注釈があったとしても、つらいと感じる人、避けて読む人が出てくることが予想されます。それでもなお、教科書に載せる意義はあるのでしょうか。

大人の社会はこういう辛いことに満ちあふれているんだ、だからこの小説を読むことで辛いことにめげないように精神をトレーニングしておきなさいという教育的配慮で、この小説を教科書に入れたのなら何も反論することはありません。

角川書店は日本で押しも押されもせぬ巨大な出版社であり、てんかん協会は社会的弱者の集団であることを再認識してくれるといいな、そう思っていた矢先、筒井康隆が断筆宣言したという記事を見つけたのです。一体、どうなっているの?

繰り返しますが筒井康隆の診察は受けたくないけれど、彼の本にはそれなりの魅力はあります。

筒井康隆は異色の作家で、重箱の隅をつつくように偏執狂的に「まじめ」ばかりを書き続けてきた日本近代文学に、風穴を開けた風雲児として尊敬しています。筒井康隆の言う「差別表現への糾弾がますます過激になる社会風潮」に対しても、シリアスに反応したりせずに、彼の十八番(おはこ)のパロディと風刺で社会に対抗してくれることを読者の一人として願ってやみません。

 

         交流会参加の誘い

                                      徳島新聞掲載     

 毎月一回、てんかんをもつ人が集まって交流会を開いています。その参加の効用を一言。

その1、発作でくじけそうになったとき、他の会員の体験は勇気を与えてくれる。

その2、病気のことをうちあけたら、離れていった友人がいたが、病気のことを気にせず話せる友人ができた。

その3、家庭医学書や、図書館で調べてもよくわからないことが、簡単に理解できた。

その4、病気のために仕事をやめざるをえなくなったが、今後どういうところに相談にいけばいいのかわかった。

その5、いままでは医師まかせであったが、主治医が変わるので、この際、自分なりに知識を持っていたい。

その6、20年間続いた発作が止まった人がいるが、私の場合も止まるのか知りたい。

 初めて、てんかんと告知されたとき、何で自分だけが、と閉じこもりがちになりやすいが、一番必要なことは情報だと思います。十分な情報を手にした上で、前向きに進んでいって欲しい。

        20年前の贈り物

                              自閉症機関誌「ひまわり」掲載

医学生時代に障害児医療研究会(障医研)というサークルを作ったのが、私の障害児との関わりの第一歩です。国立療養所の中に3つの障害児病棟があり、そこをフィールドにして、月に一回ボランティアとして入り込んで、障害児の生活の介護をやっていました。

7〜8人の医学生が部員でしたが、医者になってからはそれぞれの道を歩むことになりました。あれから20年がたち、はたして何人の部員が障害児との関わりを持ち続けているのだろうかと思っていたら、先日日本てんかん協会の機関誌に、街角の専門医というタイトルで、A医師の顔写真が載っていました。本文を読むと、現在も障害児のてんかん医療を中心にやっているということで懐かしく思いました。彼女は障医研時代は、それほど熱心な部員ではなく、恋愛とかスキーとかに夢中になっていた女学生でした。

いまでも、ある障害児の屈託のない笑顔が脳裏に残っていますが、当初はその子の障害に対してどう接すればいいのか戸惑った記憶があります。「介助してあげる」この行為は確かにいいことなんですが、あくまで健常者の側に立った行為です。何度も介助しているうちにあることに気づきました。それまでできなかったこと、たとえばハーモニカが吹けるようになったとき、とても大きな喜びの表情を示したのです。障害があるから障害児なんですが、障害はその子のほんの一部であって、その他の潜在能力は数え切れないくらい残っていたのです。

人は自分に残された能力をいかに見つけて伸ばしていくか、これは生の根源的なテーマであり、障害児に限らず、健常者にも突きつけられるものでした。私はこのときに障害児と同じ土俵に立つことができたのです。

パラリンピックを見てても思います。OO歳の私にはあとどんな能力が残されているのだろうと。

あるいは下半身に障害を持つアームレスラーが健常者と互角に争うのを見て、やってるやってるとにんまりとします。

 

    施設入所の問題点                       

  平成15年には知的障害者施設の入所は、自由化されて、自ら希望するところに入所できるようになるという。それまでは嫌でも指定されたところに入所しなければならない。ところがてんかん者が入所すると不幸になる施設もあるということに、心してかかるべきだ。

 職員にてんかんの知識がないことに加え、誤った指導がなされ、しかもそれを当然だと思っている施設も多い。徳島はてんかん治療後進県であり、てんかんの専門医もほとんどいない。施設を選ぶ際、その嘱託医がてんかんの専門医であるかどうかということにくわえて、そうでない場合、他の専門医に診察、治療してもらうことを施設が認めるかどうかも、重要なポイントである。

 私自身ある障害者施設の嘱託医をやっているが、入所者が、たとえ錯覚にせよ、大病院の医者が有能だと信じてそちらにかかりたいと言うならば、それもやむを得ないと思っている。それが自由主義社会の原則である。

 ところが、徳島ではいとも簡単に患者の権利が踏みにじられているようだ。てんかん発作が止まらないのに家族が見かねて、よく私のところに相談にくる。話を聞くと、抗てんかん薬は出ているが、量が少ないし、種類を変えるなどの積極的な治療の痕跡はない。家族が患者の止まらぬ発作を見て、なんとかしてやりたいと思うのは当然の感情だ。嘱託医がその願望に応えてくれないのなら、治してくれる医者を自分で捜すしかない。

 ところがこういった施設の職員のとる行動は、嘱託医への気兼ねか、他の病院の薬をもってきても飲ませなかったり、1ヶ月に1回の発作はちょうどいいくらいだから我慢しなさい、と家族を説得したりすることが、当たり前のことのようにやられている。

 いまは本当にスペースシャトルが行き交う21世紀なのか。てんかん学の進歩の恩恵から見放された人が大勢いる。四国という孤島は、文明から隔離され、明治あるいは大正末期のような場所なのか。てんかん者が施設に入所する際は、くれぐれも慎重に。アドバイスが欲しい方はいつでも相談にのります。

 

   薬の選択など適切に治療すれば治ります

                                  徳島新聞掲載(一部変更)

 徳島には、日本てんかん協会の支部がなかったため、県内のてんかん事情は不便で時代遅れなものになっている。公的機関に相談に行っても、香川県支部を紹介されたり、現在かかっている病院(その治療に不満があるから相談に行ったのであるが)を紹介されるなど、袋小路の状態と言える。

 徳島県支部は、本部設立から遅れること23年、全国で44番目の支部となる。私たちは支部旗揚げを目指し、2年半にわたって活動してきたが、徳島の状況を知るにつれ、あぜんとした。

 てんかんについての古い考え、たとえば、@てんかんは一生薬を飲まなければならない、A1人で 外出してはいけない、B月に1回くらいの発作は止めないのがいい、我慢しなさい、Cてんかん薬は20年、30年後に身体がガタガタになるから飲まない方がいい、といった通説がはびこっている。(前の2つはある医師の発言であり、後の2つは障害者施設の職員の発言である) てんかんについての講演会を開こうにも、「私は人目に触れる受付はできません」とか「誰に会うかわからないから講演会は欠席します」と、患者自身が閉じこもるため、情報交換ができず、新しい知識の普及も難しかった。

 てんかん協会の支部を作ろうにも、その土壌がなかった訳だが、一部会員とともに頑張り、徳島保健所などの温かい支援も得ることができ、現在、会員は六〇余人になった。

 てんかんの専門医とは、てんかんのタイプ診断や発作型診断、適切な薬の選択はいうまでもなく、患者の進路や就職、結婚、妊娠、出産、遺伝相談などへの対応もできなければならない。このように規定すると、徳島にはてんかんの専門医が極めて少ないといえる。

 静岡東病院のようなてんかん専門病院があれば、専門医がきちんと説明するため患者も納得できる。しかし徳島の患者は不安や不満を抱え込んだまま、どこに行けばいいのかわからないというのが実情であろう。こういう事情のもとに、波センター渚クリニックを設立した。てんかんで困った人はどしどし利用して欲しい。

 私の知るところでは、自動症(口をもぐもぐしたり、手で胸のあたりをまさぐったり、無目的に歩き出したりする)に「バルプロ酸」 が投与されたり、欠神発作(意識だけが一瞬途切れる発作)や点頭てんかんに「ゾニサミド」が投与されるという、不適切な治療のため、発作がコントロールできていない患者も多いと思われる。

 県内にいる八千人のてんかん患者すべてを、てんかん専門医が診ることは不可能であるが、適切な治療を受ければ、80%のてんかん発作は止めることができる。1年近く発作が止まらない場合は、1度専門医の診察を受けることをお勧めする。