言葉は生きている・・・。日々新しい単語が生まれ、新しい言い回しが生まれ、聞き慣れない言葉がテレビから流れ出る。「ら」抜き言葉が氾濫し、古い言葉がかえって新鮮に感じられる程である。尊敬語や謙譲語の大半が死語と化し、「ら」抜き言葉が正常化するのはそう遠い未来ではないようにも思われる。
言葉の乱れが指摘されるのは何も今の日本だけではなく、大昔からそうであっただろうし、世界中でもそうであっただろう。それこそ「言葉は生きている」からに他ならないが、それでも今の日本語の乱れについては一言あってしかるべしと考える。
省略語や「ら」抜き言葉、さまざまな不可思議な言葉など、言いたいことは山ほどあるが、今、一番大きな問題は「やはり」、「やっぱり」の使用頻度の多さだと思う。お頭の空っぽなタレント(?)がテレビで喋る時の「やはり」、「やっぱり」という言葉の多さにはヘキヘキする。前後の見境なく連発するのは、その人の人格さえ否定したくなる程である。何故この言葉をそんなに使うのか、自分で喋ってみるとよく分かるが、自分自身の意見がなく、世間一般の低水準の人に自分を迎合させるのに都合がよい便利な接続語として使われている。所謂タレントやコメンテイターの質の低さには、出演停止の処置を番組責任者にお願いしたい程であり、私の大嫌いな規制すら必要ではないかとさえ思う。責任者には一度発言内容を文書にしてチェックして欲しいものである。
大辞林 「やはり」・・・副詞、「矢張り」は当て字
@以前と同じ状況であるさま。事態が変わらずに続いているさま。依然として。
A前もってした予想や判断と同様であるさま。また、他の例から類推される状況と現実が同じさまであるさま。
Bさまざまないきさつがあって、結局、初めに予測した結論におちつくさま。一般的な常識・うわさなどに違わないさま。
C動かないでじっとしているさま。
類語 案の定、思い通り、思う様、果然、果たして、果たせる哉
そもそもどうしてこんな状態になったのか、私は大きな要因を指摘しておきたい。
1.「やっぱ牛乳でしょ」
2.「やっぱり公明党」
全国的に知られたPRにこの言葉が使用された。言葉や文書を生活の糧としているのは、小説家、詩人、作詞家、コピーライーターなど、そしてその人達の周囲でも多くの人達が働いている。それにしても、このコピーは酷い。誰が考え、誰が決定したのか、まず私が考えたのは次の通りである。
お腹がグルグルするのは、「やっぱ牛乳でしょ」。日本の政治状況を悪い方向に向けているのは、「やっぱり公明党」。
私は牛乳が嫌い、それ以上に公明党も嫌いです。嫌いなものに「やっぱり」を付けられると「やっぱり」嫌い、もっと嫌いになってしまいます。
日本人がマスコミに容易に影響されるのは、世界中も同じでしょうが、比較的信じられる事象の一つでしょう。「お頭の空っぽな人ほど新聞記事を鵜呑みにする」という言葉がありますが、マスコミの影響力については常日頃からよく心に刻み込むべきだと思います。
牛乳関係者、公明党関係者には反省してもらいたいと思っています。抗議をしたい人はどうぞご連絡ください。