令和8年 2月...2月28日配信
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病院の窓から毎日眺めていた宇和島市街です。

田舎暮らしのおすそ分け

鶏小屋

戦後間もないころ集落ではどの家でも、鶏を飼っていた。観賞用とかペットといた類のものではなく、もっ
ぱらたんぱく源に資するものであった。
当時は味噌・こおこ(たくあん漬け)など大抵のものが自給自足とでもいうのか、自家製であった。鶏なども
その一環で飼われていたものである。
鶏の餌やりは私の役目で学校から帰ると、まず鶏小屋に行って餌をやるのが、日課であった。
小屋と言っても粗末なもので地面に杭を打ち込んで、どこかから拾ってきた金網を張り付けた、逃げようと
思えばいつでも逃げられるような、粗末なものであった。
餌をやると頭を上下に振って無心に餌をついばむ姿が、妙に人懐こくてもう何百年もここに住み続けていた
ような、印象を抱かせた。
とは言え卵を産まなくなれば廃鶏として、首を切られ羽をむしられ食べられてしまう運命にあるなど人ごと
のようであるがごとく、餌ををついばむ姿は、なぜか人間の身勝手さが垣間見える、瞬間でもある。
もちろん当時そんな気持ちを持ちながら餌をやっていたわけではないが、幾分感傷的になるのは残された命が
だんだん残り少なくなって、来ているせいかもしれない。
長年物価の優等生と言われてきた卵の値段も、円安と鳥インフルエンザのせいで、今までにない高値で売られ
ている。とは言えアメリカなどと比べれば断然安いのであるが、そんな中でしっくはっくする養鶏農家の
苦労が、思いやられる。
そんな中にあってここまで安い価格を維持できて来たのは、農水省と農協との阿吽の呼吸の賜物であろう。卵
も米同様農協が集荷し業者に卸すと言う流通の構造は、まったく同じである。
そこに官民癒着があるなどと野暮なことは言わないが、低価格で安定していることは官民連携がうまく行っ
ている、証ではないだろうか。
巨人大鵬卵焼きと言われたように卵は日本人にとってなくてはならないものである。この卵を何があっても
未来永劫残していってもらいたいいものである。その為には私は餌やりなどいとわないつもりである。
今回何度目になるのか入院して、鶏小屋でコケコッコーとしか鳴き声を発することしかできない鶏のはかな
い気持ちが、少しばかりわかるような気になりました。
生きるために食うのか死ぬためのために食うのか、なにやら紙の裏表のようである。それが人生であるのか
もしれないが、浮世は朝露のごとく儚いものなのでしょう。



今回の抗がん剤はドセタキセルという、薬です。興味のある方はネットで調べてみてください。
入院治療計画書では知らぬ間にステージ4に格上げされたいました。




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