令和8年 1月...1月30日配信
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わが故郷の風景です。昨年12月上旬に撮影しました。

田舎暮らしのおすそ分け

ふるさと

人は住めば都と言う。とは言うもののコンビニも喫茶店もないましてボールペン一本を買いに行くにも、一山
を越えていかなければならない不便さの、どこに都があるのか。
夜七時も過ぎればポツンと灯りをともす街灯の向こうに広がる、闇と静けさのどこに都があるのか。
昼とも夜とも分からぬ喧騒の中の都会と全く真逆の田舎暮らしに、同じ都と言う概念が成り立つのか私の力で
は、説明できない。
おそらくその二つの間にはその都に住む者以外の理解を超えた、なにか通底するものがあるのであろうが、そ
れが何なのか分からない。
不便さの陰で山川草木一木一草まで自分の掌の上に独占できるのは、タイやヒラメの舞い踊りではないがある
意味、都であるかもしれない。
高校をなんとか卒業し、夜行列車の車窓を流れる星屑と海に浮かぶ漁火に見送られ、 夢と希望に胸はずませた
はずだったのが、列車を下り駅を出るとビルの間をせわしげに行き来する人たちの群れがあり、田舎とのあま
りの違いにこんなところで暮らしていけるのかと、不安の気持ちのほうが先に立ちもう田舎に帰ったほうがい
いかもしれないとさえ思った。
今にして振り返ればこの時すでに故郷に帰る気持ちが芽生えて、いたかもしれない。これから数年町の暮らし
を経験するが、一言で言えば窮屈であった。
田舎では会う人すべてが何の何べえでどこそこのと、誰もが役場の戸籍係が務まる程にその情報は共有されて
いて何の気兼ねもいらないが、どっこい都会では隣の人でさえどこの誰かもわからず、ましてや自分の立ち位
置をどこら辺においていいのかも分からず、戸惑いの連続であった。
就職したした頃は西に向けて走る列車を目にするたび、田舎の風景が思い起こされ郷愁の念に駆られたもので
あった。その風景の中に父や母が浮かんでは消え古里はと遠くにありて想うものと、良く口にしていたことを
思い出す。
広辞苑でふるさとを引いてみると、単に生まれたところとだけある。確かにその通りであるがその存在がどの
ようなものであるのか、その背景はいかなるものかを考えれば、それほど単純なものではないと思うが、どう
であろうか。
石川啄木の有名な短歌に
ふるさとの山に向かいて 言うことなく ふるさとの山はありがたきかな
と言う一句がある。
ちょっとしたいさかいから不景気な目にあわされふるさとを後にせざるを得なかった啄木にとり、ふるさとの
山は母のような存在ではなかったのか。どんなことでも何事もなかったかのように優しく温かく受け入れてく
れ癒してくれる母のような存在であったのではなかろうか。
目を閉じれば幼かった頃トンボを追いホタルを取ったり野いちごをほうばったりした思い出が、胸の奥底から
よみがえってくる。
山があり川が流れ幼かった頃と風景はほとんど変わらず人もまた少年から老人に変わっただけで、本質的には
何も変わっていない。
そんなふるさとに抱かれ数々の思い出に包まれ過ごした田舎暮らしも、いつか終わりを迎えることは誰にもど
うしようも、ないことである。
幼かった頃三歳か四歳ころだったと思うが、そこらじゅうで悪戯ばかりしていた私に隣のおばちゃんが
「何とこの子はええ子じゃのお」と言った。
家に帰り母に
「母ちゃんおヤスおばが、オラのことええ子じゃ言うとったけんど、ありゃいけん子いうとんじゃろ」と聞い
たことがあった、ことが思い出される。
このことが私の田舎暮らしの原点であり、愛してやまないふるさとである。


2月9日抗がん剤投与のため3週間の、入院をします。したがって申し訳ありませんが来月号は、休ませていた
だきます。




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