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先日のこと娘が家の裏でブーブーと鳴き声がするので戸を空かしてみると、中くらいの大きさのイノシシが
何憚ることなく、悠然と歩いていたと言う。
それを聞いて私はなるほどそれであったのかと、ひとつのことに思いいたった。というのも夏になると例年
家の周りで蛇に二三度はでくわすのた゛が、今年は一度も出くわさないのでなんでだろうと思っていた。そし
て娘の話を聞いてその疑問が解けたのである。
イノシシは蛇を食べるのである。実際に食べる所を見たことはないが、みかん畑にハメ(毒蛇)が出始めても
イノシシが姿を見せるととたんにいなくなることから、そういうことがみんなの間ではよく言われていた。
イノシシのことはともかく大嫌いな蛇が出なくなったことで、私的には万々歳である。
しかしイノシシが人家にまで現れたのは私の知る限り、初めてのことである。これまてせも農道辺りをうろ
ついていたことは度々目撃されてはいたが、人家にまでと言うのは聞いたことがなかった。
イノシシはクマなどと違い刺激しない限り人に襲いかかったりしないのでその点は安心だが、作物への食害
という点では他の獣と変わることなく、その被害は甚大である。
純血種はまず人里なんかには出てこなと言われていたが、四十数年前イノシシと豚の交配が行われていわゆ
るイノブタと言う種が誕生してから、人を恐れぬ新世代のイノシシが我が物顔で飛んで跳ねての、悪さを繰り
返しているのである。
新植して三年四年の若
木などイノシシに持たれかけられると、すぐに横倒しである。ミミズをとるため木の根っこに大きな穴を掘っ
たり、何が気に入らないのか石垣を下から大きく崩したりと、イノシシは遊び心でそれらをやっているのかも
しれないが、修復をしなけばならない我々にとっては、市中引き回しの上獄門打ち首にしたところで、したり
ないくらいである。
猟友会の人達が毎年三十匹四十匹を補殺しているけれど、一匹が一度に七匹八匹と生むのにはなかなか追い
ついていけない状況である。
数年前ジビエ料理を推進しようと市の施設としてイノシシの解体施設が出来たが、解体した肉をどこで購入
できるのかどこで食べられるのか、まったく情報がないので解体施設が今も営業しているのかさえも、分からな
い次第である。
イノシシと言えばその荒々しい見た目にもよるのだろうが、臭いとかクセがあるとかで敬遠されがちだが全
くそんなことはない。
レバーなんかでも豚のレバーのほうが、臭いくらいである。俗にうり坊と呼ばれる小獅子の肉なんか、この
世のものとは思えないような柔らかさで、その旨さは記憶の中に永遠に残る旨さである。
イノシシも好き好んで人里に出てきているわけではないだろうが、優雅だった山の暮らしも最近では食べる
物も少なく、食わなんだり食わなんだりの苦しい暮らしに追い込まれて、いるのだろう。
若い衆が貧しい田舎暮らしに見切りをつけ都会に出て行くこととイノシシが人里で餌をあさることは、姿か
たち住む場所が違うといえども、田舎暮しの者どおしにとっては、どこか共通しているような、ところを感
じる。
傍若無人にふるまうイノシシの被害も、今は限定的である。特段取り上げて言うほどの被害ではない。しか
し一方でヒヨドリの食害は、胸糞悪さこの上ない。
ようやく色もつき味も乗ってきた。明日は家族総出でみかん摘みだと予定していたら、前の晩から雨が降り
みかん摘みが出来なくなり、たった一日休んだだけでヒヨドリに突つかれ一年の苦労が水の泡になったこと
は、誰しもが経験したことである。
畑に入った瞬間一時に飛び立つ彼らか彼女なのか分からぬが、数百羽のヒヨドリの飛び立つときの山をも動か
すかと感じる羽音には、一瞬身を引きたくなるような恐怖を、感じる時もある。
徘徊していたイノシシもその後猟友会の手で捕らえられ、処理されたと言う。雉も鳴かずば撃たれまいにとは
言うが、イノシシも人里にでてこなければ命を失うこともなかったのにと思うと、獣であっても世の中の道
理に従わないと、いうことであるる