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旧社会党の党首土井たか子氏の言葉を借りれば、山は動いたのであろう。
それも三度にわたり抜き差しならぬほどの負けっぷりである。
二大政党制を目指して取り入れた、中選挙区制が予期せぬ方向に作用した、感じである。
その姿が鳥羽伏見の戦いで官軍に敗北し江戸へ逃げ帰った、徳川幕府の姿に重なるのは私だけであろうか。
その後徳川幕府は消滅してしまい明治維新となったわけであるが、今回の参院選自公にとっては徳川幕府
同様、終わりのの始まりなのかも知りない。
一方でヨーロッパのように多党化の時代に、入ったと言えるかもしれない。それはキャスティングボード
を握った少数党に多数党が振り回され、政治の不安定化が日常化するかもしれないことを、示唆している
のかもしれない。
世界では中世から抜け出してきたようなトランプ・プーチン・習近平の三人組にかき回され、田舎暮らし
を楽しもうなどと呑気なことを言っていられるような、状況ではなくなりつつある。
明治維新後田舎は兵士の供給地であった。日清・日露・太平洋戦争とどれほどの兵士が、出征していった
ことか。そしてどれほどの人が帰らぬ人となったことか。そして戦後は高度経済成長を支える労働力の供
給地として、経済成長を旗印に百万馬力のポンプで吸い上げるように若い衆たちを、都会暮らしに流し込
んだ。
その結果残されたものは貧しい農村とジジ・ババ、だけである。
何もかも失われていく農村の、全村老人ホームかと思わせるような佇まいに、明るい未来を見つけ出すの
は、困難である。
一昨年村にただ一店舗の残っていたAコープが閉店した。唯一憩いの場でもあった場所を失い、しかも買
い物弱者となった高齢者は行き場を失い、ただ一店舗ほそぼそと営業を続ける私の店に、足を向けざるを得
なくなった。
そこで交わされる会話はとめどもなく他愛のないものでもので、誰かが亡くなったとか入院したとか膝が
痛いとか、およそ聞いていて楽しいものではない。とは言えそんな会話を通じて互いの身を案じその境遇を
互いに慰めあうのもまた、田舎暮らしの一端ではある。
この一月当たりの間に私は三人の従姉を、失った。齢九十歳を超えているので歳に不足はないものの、幼
かった頃可愛がってくれた思い出が、記憶の淵からこぼれ落ちるごとに寂しさとともによみがえり、心なし
か胸が熱くなった。
そんな日を過ごしているうちにいつしか新米収穫の時期となり、取引農家からその旨の知らせがあり、先
日我が家まで届けてくれた。
三十キロ一袋一万五千円であった。これが安いか高いかは別として長年の付き合いで培われた信頼の値段
である。宇和島市三間町産米で四国南西部では味の良さでは一級品であると皆から認められる、すぐれも
のである。
早速炊いて食べたが鼻を抜ける新米の香りにしみじみ日本人でよかったと思う、一食であった。