令和6年 5月...5月30日配信
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大変申し訳ありませんが写真を撮ろうとする意欲がわいてきません。

田舎暮らしのおすそ分け

米騒動 その四

小泉農相の孤軍奮闘で暴騰する米相場もやや落ち着きを見せ始めたが、まだまだ油断は禁物である。
先月号で書いたが、政府がどんなに増産を叫んでも生産者の絶対数が減少することはは、まぎれもない現
実である。増産は一時的には可能かもしれないが、後継者不足など農家ならではの理由もあろうが、その
人たちの離農によって集約される田畑は年々大規模化し、今までわが国では見られなかったような、農家
も各地で出現している。
未来は明るいかのように見えるかもしれないが、私の危惧するところは中山間地などの零細農家が失われ
生き残った大規模農家だけで、全国民の必要量700万トンの米が確保できるのかということである。
確保できないとなれば輸入に頼らなければなくなるが、そこには価格競争という壁が 立ちはだかっている。
日本の米は世界の中でも生産コストは際立って高い。
政府が少々補助金を出したぐらいで、追いつくような話ではない。米が入ってこないとなると想像だにした
くないが、米の奪い合いが起こるであろう。
そうならないためには米の価格高騰対策も大切ではあるが、一体何が求められているのでしょうか。
ヨーロッパのドイツでは、国民の間で主食のポテトはいくら高くても国産ポテトを買うのだと言う国民的な
合意が、形成されていると言う。これがドイツの農業を守り主食を守ることに繋がっているのだが、我が国
もそうあるべきではないでしょうか。
俄か米評論化やコメンテーターが小泉農相や米価格のことばかりに焦点を当てるが、いくら高くても国産米
を食えと言う者が、一人ぐらいいてもいいと思のだが。 それが日本の農業を引いては国土と食料を、守る
ことになるのです。
日本の農業をここまで軟弱なものにした原因は、戦後の農地解放にあります。民主主義に反するか何か分か
りませんが、地主を解体し小作人開放を名目にその田畑をちんちバラバラ(小間切れ)に、した結果です。
農地解放には功罪相半ばするところがありますが、当時一反二反の田畑を大根一本二本の価格で取引きされ
たそうですが、それが今では坪何百万で売買されているとは、何かしら悪い夢を見ているようような気がする。
自立してやっていける大規模農家、銘柄米産地として自立がが可能な農家、それらは全国の米農家の一部で
ある。 それ以外は食わなんだり食わなんだりの厳しい経営環境にありながら、ほそぼそと畑や田んぼを耕し
続けている人達である。そして息子や娘それに孫たちにせっせと、米野菜果物を送っている爺ちゃん婆ちゃん
達である。
語りつくされたことではあるが何故田舎はさびれる、ばかりなのでしょうか。言わずと知れた田舎では、食
っていけないからです。
東京では五百万くらいの所得ではそれほど豊かには暮らせないでしょうが、田舎ではそれほどあれば酒池肉
林とまではいかないまでも、まず生活に困ることはないでしょう。ところがそれだけの稼ぎが出来ないこと
無いことが、過疎化に拍車をかけているのです。
みかんにしろ米にしろ人並みに食っていけるには一人三町歩の、広さの田畑が必要だと言う。しかし忘れさ
られていく故郷の田舎に、一人当たりそんな広さの土地があるわけもなく、土地を持たない若者は田舎を出
て行かなければならない宿命に、生まれたときから立たされているのである。
土地を持たないとは所得がないことを意味し、食っていけないことの証でもある。そのために嫌がおうにも
侘しさを胸に故郷を後にせざるを得ず、それがまた農村の過疎化を益々招いているのです。
反面長男だからというだけで無理やり跡を継がなければならない者にはとっては、違った意味での、侘しさ
を持たざるを得ない人生である。
ではどうすれば食っていけるようになるのでしょうか。それは今回の米が暴騰しているにもかかわらず高値
でも購入している消費者の姿、それに尽きます。
全国民が猫も杓子も国産の米や野菜に果物も少々高くても買ってやらないと日本の農家は田舎はなくなって
しまうぞと言った、気持を持っていただけることが大事です。そのためには私たちはなんでもする覚悟は
あります。なにとぞお力添えをお願いいたします。
そして食っていけない小規模農家などの志ある青年には、ある程度の所得補償しつつ田舎に踏みとどまれる
ように、するべきではないしょうか。
世界中どの国も農業には補助金をつぎ込んでいます。我が国の農業ももはや補助金なしでは成り立たなくな
っているのが、現状です。
六十数年前三千人住んでいた私の集落が今では八百人にまで、減少してます。三十年後には三百人に、なる
と言われています。
その時集落がどんな風景になっているかは想像もつきませんが、みかんの産地などと言うことは通用しなく
なっていると思います。その時までこの愛おしい風景が少しでも残っていくことを、願ってやまないものです。

故郷の山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな 啄木




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