令和6年 5月...5月30日配信
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大変申し訳ありませんが写真を撮ろうとする意欲がわいてきません。

田舎暮らしのおすそ分け

米騒動 その三

双眸に染み渡るような碧天が一点の曇りもなく、広がっていた。古から田舎暮らしの誰もがその碧さを
心のよりどころとして暮らしてきた、田舎の空であった。
その碧さの下に梅雨の雨で汚れが洗い落とされたか山の新緑はその鮮やかさを増しその新緑は風に揺ら
れ、鳥はその新緑の緑を楽しむかのように、そのうえを飛び去っていく。
新緑に隠れた山あいの麓に一条の流れがありその流れは、草に覆われた両岸をこきざみに洗いながら進
み、その流れが蛇行し流れの緩くなったところに、小さな深だまりがあった。
そこは村の子供たちの格好の遊び場でありこの日も数人の子供たちが、歓声を上げて水遊びに興じて
いた。
その小さな深だまりから視線を上げて川土手の草ごしに山手のほうを見れば、山懐に抱かれるように十
数枚の棚田が、広がっていた。
その腰くらいまで伸びた稲穂の中を草取りでもしているのか、青年と言っていいかどうか意見の分かれ
る所てあるが、田舎では五十歳くらいまでは青年扱いて゛あり、そういう意味では彼も青年の、うちで
あろう。
青年のいる所から棚田を数段上がったところに、雨風にさらされ多少古びてはいるものの藁ぶき屋根の
さほど大きくない、住居が立っていた。
縁側ではお婆さんが目を細め口元に笑みをたたえ、鶏がえさをついばむのを優しく見つめていた。その
傍らでは手拭いを姉さんかぶりにもんぺ姿の、この家の嫁さんであろう女性が夏野菜の植えつけにそな
え、アサジリ(家庭菜園)を耕していた。
棚田の中ほどにある藁ぶき屋根の住居がもし竪穴式住居であったなら、それは縄文時代の暮らしと変わ
らない、風景そのものである。
くだらぬ文章でくどくど書いては見たが、これが私の心の風景である。
幼いころかったころある雪の降った朝ちんちんつまんで雪に覚えたての字を書いたり、川でドジョウ
を採ったりオンビキ(かえる)を取ったりした事を思い出すたびこのんな風景が、よみがえってくる。
巷では米価格の暴騰も小泉農相の登場で、なにやら変化がありそうである。農水省農水族農協の三位一
体の結束に少なからず風穴を開けたことは間違いないが、その圧力に屈せず、奮励努力を願うものであ
る。皇国の興廃はこの一戦にあるのである。
世のお母さんたちは米の値段にばかり目を奪われがちだが、一点見落としていることがある。四十年前
稲作農家も含め全国で四百万戸あった生産農家が、現在では二百万戸にまで、減少している。しかもそ
の半数は七十歳以上の高齢者、である。 この人たちがあと何年米を作り続けることが、出来るのででし
ょうか。
言うまでもなく次々と離農し爺ちゃん婆ちゃんの米作りが、この世から無くなるのもそう遠い日では、な
いでしょう。
爺ちゃん婆ちゃんが離農してもその田んぼ自体は、大規模農家などにに集約されていくので米の生産量
自体は、そんなに変わらないと思うが、問題なのがそこに集約されず、見捨てられる田んぼである。
田起こしから田植え稲刈りそして稲木で天日乾燥と、すべてのことを人のやる気と手足に頼らなければ
ならない、田んぼである。
世界のコメ市場に対抗していくには生産の大規模化と合理化効率化は必要不可欠のことではあるでしょ
うが、日本の米作りをそれだけの論理で、片付けて良いものでしょうか。
米は日本人にとって単に食糧ではなく、日本人が日本人としての存在を自分にも世の中にも指し示す、特
別な作物なのです。言いかえれば日本人の魂でも、あるのです。
冒頭心の風景として書いた棚田の風景は、消えてなくなる運命にあるのかもしれませんが、日本人の心の
故郷として残さなければ、いけないものの一つではないでしょうか。
それはどんな方向から見ても無駄なことのように見えますが、時には必要な無駄があっても、良いのでは
ないでしょうか。




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