日米貿易戦争で赤沢大臣の格下発言を、立憲民主は情けないなどと言っているが、そもそもアメリカ
大統領より格上の人物など、この地球上に何人いるのだろうか。立憲民主の中にそんな人物がいると
言うのだろうか。甚だ疑問である。
国民はそんなこと言われずとも当然承知のことで、立憲がまた阿保なことを言っているぐらいにしか
思っていないだろうが、だから立憲は人気がないと言うことに気が付かなければ、ならないのではな
いか。
国難と言われる事態にでも何でもいちゃもんを、つければよいというものでもなかろう。同じコメを
食っている者同士、もう少し穏やかに論議できないものだろうか。
明治開闢以来日米の通商交渉は幾度となく繰り返された来たが、なかでも日米不平等条約は誰もが知
るところである。しかしその条約の裏側で為替レートが一ドルに対し米一俵だったことは、あまり知
られていないのではないか。
当時米一俵は1石であり一両であった。一両盗めば獄門打ち首の時代これは不平等と言うより、もは
や詐欺と言っても良いものだったのではないか。
これほどの歴史ある日米交渉にたかが一発言を取り上げケチをつけることなど、男子のすることでは
なく、玉壁に隠れ言いたい放題やりたい放題の限りを尽くした、旧陸軍幹部たちと、どれほど違うと
言うのだろうか。
そんな歴史に彩られた日米交渉が、再び執り行われようとしている。交渉に臨む政府代表はさぞかし
身の引き締まる思いであろうし、交渉が成就しなければ二度と祖国の地を踏まないくらいの、覚悟は
しているだろう。
そもそもトランプ大統領の気まぐれの様な思惑で始まった関税交渉の狙いが、奈辺にあるのか誰も見
当がつかないから、皆右往左往ている。
一説によると合衆国誕生の頃政府の予算は、関税で賄われていたと言う。それがいつしか税金で賄わ
れるようになり、その国民の税負担は大変大きなものとなり、巨額な財政赤字が合衆国の存立その
ものを、脅かすようになっていると言う。
大統領の思惑はその予算を税金から関税に再び、関税に置き換えようと言うのである。
果たして関税で政府予算が賄えるかどうかはこのさい脇に置いておいて、仮に予算の何割かでも関税
で賄えれば、米国民の税負担は相当軽くなるはずで、考え方としては理屈の通っている、話である。
このあたりの思考が凡庸な我々とは違っているところで、トランプ大統領は天才と気違いのの狭間を
行ったり来たりして、何かをひょっこり思いついたりするのかも、しれない。
この関税交渉を前に米国との交渉材料として、俄かにミニマムアクセス米の輸入量を増やそうかなど
と言うことが取りざたされ、江藤農相が打ち消しに躍起となっていた。
江藤農相曰くアクセス米の輸入米増加増加が、果たして国益と言えるのかどうかと、言うことであっ
た。そしてそれをフォローするかのように米農家からも我々をつぶす気かと輸入米増加の反対声が
上がった。
ただ何でもなくはないがこの単純な話を国益などと言いかえるから話がややこしくなるのであり、た
んに農水省並びに米農家の利益に、反するだけのことである。
国益というのであれば安い輸入米を入れスーパーや小売店の店先に並べれば、米価の暴騰などうたた
ねの中で見る夢のような、ものである。
ところが備蓄米をいくら放出しようが、スーパーや小売店の店先に米が届かないようなシステムがあ
(利権がらみではないか)るみたいで、それが今回の暴騰の元凶のようである。
何故そういうことが行われるかといえば、農水省も生産者もここまで高値販売になった米価を小売店
に米を卸して値崩れをさせたくないし、高値販売を維持したいだけのことなのである。
やっと長年の夢であった米価の高値維持が現実味を帯びてきたかのように見えるが、それは農水省の
需要予測の甘さがもたらした、怪我の功名であることも見逃してはならない。
以前地元選出の代議士の先生との懇談会で「先生日本の農業を改革するには中央卸売市場法を改革せ
ねば、ならないのでは」と問うた、ことがあった。
先生は思い口を開き「それに首を突っ込めば大変なことになり」と言った後、何も話されなかったが
米取引の世界にも我々には知るすべもない、闇があるみたいである。
それを知ることが出来たことが、今回の騒動のもたらした唯一の果実であると、言えるかもしれない。
敗戦を終戦などと言い繕って国民の目を惑わし、真実から目をそらそうとする大本営体質は、いくら月
日がたとうが、変わらぬものらしい。 続く