令和七年元日 。初日の出を撮ろうと思い立ち、カメラを軽トラックの助手席に乗せ目指す撮影ポイントまて゛、曲がりくねっ
た、農道を行く。
通称ハトカ農道と呼ばれているが農道としては、比較的新しい農道である。撮影ポイントまでに何か所か曲がるところがあるの
だが、それは箱根のいろは坂にも負けぬくらいの、良く曲がりくねった農道である。
そんな農道を幾分甘く見ていたのが、禍の発端であった。
日頃見慣れた山にある農道だから、走っていけばそれとなく分かるだろうと、軽い気持ちで上がっていった。確か浄水場を少し
上ったところ辺りで左に曲がるのだったなと、ぼんやりとしか浮かんでこない記憶を呼び覚まし、それらしい所を左に曲がった。
ところが少し行ってこれは曲がるところを間違っていると気づき、引き返そうと思った。しかし辺りは真っ暗闇で道幅も狭く、
そのうえに右側には急斜面の畑が迫り左は道を挟んで急斜面が暗闇の中に、落ち込んでいる。
どうしたものかとしばらく思案したが、良い方法が思いつかず意を決し、ひき返すことにした。
そうはしたもののバックランプの灯りだけでは、車輪がどこにあるかもわからず、いたりもんたり(行ったり来たり)しながら5
メートルほど下がったところで、いきなりゴンと言う音ともに右後輪が空転し、前後左右どちらにも動かなくなったしまった。
万事休すである。目の前には日の出前の闇が、広がっている。鳥の声もせず風の音もしない。眼下にポツンポツンと街灯の火が
弱弱しく、燈っている。
こんな体験をしかも元旦にするとはめったにないことであろうと、不思議な気持ちで眺めているもう一人の自分が、そこににい
た。笑っているのかざまあみろと言っているのか判然としないが、可愛げのないやつである。
そんな思いを抱きながら情けない時を過ごすうちに、初日が昇ってきてようやく闇から解放され、車の状態を見てみると左前輪
は完全に路肩から、落ちていた。シャーシが路面に接触していてそれで辛うじて転落を免れた、状態であった。
もし転落していればと思うと、何事もなかったように立っている自分が、嘘のようであった。
生と死は紙の裏表同様背中合わせで、裏が出るか表が出るかは死神のその時の気まぐれによると
ころであり、我々の知らないところでの、話である。
その後元旦であるにもかかわらず申し訳無さがいっぱいの気持ちで、仲間に助けを求め何とかその場を脱し山を下りた。命拾い
をした瞬間であった。
かってないとんでもない年明けになったが、これで厄が落ちたかまた疫病神を呼び覚ましたかどちらとも言えないが、何事もな
く穏やかな年になってほしいことを、願うばかりである。
年が明け柑橘類の値段も少しでも下がるのかと思っていたが、下がるどころか益々高値になっている。生産者たちは高値高値で
浮かれているが、一転今年のみかんはどうなることか、昨年の裏返しで悲惨なことにならなければと、不安がよぎる。
みかんは隔年結果(豊作不作のくり返し)の特徴のある、果物である。その隔年結果をどう防ぐかが生産者の腕の見せ所であり願
いでもある。
昨年の不作ぶりを見れば誰もが、今年は松の木にも実がなるほどの大豊作を予想しているだろうが、果たしてそうだろうか。
昨年の花の時期を思い出せばそこそこ花の量はあり、誰もこれほどの不作を予想した者はいなかった。それから判断すれば今年
は、山に雪が降ったように真っ白になるほど花が多いとは思えないのであるが、どうであろう。
それに加えカメムシ被害であるが、これほどの被害が出たのは数十年ぶりではないだろうか。被害の大きさに一時は投げやりな気
分が、あちらこちらで見受けられたがその後の異常な高値でそれも、どこ吹く風やら。それはともかくカメムシ被害を被害ではな
く、ゆき過ぎた摘果だと思えば、花は昨年と同じくらいあるのでは思うが、そうは問屋が卸さないのは世のつねで、思うように
いかないのが自然相手の仕事では、当たり前のことである。だからそうなるとは言えない
先日テレビで東京に住むおばさんが、庶民の食べ物だったみかんが高値で、食べられなくなったと、言っていた。もちろん今年
の大不作(カメムシ被害が大きい)のせいだが、昨今の高級果実への路線変更も、その影響は大きい。
かってみかんと炬燵は一家団欒の席には欠かせないものだったが、マンション生活で炬燵が消え高値でみかんが食べられないと
は、誰もが心の中に持っている団欒の風景も時代の流れで消えてなくなるので、あろうか。
憎やカメムシ。お前たちも生きるためには必至だろうが、我々はもっと必死なのだ。
そこを分かってくれ、仲良くやろうではな
いか。