冬来たりなば春遠からじと言うことわざがある。厳しい冬の寒さの後には希望にあふれた暖かい春が来ると、言うのである。
しかし絶対にそうだと言えるのだろうか。中東のパレスチナ難民の子供たち。何も罪のない無垢の子たちが、がれきの下で
息絶えることが、許されてよいのだろうか。
原爆で或いは沖縄の地上戦で亡くなった人たちとそれぞれの死はあるが、その人たちとパレスチナの子供たちの死に、どん
な違いがあるのでしょうか。理不尽と言うことを前提にすればいずれの死も相違はなく、ただ虚しさだけがのこるのみである。
イギリスの戦略家クラウゼヴィッツはその著書の中で、戦争は究極の外交であると書いたが、例えそうだとしてもその悲惨さ
においてそれを正当化できるものではないと思う。
日課にしている散歩コースの川土手でいつのころからか分からないが、水仙がその姿を大きくしている。
水仙もまた冬の厳しさを耐え春になればその可憐な花びらを惜しげもなく我々に披露してくれるが、それは貧乏人にとってま
たと無い、ご馳走である。
律儀にも毎年寸分たがわず同じところで花をつけるのには、水仙にとって宿命なのかもしれないが、それは花は相変わらず人
は相似たりという、田舎暮らしに通じるものでもある。
その水仙の小さな花びらの、どこにそんな力強さが潜んでいるのか、驚きである。自然の驚異と言う、ほかはない。
今年の一月十二日五十五日にわたる入院から解放され、退院した。それと同時にみかん作りからも撤退しなければならなくな
ったことは何度も書いたが、改めて思うにみかん作りの何が良かったのか。当時はそんなこと考えてもみなかったが、思い出
すのは辛かった苦しかった、事のみである。
いつだったか暮れも押し詰まった二十八日どうしても送らなければならない荷物があり、凍える手と鼻水を垂らしながら夜中
の十一時まで、選果と箱詰めをしたことがあるが、みかん作りの中でどうしても忘れられない、辛かった思い出である。
ある時は病害虫防除で畑の上まで上がり噴霧器のバルブを開けても液が出ず、どうなったのかと思えば動噴の元のバルブを開
けていなくて、畑の下まで降りてバルブを開けるといった本当に情けなくなるような、こともあった。
これなどは私が特別ではなくみかん農家なら大なり小なり皆、経験していることである。百姓とは大方そんなものである。
一方で春先などに草の上に寝転がり、しがらみを逃れ空を行く雲をぼんやりと眺めたりしたことは、田舎暮らしだからこそ出
来る、体験であろう。
浮生は朝露のごとしと、言う。また浮いては消え、消えては浮かび流れる、泡のようなものだともいう。この一年振りかえっ
て見れば、その意味が改めて身に染みる、思いである。
天網恢恢疎にして漏らさずともいう。目は粗くともどんな些細なことも見逃さないと言った意味らしいが、それにしても恐れ
入りましたと言うほかはない。
みかん作りからの撤退、軽いとはいえ抗がん剤の副作用、義姉の痴呆症の悪化それに馬鹿息子の放蕩と、挙げればきりがない。
今までが必ずしも順風満帆だったわけではないが、それでも人並みに田舎暮らしを楽しむことは出来ていた。しかしここに来て
浮世の風は冷たさを増すばかりで、襟元を過ぎる風は厳しさを増すばかりである。
そんな中で一つだけ、嬉しいことがあった。三年前民間企業の出資て゛設立された徳島県の某高等専門学校に、孫が合格できた
ことである。
来年はこの孫にあやかって、私にも少し春の日差しが差してくれることを望むが春は、どこに行ったのでしょう。
春は永遠に来ないのかも、しれません。
一年間ご購読ありがとうございました。 良い年をお迎えください。 拝