令和6年 10月...10月30日配信
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左上 愛媛県南予地方の最高峰鬼が城の、雲海てす。
右上 法花津湾から見た法花津の山並みの、朝焼けです。
中左 チリメンを天日干しにしています。
中右 霧の宇和島城 撮るのに3年かかりました
下左 先日釣り好きの後輩からもらいました。戸島沖で釣ったそうです。
 下右 10/17日松竹の初出荷です。1Kg 4万円でした ちょっと安かったみたいです 

でんすけ(世話をやく)の一言
昭和45.6年ごろ勤めていた会社で、慰安旅行の話があった。旅行だと聞いて多少気も浮かれたたような気分になったものの、そ
の旅行先が香川県のみかん畑と聞いて、がっくりしたことがあった。
そしてその目的がミカン狩りだと聞いて、再びがっくりした。みかんは狩るものではなく摘むものであろうがといささか異和感
を感じながらも、参加しないわけにもいかず、渋々行った記憶がある。
畑に到着してみれば案の定子供の頃から見慣れたみかん畑の風景が、広がっていた。みかんなど食べる気にもならずはしゃぐ同
僚をしり目に退屈な時間を過した、記憶がある。
とは言え初めてみかん摘みを体験する人たちにとっては、それは楽しいことなのでしょう。畑の中でみかんを食べることなど農
家でない以上、そうそうあることでもない。そして畑で食べるみかんは、家で食べるものと一味も二味も違うのである。
私もみかん作りをしていたころは、採果中味を確かめることも兼ねて良く食べていた。そしてこれより美味いみかんが、この世
にあるだろうかと思ったりしたものである。当時手伝いに来てくれていたネパールの青年は「ボスこのみかん砂糖をかけている
みたい」と、よく口にしていた。
我が身をほめる馬鹿もあるとは言うが、商売柄いろんな者たちのみかんを食べ比べて味はわかっている私にとってそれは、私が
唯一他人様に誇れる事柄であることに、尽きる。
そんな時思いがけず訪れた肺がんの病は、二十数年みかん作りをしてきてようやく何かをつかみ始めた矢先に出会った、不運で
あった。
はた目には元気そうに見えるらしいが、肺機能の10パーセントが失われたことのダメージは大きく、坂道ならば数歩歩いただけ
で息が切れる、ようになった。体力の低下でみかん作りから撤退せざるを得なくなった今、情けなさと無念さの入り混じる気もち
でみかん山を眺めていると、みんなに置いていかれているようで、思わずため息が出てしまう。
話が横道にそれたが話を本題に戻せば、山で食べるものはみかんに限らず何でも、美味しい。たとえば塩味だけのおにぎりでも
ミシュランガイドで三ツ星を獲得できるような、旨さに感じられる。
ところがどうしたことか畑であれほど旨いと思っていたみかんが、採収を終え倉庫に運び入れたとたんこれが同じみかんかと思う
ような、どこにでもあるような味に感じられるのである。
何度体験してもその結果は変わることなく、なぜそう感じるのかその謎は未だ分からず答えを見つけることが、できていない。
伊予柑だとかポンカンなどの雑柑は、採収後貯蔵(予措と言う)することで酸が抜け糖度が上り食味が良くなるのであるが、みかん
は採果後一時的に糖度が下がるのかもしれない。私の推測なので確かなものではありませんが。
暖冬のせいで日本全国果物は、大不作だという。そのせいか大変な高値で我々庶民には簡単に手を出せるような、値段ではなくな
っています。梨桃などは一個500円相場でぶどうの巨峰なども普通ならば500円程度のものが、1000円などと少し常軌を逸した
値段に、なっています。
みかんもそれにたがわず私も商売を始めて50年になりますが、初めての高値に出会いました。通常であれば市場での競り値が200
円程度のものが倍の400円ほど、しています。
元々不作だったところにカメムシの大発生があり、さらに収穫量が少なくなったとの、ことです。最近の暖冬のせいで越冬するカ
メムシも多くさらに薬剤への耐性も高まり、年々カメムシ対策は厳しくなっています。
カメムシはひとシーズンに3回か4回代謝を繰り返すたびに、薬剤への対応能力も上がりそれに対しての、薬剤の開発が追いつい
ていかないのが、現状のようです。
さらにそれに追い打ちをかけるかのように泣きっ面に蜂とでもいえばよいのか、しばらく姿を見せなかったイノシシが畑を、我が
物顔で荒らしまくっています。猟友会のおじさんたちが鉄砲担いで頑張って補殺をしてますが,一頭とっても5頭も6頭も一度に
生まれては、カメムシ同様対策が追いつかないのがみかん農家の置かれた辛い、立場である。
これで離農者が増えなければ良いがと気をもむのは私だけではないだろうが、東にイノシシ西にカメムシ頭の上には火の玉と、ニ
ッチモサッチモいかない状態に農家の生き残るすべは、あるのでしょうか。
さらに農薬肥料の高騰(以前の倍ほどになっている)が経営を圧迫し、みかんを摘む手もいささか鈍っているのか摘み音も、どこか
しら心もとなく聞こえるのであるが。
この数年西日本豪雨の後のみかんの好景気に支えられみかん作りを志して移住してくる若い衆が多く見受けられるが、これからが
本番である。
過去の大暴落を経験しまた相場に翻弄されたことの痛みを知る者としては、二度と訪れてほしくない悪夢であるが、その悪夢が足
音を忍ばせてそーっと、そこかしこに迫ってきているような、気がしてならない。




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