令和6年 8月...8月30日配信






左上 7月下旬に出た夏芽です。この目には実が付きません。何のための芽なのか分かりません。
右上 頭頂部の薄い色は熟れているのではありません。日焼けの高温障害が出始めています。一本の木の殆どが
日焼けです。商品価値はありません。
中左 梅雨明けから雨がなく乾いているところに8/19日に強い雨があり、裂果しました。
中右 急傾斜地ですがここはまだ良いほうです。中には壁のような畑もあります。
下左 海からすぐの畑ですが台風10号で塩水をかぶらないか心配です。
下右 オニヤンマが蜂を捕食しているところに出会いました。

無題
本当に暑い夏である。夏は暑いに越したことはないのであるが、度を越した暑さである。フィリピンやベトナムか
ら技能実習生でこの町に来ている子たちが、日本は暑いと言ったとか言わないとか、お天気の気まぐれには困った
ものである。
しかし暑いからと言って農作業の手をそう簡単に休めるわけにもいかない作業もあって、そんな時は本当に命がけ
である。
例えば草処理などは一週間二週間ほっといても草丈が大きくなるだけで、それほど他の作業に支障をきたすことな
ど無いが、病害虫防除などは適時適切に行わないと全く効果のないこともあるので、いかに暑かろうと時期を逃す
ことなど出来なくて、それこそ命がけの作業である。事実何年に一度か二度防除中のおそらく脱水症であると思う
が、亡くなる者がある。
この暑い中合羽を着こんでの防除はそれを着ているだけで汗が噴き出るのに、さらにお天道様にあぶられて長靴の
中はくるぶしの上あたりまで汗が溜まり、 まるで水の中を歩いているような、ことになることもある。。
皆それを避けるために早いものならまだ星のあるうちに畑に出る者もあり、余程の極どうされ(怠け者)でない限り
遅くても日の昇る前には、畑に出ている。 そうまでして何故みかん作りをするのかと不思議に思われる方も居られ
るかもしれないが、それが百姓の持って生まれた性なのである。
しかしその暑さを屁とも思わぬ、まさかるつぼから生まれてきたのかと思わせるようなな、男がいる。世間では奇
人変人の類と思われがちだが、私には至極まっとうな考えの持ち主に、しか見えない。異質のものを受け入れがた
い田舎の人達にとって彼は、どうやら同じ人間のようには見えないらしい。 その名を片山元治と言う。今では一般
によく知られている農業法人無茶茶園の創業者である。国会議員百人を前に演説をぶったという、豪の者でもある。
また一方で明浜共撰を閉鎖に追い込んだ、大本を立ち上げた張本人でもある。
今年後期高齢者に一歩足を踏み入れたにも関わらず、その熱は冷めやらず友人の家に乗り込んでその思いのたけを朝ま
で、口角泡を飛ばし論じたという。その友人は朝にはつばでずぶぬれになっていたという。
「オラァ今度家にチョコレート工房を作った」というのが、その論点だったという。そんな小店を村中に作って、再び
繁華だったころの賑わいを取り戻そうと、つばとともに語ったそうである。
チョコレート工房とはまた粋なことを思いついたものだと思ったが、止まれあのるつぼの中の湯のように煮えたぎって
いた熱はこの程度のものだったかとふと思い、いくらか興ざめした思いであった。
せめて温暖化を見通し、廃園地また荒廃園そして見捨てられた急傾斜地も取り込んで、一大カカオの生産地にしようで
はないかと、元さんらしい花火を上げてほしいと思った。
とは言えカカオがこの地で育つかどうかは、分からない。しかし上杉鷹山公の遺訓ともいうべき「為せば成る、為さね
ばならぬ何事も、成らぬは人のなさぬ成り」を、忘れてはならぬだろう。
この地域の江戸期から今日までの農耕の歴史を見れば、蝋燭の蝋を得るためはぜを植えそれがだめになれば養蚕のために
桑を植えまたそれがだめになれば芋を植え三度それが駄目になり、時代の波に乗ってか流されてか分からぬが、ようやく
みかんにたどり着いたのである。
そこには時代の流れをよく見てそのつど最適なものを耕作してきた百姓のしたたかさが偲ばれるが、見方を変えればた
だ時代に翻弄されてきた歴史と、言えなくもない。
そのみかん作りも数十年を経て少し陰りが出てきているように、見える。川面に浮かぶうだかた(泡沫)のように浮かん
では消え消えては浮かぶを繰り返し、やがて儚く消えていく定めの中にあるような、気がしてならない。 この数年みか
んも高値が続いているがこの高値が未来永劫続くなどと幻想を抱いては、いけない。
まして温暖化による気温上昇でみかんが作れなくなる状態が、すぐそこに来ているのである。
今一度百姓のしたたかさを見せる時では、ないだろうか。




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