令和6年 7月...7月30日配信
左上 今年初めての入道雲 右上 下刈りの作業地
中左 俵津湾 子供の頃ここを泳いでいけば、アメリカに行けるのだと ボーっと眺めて いました
中右 俵津集落 画面の中央奥の山の麓が新田集落です
下左 画面の左寄りの断崖絶壁の段段畑を見てもらいたくて撮りました
下右 荒廃園 一年ぶりにこのあたりを歩いてみると、荒れた畑が 多くみられる見られるようになっていました。
限界集落
先日NHKの特集で限界集落と言う、番組が放送されていた。それは福島県の山間にある、戸数70戸余り人口200人余
りの、小さな集落であった。集落の規模という点で見れば、私どもの新田集落とほぼ同じ規模である。
東北地方と四国地方と互いに遠く離れているにもかかわらず、そこに住む人達とはもう何十年も共に暮らしてきたかと
思えるような、懐かしさが感じられた。
何がそういう思いを抱かせたのか。のどかな山里のたたずまいに幼いころの故郷への思いが思い起こされ、郷愁の念
に駆られたのだろうか。そんな感覚がなかったとは言い切れないが、一考するに天平の時代から千数百年育まれ受け
継がれてきた田舎暮らしの遺伝子が血となり肉となって、我が身の身をうずかせたのではないかと、思う。
番組中高齢で米作りを断念せざるを得なくなった老人が、処分するトラクターのエンジン音に聞き入りつぶやいた一
言が、老人の生きざまを語っていた。 「米が欲しいんじゃない、金が欲しいんじゃない、思い切り働きたいだけじ
ゃ」の一言は、働いて働きぬいて生きてきた老人の、百姓としての一分がまた矜持が短い言葉の中に、こめられていた。
私も昨年末肺がんに罹患し二十数年耕作してきたみかん作りを、断念せざるを得なくなった。ようやくみかん作りがど
ういうものなのかわかりかけてきた時期だけにその情けなさ無念さは、老人の一分ほどではないにしろ自分の中で何か
が失われていくのを、感じられずにはいられなかった。
限界集落とはどこかの大学教授が思いついものだそうだが、頭数だけで田舎社会を評価位置付けるのはどうであろうか。
学問としてはそんな考え方が都合がよいのかもしれないが、田舎暮らしとはタヌキやキツネそれに野の一木一草さらに
鳥の声までも、その構成要素である。
ミンミンゼミの泣き声に夏の訪れを感じニイニイゼミの泣き声で秋の訪れをしると田舎暮らしを延いては田舎社会を限
界集落として位置付けるのは、一側面しか見ていないことになるのではないか。
2100年日本の人口は六千万人くらいまで、半減するという。その時いま限界集落と呼ばれている集落の多くは消滅
して無くなっているだろう。
しかしポツンと一軒家という番組に見られるように、例え一人になろうと生き生きと暮らしている人達を見ると、便利
かもしれないが様々な騒音の中で暮らしている人たちと比較して、果たして不幸せと言えるのだろうか。
こんな素晴らしい田舎暮らしが消えてなくなるとは心寂しいばかりである。こうなることは数十年も前から分かり切っ
ていたことであるのに、何の手も打ってこなかった通称政治家と呼ばれている者たちの、怠慢である。やりて婆あとカ
マキリ女の一騎打ちなどと煽るマスコミもマスコミだが、それに乗るのも乗る方である。もはや明治は遠くなりにけり
である。
そんな状況に全国各自治体も手をこまねいているのではなく何とかしようと、動き始めてきた。中でも力を入れている
のが、移住者の受け入れである。
愛媛県でも移住者が七千人を上回るというから、それなりの成果を上げているようである。私どもの明浜町にも十数名
の移住者が、暮らし始めている。
中でも本当かと思えるような東京の世田谷生まれ世田谷育ちという、江戸っ子の娘が移住してきている。初めて知った
のは町有林の下草雑木の刈り払い間伐の、集落の共同作業の時である。
男でも嫌がるこの作業にしかもトイレなど無い山仕事に、若い娘が参加していると聞いたときは、我が身の耳と目を疑
った。 それから数年経ち今では田舎暮らしもすっかり板につき、どこから見ても田舎娘になり切っている。
先日は集落のおばちゃん達がちらし寿司を作って販売するというので、その準備から販売まで忙しく動き回っていたみ
たいである。
以前私どもの集落では冠婚葬祭の時、ちらし寿司をパックに詰めて親戚友人とか親しい人に配る風習があった。隣近所
を中心に手伝い回りと称されるおなごし(女衆)人達でそれを作るのだが、その時牛蒡のそぎ方すし酢の合わせ方なども
ろもろの作業を通じて、田舎者としての"素養"が磨かれるのである。
このお寿司各家によって我が家の味があり、各家によって味が違う。だからあそこの家のお寿司は美味しいと言っても
らえることは、名誉なことでありおなごしのステータスでもある。
そして彼女もこのままここに定住してくれていい人を見つけ、やや子でも産んでくれればこれほど素晴らしいことはない。
人が減れば集落での共同作業もできなくなり、大袈裟に言えば集落の伝統文化の火も失われていくでのあろう。そして
そう言うことが限界集落と呼ぶきっかけになったのだろう。
過疎の大波はどんなに立派な大きな堤防を築こうが防げる、ものではない。そんなことは百も承知で暮らしているのだ
から、限界集落だろうが消滅集落だろうが、どっちでもいいことである。
朝は虫の泣き声で目を覚まし、夕べは鳥のさえずりとともに眠るそんな暮らしが続けられる限り、私の田舎暮らしは続
く。
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