令和6年 6月...6月30日配信






よんどころない事情があり、画像の準備が出来ませんでした。
みかんの画像は6/29日現在の早生みかんです。ピンポ玉くらいの大きさです
右端は私の散歩道です

みかん争奪戦
まだ私が幼かった昭和三十年代だつたか、石原裕次郎の歌う東京ナイトクラブいう歌が、流行していたころがあった。その歌の
曲名になぞらえて巷では農協無いと困るという一見川柳か思えるような洒落た言い方が、誰の口からも漏れていた。
ただこの多少自虐的な雰囲気の漂う言葉の中に、自分自身の存在意義を確かなものとして捉えらられぬ、みかん農家の朝露のよ
うなはかない気持ちが、漂っていた。
いくら手や足を励まし朝は朝星夜は夜星と身を擦り切らして働いても、手取り収入が高校新卒の初任給に満たないのでは、百姓
の矜持も汗とともに流れるのみであった。そんな農家の困苦欠乏を、陰ながら支えたのが、農協であった。
農協のその事業の内容はゆりかごから墓場までと言われるように、小さな総合商社のような機能を持っている。言いかえれば田
舎暮らしの、支えのようなものなのである。
だからおすそ分けがどうだとかしきたりがどうだ゛とか、目にしたことまた感じたことを言葉にするのはた易いが、それでは田
舎暮らしの本質に触れていないことになるのでは、ないだろうかと思う。
農協も創立から百年近くたち、その組織は一言二言で語れるような単純なものでは、なくなってきている。そしてあちらこちら
で綻びが見られるようになり、そろそろ黄昏を迎えているのかと言った、感慨を持つこともある。
そんな現実を物語るものに玉津第三共撰と明浜第五共撰の、合併がある。
玉津第三共撰とは先の西日本豪雨で大きな被害の出た、共撰である。豪雨の後出荷量が減少し共撰の維持が厳しくなっていると
いう、噂は常にあった。
明浜第五共撰は農家の高齢化後継者不足さらに有機栽培に特化した農業法人無茶茶園の影響もあり出荷量は激減し、玉津共撰同
様共撰の維持が、困難になっていた。そんな苦境から脱しようと二つの共撰の合併が、行われたのである。
互いに十数年前までは旧宇和青果農協(現在JA南)管内で第三第五共撰として選果作業に携わっていたのだが、平成の農協大合併
でJA南そしてJAひがしうわと袂を、分かつことになった。
その時第五共撰側が手切れ金として三億円余り持って出たことで、その後の合併交渉はそれの扱いがネックとなって、うまく進
まなかったという。その間の事情を私は良く知らないが、相当揉めたらしい。
皆の手を煩わした復縁交渉もどうにかまとまり、共撰の運営も滞りなく進むはずであったが、ここにきて新たな問題が発生した。
一般的に生産者は生産したものは原則農協に出荷するのが、たてまえである。それを横流しいわゆる抜け荷は天下の御法度して一
部の品物を除いて(例えば格外品)固く、禁じられていた。
例えば国道わきに直売所を出店しみかんを売ろうとすれば、旧宇和青果農協に罰金十万円を納めなければ、出店できない決まりで
あった。
それらのことが厳密にいえば守られていなかったっが、そこそこ秩序だった出荷は守られていた。そこにそんな決まり事どこ吹く
風と半ば強引に割って入ってきたのが、丸協青果販連市場であった。
丸協青果販連市場は私も所属している、取扱高二十億余りの小さな地方卸売市場である。丸協市場もご多分に漏れず他市場との競
争農家の減少などもろもろの理由で、取扱高を減らしていた。
それに危機感を持ったか募らせていたか判然としないが、やる気満々の一人の職員が生産農家の戸口まで行って、みかんを集荷し
始めた。農家にとって戸口までみかんを取りに来てくれることは出荷の労力も含めて願っても、ないことであった。
そしてそのみかんをセリで売るわけであるが、それを集荷して来た本人がセリで一般の出荷者の物より十円二十円高く売るものだ
から、当然といえば当然だが、このやり方に火が付いた。
どれほどの火の付き方かと言えば、十五億まで落ち込んだ取扱高が一気に二十億まで回復したことである。果実の販売手数料は8
パーセントだから4千万円利益を伸ばしたことにる。
これはこれで褒められてしかるべきことであるが、これを良きにはからえなどと呑気に構えていられないのが、共撰側である。本
来ならば明浜第五共撰のみかんが第三共撰に集まるはずであったのが、それをトンビに油揚げではないが知らぬ間に、横取りされ
た格好である。
これがただの業者間での行為ならば共撰側も何も言えないし何も問題は生じないところなのであるが、共撰側は丸協市場の出資者
で株主なのである。
言わば市場は売ってはならないところに喧嘩を売ってしまったと、言うことである。この喧嘩ももう二年目に入ったが決着のつく気
配はない。市場ではますます出荷量が増え連日二千三千コンテナ(およそ15KG入り)の、出荷が続く。
今では親組合(JA南)をも巻き込んで、善後策を協議しているという。しかし親組合としても迷惑な話である。逃げた女房が何の手土
産も持たず、禍を引き連れて帰ってきたようなものなのである。
これを機に明浜共撰を離脱する者も増え、いずれどこかで理事の首が離れ一件落着と言うことにでもなりはしないかと、言葉は悪い
が高みの見物と言うところである。
農協組織は組合長だとか理事だとかの役員より、一般組合員の一言のほうが強いのである。言いかえれば一般組合胃の信頼のない者
は、まず理事などにはなれないのである。
だからこの喧嘩最初から抜け荷側の勝利であり、立場上喧嘩を買わなければならなかった理事は、気の毒である。
世の中驚くほどの速さで変わっていっているのに、旧態依然として変化についていけてない農協組織の体質の古さが露呈した、格好
である。
その良い例が住専に続いてリーマンショック更に三度一兆五千億円と言う巨額の損失を出した、農林中金。黙っていても下部組織か
ら預金の集まる殿様商売のような体質にどっぷりつかり左うちわでやっていける、時代ではないのである。
一億でも二億でも出して金融のプロを一人雇えばこんな損失出さずに済むことなのに、そう出来ないいろいろなしがらみが、あるの
でしょうか。




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