令和6年 4月...4月30日配信






上左中今年の花の状況 べた花状態です。上右適正着果量です。みかんにとって花を咲かすのはお産の苦しみと言われています。
下左 宇和ゴールド実があるのに来年の実の花が咲いています。 下中 果頂部に残った花弁これが落ちて一週間くらいで
灰色カビの防除です
 下右 なつみです。なつみは連休明けくらいまでならしておかないと、酸は抜けません。採って置いても全く抜けません。

産地は今
その昔西暦1700年代明浜町にみかんの苗木が、もたらされた。それはクネンボと呼ばれていたも
ので、紀伊国屋文左衛門が大もうけしたという、あのみかんである。
当時江戸の子供たちの健やかな成長を願う行事に欠かせないものだったそうで、先を争って買い求め
たのであろう。いつの世も子を思う親の気持ちは時代がどんなに変わろうとも、山麓にどっかりと腰を
下ろし麓を睥睨するがごとく大岩のようにその思いは、普遍である。
くねんぼが植えられてから二百数十年その畑の多くは、蝋燭の原料のはぜの木・蚕の餌の桑・そしてさつ
ま芋と時代とともにその風景を変貌させながらえて、来たのである。そんな変遷を遂げながら戦後ようや
くみかん作りが花開き、猫も杓子も先を争ってみかんの苗木を植え、かっての芋畑だった山はあっという
間にみかん畑となった。収穫時には山はことごとくみかんの紅い色に染まり、その景色はみかん産地なら
ではの風景であり、活気にあふれた時代であった。
しかし昭和四十年代に入ると生産量は益々増え全国で三百万トン(現在は七十万トン)といわれるほどにな
り、過剰生産が誰の目にもはっきりと認識されるようになった。
やがて大暴落の予兆がここあそこで散見されるようになり、それが現実のものとして何もかも飲み込んで
しまうような大きなうねりとなろうとも、生産者には何の打つ手もなかった。
ただ一つ救いだったのは明浜の産地では伊予柑・ポンカンがみかんと同等程度の生産量があり、それが
一時期みかんの落ち込みを、補ってくれたことである。しかしそれも長くは続かず、いつしか暴落の波に
飲み込まれることになった。
そしてその波の中でもがき苦しみ浮かんでは沈むことを繰り返しながらもよく耐えて、そして今日がある。
当時の専業農家の手取りは一町歩(1ha)あたり100万円もなく、高校新卒の年収にも及ばないものであ
った。
それが今かつての賑わいを取り戻したかのように、集落は活気にあふれ笑顔に満ち溢れている。一体何が
どうしてこうなったかは、諸説あるところである。一つ言えることは政府の減反政策が功を奏したと言え
るかもしれないが、そこには高齢化・後継者不足・嫁不足などによって離農者が増え、結果として減反が
進んだという、笑うに笑えない現実も、見え隠れするのである。
その賑わいの陰で荒廃園が日増しに目立つようになった。往年のみかん色に染まる山など見るすべもなく
なったが、その離農者の手放した畑を代作で耕作し、生産量が上がった分豊かになったといえ、それがみ
んなの笑顔に表れているのである。 みかん農家にもようやく薄日が、差し始めたようである。十年前の二
倍三倍の値段でみかんが売り買いされるのだから、生産者としては笑いが止まらぬところである。つい十
年前のころの失望の日々が嘘のようである。
そんな笑顔の中でとりわけ威勢のいいのが、ジジババ達である。これが本当に高齢者かと思うような、意
気軒昂ぶりである。
ひとたびマイクを握ればこれぞ冥途の土産とばかり、入れ歯が飛び出すのもなんのそのその熱唱ぶりを見
るに、いまだ田舎者の気骨衰えずといったところか。
棺桶が早足で寄ってきていることなど埒の外でその天をも恐れぬその振る舞いぶりは、田舎者ものの真骨
頂であると言えよう。
とは言えこの穏やかな日々があとどのくらい続くので、あろうか。ジジババの元気な振る舞いの陰で地球
温暖化の招かれざる脅威が、じわりと忍び寄ってきている。
後数十年でその脅威は現実のものとなり、今適地だと言われている産地の5割が、不適地になると言われ
ている。 その主なものは日焼けと浮き皮果だと言われているが、もう一つある。それは着色不良果になる
ことである。
温暖化によって夜温が高止まりし昼夜の寒暖差が小さくなると、着色が遅れる。一般的に早生みかんなど
は11月中旬頃には完着となるが、夜温が高いとそれが薄呆けた白っぽい紅い色になり味も悪くなるし見
た目も悪く、商品価値は著しく損なわれることになる。
日焼け防止には袋掛けという手あるが、何万個も成っている実にそれは、現実的ではない。浮き皮防止に
は薬剤もあるが、今一つ確かではない。着色不良には標高500メートル辺りでのみかん作りをしなくて
は、ならないだろう。 どれ一つとっても今のところこれはと言う、解決の方法はない。そんな産地崩壊の
危機が嫌がおうにも、迫ってきているのである。
浮かれるのはジジババだけにして本腰を入れて、温暖化対策に取り組む時期に来ているのではないかと思
うのであるが、若い衆どうであろうか。
どこぞの悪代官が木っ端役人見習いに、その方たちの教養知性は百姓町人を、はるかに凌ぐものだとたわ
けた事をを口にしていた悪代官の、罵詈雑言。許しがたいことではあるが、漱石の言う「世の中は馬と鹿
と馬鹿との相談事」と思えば、はかしー(ほっとけ)と言うことになるかもしれないが、温暖化は「はかし
ー」という訳にはいかないが、さあどうする若い衆。
  地球は回っているのである。




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