令和6年 3月...3月17日配信








肺がん記 その2
喀血から一年余り医者にもいかずほったらかしのあまりにもオオド(横着)な振るいに、神様も
腹を立て声を、出なくしたのであろうか。
声が出なくなったことで私の体に何らかの異常が生じていることに、皆がおかしいなと思い始め
たのだろう。口の悪い輩などからはそりゃ肺がんじゃはよ死ねなどと冗談など言われ逝くときは
お前も連れて行ってやろかと言いかえしていたりしたが、一方でうつせるものならばうつしてや
るのになどと、半ば本気ともとれるような気分になったりも、したものである。
声が出なくなって数日私の気持ちはどうすべきか分かっていながら、何が最善かと相克相反する
葛藤の中にあって、隙間風に頼りなげに揺れるろうそくの炎のようであった。
肺がんと宣告される怖さもあったのだが、それ以上に通院のわずらわしさみかん採収それに小商
いとは言え仕入れを休むわけにもいかず、それらの段取りがつかずずるずると先延ばしにしてい
たのである。
しかしもう潮時であった。そしてそれは死ぬ覚悟ができたと、言うことでもあった。
診察が終わり先生「ガンじゃろか」と問えば何も答えない先生の表情からそれがガンであること
は、容易に推察できた。そして大きな病院で精密検査をするように言われ、それがガンであるこ
とは、確信に変わった。
大きな病院と言っても近くには市立宇和島病院しかなく、選択の余地はなかった。こんなところ
が田舎暮らしの悲しい立場で、御名御璽のハンコを額にポーンと、押されたようなものである。
精密検査と言ってもCT検査・気道内内視鏡検査・PETCT検査の3検査で、一般の検査と変わらな
いものであったが、そのたびに仕事を休まなくてはならず、そのことが一番の悩みの種であった。
特に気道内内視鏡検査などはわずか十分ほどの検査に、3泊四日の入院を余儀なくされ、泣きっ
面に蜂状態であった・
最後のPETCT検査は松山市の東隣の東温市にある国立ガンセンターで受けたのであるが、通常の
CT検査とは違い放射性物質を注射しそれが安定するまで薄暗い部屋で40分間安静にしていなく
てはならず、検査時間も30分を超え、身体的にはちょっときつい検査である。ところがその安
静の時間中に寝込んでしまい、大きな声で呼び起こされると、言うようなこともあった。
最後の検査も終わり11月13日検査結果の報告があり、扁平上皮癌ステージ3初期段階とリン
パ節転移ありという、立派な病名を頂きました。
手術のできない部位にガンがあるため、放射線と抗がん剤による治療になるとのことと治療計画
書には書いてありましたが、最後に根治を目指すと担当医の並々ならぬ覚悟が記してあり、この
先生に出会えて良かったとしみじみ思った。
すぐに入院というところを仕事やら何かと段取りがあるので、11月27日に伸ばしてもらい入院
となったものの、仕入れの段取りが付かずいよいよ土俵際に追い込まれ頭の痛い数日を、過ごさ
ねばならなかった。
その段取りが付いたのは入院の数日前で、それを受けてくれた友人には未だに感謝の念が絶えな
い。                          続きは次号で

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