令和6年 2月...2月29日配信




肺がん記 その1
人は良く塞翁が馬という。また浮生はあざなえる縄のごとしとも、言う。
降りかかる禍など力ずくで打ち払い、絡み合うしがらみなど糸くずの如く一息に吹き飛ばし、カンラカンラと下駄音も高く豪放磊落に我が
道を行く事が出来れば、これほど痛快なこともないだろう。
しかし人の世とは石ころがあればつまづき、穴があれば落ちてしまうのが、世のつねであろう。
今月のメルマガはそんな石につまづき穴に落ちたりして私が病気とともに歩んできた、その上に患った肺がんの記録である。
私の病歴を簡単に述べておくと、基礎疾患に糖尿病・高血圧があり、そしてこれまで に、脳梗塞・直腸がん・狭心症と患って、きました。
もうこれでお終いかと思いきや、こともあろうに今度は肺がんになるとは、どこに石ころや穴がぽっかりと口を開けて待っているか分かっ
たものではありません。まさに塞翁が馬でした
どれも一つ一つは重大な疾患ですが、いずれもすんでのところで踏みとどまり、命ながら得てきたという、ことでした。
見方を変えれば運のよい男と言えるかもしれないが、果たして病気になって運が良い悪いなどと喜んだり悲し悲しんだり果たして、意味のあ
る事であろうか。
今回の肺がんもステージ3初期段階でリンパ節に転移ありと言うことで、滑り込みセーフで何とか命拾いをしたような塩梅だつたが、喜んで
良いものだろうか。気持ちは悲喜こもごも入り乱れ、複雑である。
現在の治療統計上では、ステージ3の場合5年生存率が4割くらい、であるという。この4割に入るか否かをかけて今自身の体の中でガンと
抗がん剤の戦いが繰り広げられているのだが、多少の副作用はあるものの痛くもかゆくもないので、そんな戦いが行われているとは、とても
実感がわかない。
私が初めて肺がんらしい兆候に出くわしたのは、一昨年(2022)の10月の、ことであった。
その日もいつも通り畑に出て山小屋の前で靴を地下足袋に履き替えていた時、急にせき込んできて何度か咳をした後、口の中に血のようなも
のが出ているのを感じ吐き出してみると、お猪口一杯分くらいの少し粘い感じの、血であった。
そしてその後は痰に血が薄くにじむ程度でそれも数日内には見られなくなり、焼酎の飲みすぎで食道当たりの毛細血管でも切れたのかと大し
たこととも思わず、放置してしまった。
次に異変を感じたのは年が明けた(2023)2月頃だった、だろうか。それまで日課にしていた散歩の中で100メートルくらいの駆け足は
何ともなかっのに、それが何となく体がだるくて足が重たく感じられたのである。
そんな状態で5月連休まで何となく過ごしていたら、連休明けになって急に動きずらくなり10分の散歩もしずらくなり、そのうち仕入れ先
の青果市場でも動悸息切れめまい立ち眩みと、座り込んで休まないと動けないことが何度かありこれはさすがに何かあるなと鈍い私も、異常
に気づいた。
スマホで検索してみると、貧血の項目で全く同じ症状の記述があり何だ貧血だったのかと勝手に自己判断し、サプリメントを買って飲んて゛
見たところたちどころに症状は改善し、以前よりも体力を取り戻したかのようだった。しかし体の状態は一時的に回復したように見えたが
徐々に元に戻っていった。
しかし一方で体重減少が続き僅かの間に3キロくらい痩せ、みんなから痩せたやないかとよく言われるようになり自分でもちょっと痩せすぎ
かなと思ったりしたが、ちょうどこの頃禁酒を始めた時期で体重の減少は、禁酒のせいだろうと思っていてあまり気にとめなかった。
しかし後でわかったことだがこの貧血と体重減少が肺がん発症の、大きなシグナルであるということが分かったが、後の祭りであった。
そうだったとは言え昨年のこの時期雨が少なく玉太りが悪く、摘果しても摘果しても玉は太らずおまけに干ばつで灌水もしなくてはなら
ず、体の状態など気になどしている間がなかった。
しかし灌水中にめまいがしてみかんの樹にしがみつきながら、灌水をしたことを思うとやはりやりすぎだったのかなと、思う。
そうこうしているうちに、ますます体は疲れやすくなりまたつかれが取れにくくなり、今年のみかん採りは出来るだろうかと、心配な気持ち
囚われ始めていた矢先、それはやってきた。
それは宇和島市の背後に四国山脈に連なる最西南南端に位置し、この南予地域の守り神ともシンボルとも称される、鬼が城と皆から親しまれ
る標高1000メートル級の山がある。
その鬼が城を水源として住宅街を分かつようにしてその流れを宇和島湾にそそぐ、神田川原と呼ばれる小さな川がある。その狭い川土手(コン
クリート舗装)を信号を避けるために私は毎日、市場への仕入れに利用している。"裏道の中の裏道で他所の人はまず利用しない"
その小さな川にかかる橋をいつもの朝のように渡ろうとした時いきなりせき込み何度かせき込んでそして咳がおさまると、声が出なくなって
いた。
その時右手に払暁の薄暗いもやの中に、市立宇和島病院の病棟が見えた。それは無言でこれから先のことを、暗示しているようでもあった。
                                 来月号に続きます。

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