令和5年.....7月30日配信

四国88か所58番札所仏木寺に行ってきました 宇和島市三間町にあります私の家から車で30分ほどの、距離です

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左中・・・
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田舎暮らし 西日本豪雨のそれから

西日本豪雨から5年、復興は未だ半ばである。自然災害だとは言え、広い意味でとらえれば人災であると、言えなくもない。

例えば西予市野村町のダムの緊急放流による、洪水などである。ダム管理当局は管理マニュアルに従って、放流したと言う。西予市は放流前有線放送で、周知したと言う。

ダムが満水状態に近く崩壊の危険があったと、だから緊急放流をしたと国交省は言う。そもそも満水状態で崩壊する程度の強度でしかダムが作られていないとしたら、人災と言われても仕方がない。行政は行政で有線放送で周知したと言うが、あの豪雨の轟音の中でどれほどの人の耳に届いたかは、よって知るべしである。この件は今裁判になっているのでいずれか白黒はっきりするであろうが、だからと言って犠牲者の無念は晴らされることは、ないだろう。

このような洪水は過去にも、あった。野村ダムから下流10キロほどくだったところに肱川ダムという、ダムがある。この時もダムの管理マニュアルに従って、緊急放流をしたと言うがマニュアル通りにいかないのが自然災害だと言うことを、よもや忘れてはいないだろうか。今回の洪水にその時の教訓が、全く生かされていなかったのである。

この時の洪水の原因の一つには川砂の採取禁止が、あったという。それによって川底が浅くなっていた言うのだが 、これなどそれなりの地位の者が禁止は解除と言えばすむ話であろうに、役人の頭は栗カボチャより、硬いようである。それが災いを呼ぶのであろう。

この度の災害からの復旧を愛媛県では、災害復興と呼んでいる。どこが違うかと言えば復旧は元の状態にすることであると思うが、復興はそれをさらに進めて災害に強く更に労働生産性の良い 園地にして産地を守ろうと、言うのである。

その復興事業の主旨は誠にその通りで口をはさむ余地が無いように、思われる。しかしよくよく考えてみたら今後生産者は減っていく一方で、それにつれて廃園化は一層進むであろうし、良い園地を手に入れる機会は、増えるだろう。

そんな状況の中で反収20万30万の畑に復興事業だと言って、何千万もかけるのは費用対効果からみても、はたして意味のあることだろうかと、思わずにはいられない。

ましてあの豪雨災害の後全国から救援物資や励ましの声が届き、生産者一同皆感激の言葉を口にしていたものであるが、その裏で手を差し伸べてくださる人々の善意をないがしろにするようなことも、行われていた。

通常は加工原料などは生食用としては市場に出回らないものだが、なんとそれを箱詰めにして出荷していたと言う。それが原因かどうかは分からないが、当該共撰場は雲行きが怪しくなってきて、いると言う。

口先でいくらきれいごとを言っていても一皮むけば、こんなものかと思わざるを得ない。こんなところに血税をつぎ込むことに私は、なんとなく腑に落ちないところがあり、知事の人気取りなのかと勘繰りたくなる、気分もある。

7月23日梅雨明け発表があった。梅雨が明ければ摘果作業本番である。照り付ける日差しの中での作業は、暑さとの戦いでもある。先月南予地方で摘果作業ではなく、合羽を着て消毒散布中に人が亡くなったと、新聞記事があった。かく汗もひどい時にはくるぶし位まで溜まり、ジャブジャブと水の中を歩いているようになるが、この時もそんな状態になっていたのだろう。誠にみかん作りも命がけである。

ところでこの間内から気になっていたのだが、この夏長い虫やタヌキ・イノシシの類が全く顔を見せない。タヌキやイノシシの足跡もない。まさか海水浴などに行ったはずでもないであろうが、いったいどこに雲がれしているのか、再び顔を見せたとき何が起きるか、戦々恐々である。

昨年はイノシシに園内道を突き崩されて元通りにするのに、一週間ほど要した。崩された石を拾い集めモルタルで固め、以前より広くなった園内道は我が汗の結晶とまでは言えないが、復旧ならぬ復興であった。



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