令和5年  ・・・・4/30日配信
左上・・・花が多くべた花状態です。
右上・・・南柑20号の花です。
左中・・・芽と花の割合がよい状態です。
右中・・・花は多いですがそれほどでもと言ったところ。
左下・・・倉庫の前のはぜの木が風に揺れています。椅子に腰かけそれを眺めていると世     間のわずらわしさから若干、解放される気がします。
右下・・・西予市明浜町俵津の大浦集落です。標高200メートルの野福峠から、撮影しました。

田舎暮らし 春のみかん畑

全国的に桜の開花が驚くほど早く何もそんなに咲き急がなくてもと言う気持にさせられた、今年の桜であった。 花は桜人は武士だとか散りゆく花に憐みの感情を抱き、水面を漂う花びらを花筏などとよんでいっそう桜に思いを寄せるそんな日本人の多様な感情は、どのようにして育まれたのか。 とくに学校で習ったわけでもなく親からそう躾けられた、ものでもない。それは生まれながらに日本人に備わっている自然へ慈しみの思いが、形として現れたものであろう。 一方お隣の中国では"芳草鮮美落英繽紛たり"と、咲き乱れ乱れ散るさまがもっとも、素晴らしいと言う。国柄が違うとはいえ同じ花を見てこうも受け止め方が、違うのである。この違いによってもたらされる、見える所は全部自分の土地だとばかり南の島を乗っ取りにこようとすることなど、その気持ちがなんとなくわかるような、気もする。 台湾もまたしかり。日清戦争の戦後賠償の交渉の場で、大久保利通が台湾はどうするかと聞いたところ、当時の清朝政権(末期であったが)は好きなようにどうにでもしてくれ(坂の上の雲より)と言うことだったので、嫌々ながら我が国が植民地にしたのだが、それをいまさら一つの中国を国是として武力解放もいとわないとは、恐れ入るばかりである。 とは言え台湾の内部の人たちの中にも、本土に寄りかかって生きている人たちも多いらしく、これは我々素人が考えている以上に、複雑な問題を抱えているらしい。単に民主主義を標榜するだけでは、解は見つからないのではと、思うのであるが。触らぬ神にたたりなし。くわばらくわばら。 桜の開花がはやくそれに引きずられたわけでもないだろうが、みかんの新芽やつぼみの出るのがまた早かった。例年から見れば三週間ほど、早かったのではないか。三月上旬何をしている時だったか忘れたが、何気なく見ていた葉元に薄い緑色をした目を凝らさないと分からないほどの小さな芽が、出てではないか。 いくらなんでも早すぎると思い何度も見直したが、芽であることに間違いは、なかった。しかしこの状態の頃は新芽と花芽であるかの区別はつかず、もう少し時のたつのを待たなければならなかった。 花が開花をはじめれば2分3分の開花で訪花昆虫の防除が行われる。この数年は5月連休明けの防除が多かったが、今年は連休前に防除を行わなければ、ならなかった。 訪花昆虫の防除に合わせ灰色カビの防除も同時に(早く言えば手抜きだが)行う。この防除は別に精品率を気にしなければまた多少の傷や汚れを気にしなければ、別にやらなくても良いものだが、みんながするから私もやらなければ、やっておいたほうがいいかなと、どちらかと言うと後ろ向きである。 厳密にいえば灰色カビの防除は、マッチ棒ほどの実が結実しその頭頂部にあるおしべが落ちてから一週間後の防除が最適と言われるが、そんなこと知っていながらみんな二度の散布は手間なので一度で済まそうと、手抜きをするのである。 訪花害虫防除は3分咲き6分咲きで2度行うのであるが、それに灰色カビ防除を加えれば3度になるわけだが、消毒作業の難儀さを思った頂ければ、手抜きをしたくなる気持ちも、分かっていただけるだろう。 とは言え共撰出荷は選別基準が割合厳しいので、みなそれなりのことはしている。それなりの努力とは言え出荷基準は各共撰でその基準はまちまちで、その基準も消費者の側に立った基準ではなく、中央市場の仲買人のほうを向いた基準である。このことが生産者にとって頭を痛める、一因にもなっている。 最も厳しいのが日本一のブランド名をほしいままにしている、真穴・日の丸共撰である。コンテナの中に一個でも規格外があれば、そのコンテナは持ち帰りになると言う。そんな品質の高さを支えていたのが夜の蝶ともいわれる、飲み屋街の女性達であった。濃い化粧に姉さんかぶりで選別機の周りにずらっと並んだ光景は、圧巻であった。 消費者側から見れば傷があろうが汚れていようが味さえよければ、柄(見た目の良さ)の良しあしなどそんなに気にしないのであるが、流通段階で不都合が起きるのである。 秀品は秀品優品は優品と統一された品物でないと大手仲買などが、電話一本伝票一枚で行う跳ねごし(転送)などができなくなる、からでもある。農家はこんな見えないところでも、泣かされているのである。 泣かされるのは農家の宿命だとしても、御上から何らかの補助金がその痛みを和らげ時とともに、その痛みがいつの間にか消えてしまうから、農家とは不思議な人たちではある。 今年の花の付き具合は昨年の不作から考えれば大変な着花量が、予想された。どうすれば花を減らすことができるかと考えていた時、ほんとに阿保らしいことだが花芽を煎徐すればよいことに、思い当たった。今までそれに気が付かなかった私は、一体何をしていたのだろうか。 今までの選定は何も考えずに強い枝をただ伐り下げる(樹高を低くするのに効果)ばかりで、実がなろうがなるまいがそんなことお構いなしの、剪定であった。 それが今年はなるべく鋸を使わず、剪定ばさみで花の付きそうな小さな枝を、細かく煎徐した。一方で芽ばかりで花がないような樹は、昨年実をつけた結果母子をひたすら煎徐し(アジの骨切)て、少ない花を助けるようにした。成ぐさしと呼ばれるこの小さな枝は花をつけることはなくて、芽ばかり出す。そんな芽の近くに生まれた花などは、芽に負けて落ちてしうのである。隔年結果を防ぐにはこんなちょっとしたことも大切ですが、面倒ですのであまり誰もがは、行いません。 そんな小剪定の効果が少しはあったのか、全体的には花が多いがそれほどの多さではない。多い時にはみかんの樹に雪でも積もったかと思わせるほど、花で樹が真っ白に覆われその後の摘果のことを思えば、今度は頭の中が真っ白である。 今のところ順調に作業は進み、安どの胸をなでおろしている。 昨日からゴールデンウィークである。みな旅行だ帰省だと楽しみなことであろうが、私には農作業でもう一つやっておく、ことがある。それは再予備枝の設定、である。 再予備枝とは読んで字のごとく再び作る予備枝の、ことである。花のある枝の先端に二枚の葉を残し花も葉っぱもちぎり落として坊主枝に、するのである。こうすればちぎった花や葉の所から新芽が出て、それが翌年の結果母子になると言う訳である。 それが時期的にこの連休中でないとだめなのがいささか愚痴の出る所であり、背に腹は代えられないとは言え、実際は手抜きのし放題である。 この枝に出る芽はおそらく6月20日までに摘果したらでる梅雨芽と同じ芽であろうと思うが、それも手抜きをしなければの話である。 早く咲いた花もその後気温があまり上がらなかったせいでか、開花は思ったよりゆっくりであった。訪花害虫・灰色カビの防除も終わりあとは草刈りを少しづつしながら、やがて来る梅雨のゴールデン月間を、待つだけである。





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