令和4年 9月 ・・・・9/30日配信
左上・・こんなに紅い朝焼けは、あまり見られません
右上・・十月中旬頃に初物で出荷されたものです
左中・・二人の方の出荷で合計三キロほどありました
    この日の高値は一キロ六万円でした 右中・・尻部分が凸凹しているのがわかるでしょう
   干ばつ時に見られる現象で菊みかんと呼ばれて
   います。普通の物より糖度は高いです。
左下・・西予市明浜町狩浜の段々畑です

田舎暮らし

十月上旬コロナ禍の前から企画されていたジジババの祭りが、ようやく開催された。 私も実行委員の一人の方の口車に乗せられ、思わずギターでもと口を滑らせたおかげで出演するはめになり、それ以来指の肉も破れ骨も砕けよとばかりギターの稽古はかさねたものの、結果は散々なもので大恥をかくだけに、終わった。

私のギターがさんざんだったこととは裏腹に、五十数名に上るカラオケの出演者の方々の熱唱ぶりは、驚きであった。中にはこんな人がと思うような方の熱唱には、改めてその方への認識を新たに、させるものがあった。

それはそれでよかったのであるが、一つ不愉快なことがあった。

ギターの練習を自宅ですると、通りがかりの人や近所の人(何人もいないが)達の耳に入るのがいやで、山の倉庫で練習をしていた。

ところがいつの間にかそれが人づてに広まりあろうことか、ギターの値段がいくらかだったとかまでささやかれるようになり、少しばかり腹立たしかった。

言わばこんな些細なことでも話題にしなければならないほど、田舎は話題に乏しいことの裏返しでもあるだが、こんなことが田舎暮らしにおいてはその住みにくさに繋がっていることに、田舎者は早く気が付くべきである。

その後コロナ禍で自粛されていた秋祭りも三年ぶりにとり行われ、コロナで抑制されていた感情もこの日ばかりは縄を解かれた犬のように、大いに発散されたようである。

祭りも終わりいよいよみかんの収穫も、本番を迎える。以前ならこの時期猫も杓子も採果ばさみを手放さなかったものだが、それも最近では生産農家の減少で人々の記憶からも、それは薄らいでいっている。

みかん採収はみかん作りの中でも、きつい仕事である。摘み始めから摘み終わるまでの数か月ゆっくりとくつろぐなどと言った時間は、ほとんどないのが現状である。

鳥・狸・猪などの食害に加え雪焼け・浮き皮などの被害が見え始めると皆みかん採収に、血眼である。

なかでも雪がちらほら舞う日に雪害を少しでも防ごうと、鼻水をすすりかじかむ手の冷たさをこらえながら摘むみかん採収は、厳しさを超えて悲しみでもある。

それは有島武郎の生まれいずる悩みで主人公大本が、スケッチ帰りに立ち寄った友人の家で、薄暗い裸電球の下で腰に下げたにぎり飯を取り出した時、それが凍っていることに自分が長男であると言うだけで家業を継がなくてはならないと言う、望まぬ人生のありさまが重なり思わず友人の家を走り出た、彼の悲しみに通じるところがある。

みかん摘みは摘み取った後に成房の軸が長いと、ほかの果実に傷をつけそれが腐敗の原因になるので、できる限り短く摘み取らなければならない。

そのために二度摘みと言う、摘み方が一般的である。二度摘みとは果皮から五ミリほど上にある果硬部を残して一度摘み取り、さらに果皮近くまで軸を短く切り取ることである。

このわずかな間隔の中で瞬時に二回摘み取りの作業を行わないといけないので、思わずとか知らぬうちに果皮を切っていることは、よくあることである。それに気づけばその場で、畑の肥やしである。それを少しでも防ぐために採果ばさみの刃は、刃先にかけてやや湾曲している。

それが災いしてのことなのかどうなのか、以前私のところに摘み子さんで来てもらっていた姉さんは、自分の指を摘んだことがあるなどと言っていたことがあったが、みかん摘みも言わば危険と隣り合わせの、作業であると言える。。

指を摘むことも含めてみかんを摘む速さは、千差万別である。平均すれば一日当たり二十コンテナ(正味16キロ)くらいであるが、手の早い遅いでおそらく少なくとも四コンテナくらいの差が、あるのではないだろうかと、思う。

摘む量に差が出るのは当然のことであるが、それがどうしてかを性格として探求し究明しなくてはすまない私は、何がその原因かと考えた時期が、あった。その時期は何にも分からず、手がかりさえもなかった。ところがある日偶然摘みやすい枝のみかんを摘んでいた時、二度摘みのはさみの早さがいつもより、早いことに気づいた。当然摘む量もわずかではあるが、多かった。みかん摘みの極意を会得した、瞬間でもあった。

摘むのが早い人のはさみの音はパチパチパチと、音が途切れない。一方遅い人はパチンパチンと、音が間延びしているように聞こえる。

それは一度摘みから二度摘みに変わる過程の手の動きの早さの違いに、よるものである。このコンマ何秒かの差が一日では何コンテナの差に、なっていたのである。この大発見に私は満足であった。その発見以来私も摘むのが以前よりは、早くなった。

これ以外にもみかんを摘みに枝に足をかけ登ろうとするが、枝が混んでいて頭が上に出せなくて樹の上でかがんで摘まないといけないなど、いろいろである。頭や体が枝の上に出せない状態でみかん摘みは、体力的に倍ほど疲れるものである。だから普段から込んだ枝は整枝しておくことが大事だが、つい怠けてしまいいざと言うときにしんどい目を味わうことになるのである。

そんなみかん摘みがたけなわを、迎えている。九月十月の気温が高かったので着色がやや遅れているものの、夏の日照りで味は上々である。

私の園地でも昨年は鶏糞だけの仕様で、味的には失敗だったが今年は魚粉に戻したのが功を奏したか、糖酸バランスの取れた良いミカンになっている。

しかし一点残念なことは実のなり方が少なくて、大玉になってしまったことである。小さい実ならば摘果で調整できるが、大玉の場合敵果することもできず、お手上げである。畑に行って大きな実を見るたびに、がっかりするばかりである。

こんな後は着果過多になり翌年は不作となることは、周知の事実である。それを防ぐには十一月秋芽の除去と来春今年実をつけた結果母枝の除去、である。

そしてその結果が現れるのが再来年の春だから、ちょっと気の長いことではあ。しかしそれがみかん作り、なのである。




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