シジフォスの絵(1945年作)
デュレンマット著
有内嘉宏訳
偶然に導かれて、私はこの冬フランス系スイスの村を訪れたが、そこですごした孤独の時間は、もはや夢か幻のような記憶にしか残っていない。たしかに、長く波うつ白い丘陵はありありと目に浮かぶが、わずかな山小屋は不気味にも、私が興奮してあたふた行き来した、雑多な階段や廊下や居心地の悪い部屋に収斂してしまった。この失われた数週間のなかで、ただ一つの体験は、たとえば太陽を不意に見れば、ギラギラ斑点がいつまでも目の前に浮かぶように、心に焼きついている。私は当時、どこか暗闇のなかに消える、折れ曲がった階段から、半ば氷におおわれた窓をとおして、すべてが鮮やかに、だがまるで音もなく繰り広げられる、こうこうとあかりのついた部屋を眺めていた。そうしてひとつひとつの事柄が私の心をとらえて離れない。子供たちがあのとき身につけていた服の色までも言えようが、特にはっきり覚えているのは、金髪の少女の金で刺繍をした真っ赤なジャケットだ。まるいテーブルのうえに子供らはトランプ・カードで大きな家を建てていたが、みんなのきわめて慎重な動きを追うのは、独特のおもむきがあった。いざ建物が完成するや、子供らはそれを壊しはじめたが、案に相違して、性急な動きではなく、トランプを丹念に一枚ずつ取りだして解体してゆく。ちょうど建設した作業に匹敵する、大変な労苦のすえに、ようやくトランプの家は消えうせたのだ。この奇妙な出来事が、かなり以前に生きていた、ある男の破滅を思いださせることになった。つまり、私はこっそり子供たちのほうを眺めながら、部屋のなかにあらわれてきた、穏やかな絵の後ろに、二枚目の絵が、最初の絵よりも暗くて一風変わっているが、いかにも似かよった絵が、初めのうちぼやけていたが、ますます判然と輝きだすように感じられるとともに、ある故人が不可思議な行動によって呼び覚まされ、久しく思いだす勇気がなかった、あの不幸な男が、子供の遊びを介して否応なしに私の意識にわけいってきた。別に恐ろしい話ではなく、記憶の薄明かりにやわらげられてはいるが、輪郭は鮮明であり、故人の実体が一気によくわかった気がする。夜明けはときたま最初に水平線の輪郭を、つづいて個々の事物をあらわにするように、故人の心の動きが私のうちに浮かびあがってくる。
さらに、故人の人柄をめぐって流されていた、さまざまな暗い憶測もまたよみがえってきた。たとえば、当時テーブルに置かれていたカルタを見て、彼はひそかに賭け事にこっていると陰口をたたく、噂話を思いだしたことも覚えている。私はこうした噂を長らく、いろんな別の風説と同じように、風変わりな人物について織りなされる一種の伝説と考えて、彼の運命を決定づける恐ろしい逆説にはまったく感づきもしなかった。当時、あの男が瞬間に左右されない芸術品にとりまかれていた状況にだまされてしまったが、彼自身の言葉が私に警告を発していたにちがいない。なぜなら、口癖のようにこう何度も言っていたのだから─
「わしは瞬間にとらわれている。だからこそ、君たちが星を眺めるように、芸術を冷静に鑑賞することができ、みんなよりも[永遠の価値をもつ]芸術について多くのことがわかるのだよ」
さらに、彼の名前さえ忘れてしまったことが、近ごろ重大に思われるが、たしか学生たちは彼のことを「赤マント」と呼んでいたような記憶がある。かつてそのような呼び名がついていたとすれば、どうしてそう呼ばれるようになったか、とんと覚えがないが、彼の赤色好みが一役買っていたのかもしれない。
他人に大きな力をもつ者にはよくある話だが、「赤マント」の力も隠れた犯罪に基づき、私たちがおとぎ話のようなことを耳にした、彼の莫大な財産は、つまるところ犯罪の賜物にほかならなかった。この種の犯罪は、犯人自身の悪意から行われることはめったになく、閉ざされた社会へ割り込むための手助けとなる、いわば必要不可欠な手段なのだ。
それにしても「赤マント」の犯罪は、彼の企てたすべての例にもれず、奇妙であり、破滅していった手口もまた奇妙であったが、破滅に導く外界の出来事を頭のなかですきまなく再構成するのはむずかしい、ということをここで断らずにはいられない。その原因は記憶の本質に根ざしているのかもしれない。記憶とは、私たちが時間のなかで体験した物事を外側から、時間を超越してはっきり見せる結果、記憶と実際にあった事柄とのあいだに、私たちはひそかなズレをなんとなく感じとるため、不確実感に襲われる。また、私たちは事件にまつわるあらゆるエピソードを同等の明瞭さで記憶しているわけがなく、あるものは見通しのきかない闇に隠れ、あるものはきわめて明瞭に輝く。だから私たちは個々の要因を照度にしたがって配列し、思わず知らず事実からはずれて、全体の順列組み合わせをとかく間違えがちなものだ。はたせるかな、「赤マント」を奈落の底に引きずり込むことになる、絵筆にそそぐすさまじさをはじめて感じとった、あの夜のことが不気味な光をおびて見えてくる。
秋も終わりのころ、当時私たちは町で最も裕福で最も不幸せな一人の家に集まっていたが、その男はつい数年前に赤貧に窮して永眠した。私がそのころ長患いをしていたあいだ世話になった、医者と一緒に、壁が宴会のざわめきを神秘な音楽のようにやわらげてくれる、独特な丸天井のある小さい隣室に入っていった、自分の姿をまざまざと見る思いがする。そのとき相手の人柄に合わせて非常に形式張った会話をかわしながら、なにか内容は忘れてしまったが、ある奇妙な主張で構成される、くどくどしい異論を、私はやっきになって否定しようとしていた気もする。いずれにせよ、堂々めぐりして少しも進展しない、骨の折れる対話だった。重みのある額縁におさまって壁にかかっている一枚の絵を見たとき、私たちはようやく口をとじ、画面にオランダの画家ヒエロニムス・ボッシュの名前が小さく書かれているのを私は読みとった。木版に描かれ、地獄のこのうえもなく恐ろしい目に見えない苦悩を表現し、赤い絵の具の奇妙な配置によって人を不安にする、この小さな絵を、二人は大きな驚きをもって眺めた。炎がたえず新たな無数の形姿をつくり、赤々と燃えさかる火の海を見る思いがしたが、私はしばらくしてやっと、絵の基礎をなしているらしい、画法の手がかりをつかんだ。私の視線が不可解な画家の仕掛けに誘われて、拷問をうける無数の民衆の陰にほとんど隠れ、まったく目立たない背景に、深紅の血の海から威嚇するようにそびえたつ丘の上へ、とてつもない巨岩をころがし押しあげてゆく、ある裸の人物に繰り返しもどる事実に驚かされた。言い伝えられたところによれば、人類のなかで最も狡猾な男であったとされる、シジフォスを描いているとしか考えられない。すべてが太陽のまわりをまわるように回転する、絵の中心点がそこに隠されている、と私は気づいた。だが同時に、老大家の絵は「赤マント」の運命をいわば絵文字で再現しているのではないかという感じが心に浮かんだが、当時は絵文字を解読しようとしても、私には無理な相談だった。絵のあちこちに見られる赤色のかたまりがこのような疑念を呼び起こし、「赤マント」がホストの銀行家とともに部屋に入ってきたとき、疑いは完全な確信にまでたかまったのかもしれない。彼らは押しだまったまま、たいていの客人がつけていた仮面をかぶらず、夜会服を着こみ、社交界の紳士らしい落ちつきはらった風情で入室したが、二人の目はすわっていた。両者のあいだには、不倶戴天の敵にせずにはおかない、それも私の知らない因縁によってシジフォスの絵と結びつきがある、なにかしら恐ろしい事件が起こっていることに私は気がついた。
といっても、すべてはほんの数瞬間の出来事にすぎない。銀行家は医者をともなって広間へもどり、「赤マント」はシジフォスにまつわる暗い奇妙な話に私を巻きこみ、精神がふだんは迷いこみたがらない、ますます物騒になる領域を切り開いていった。彼の言葉の裏には、理想のためなら世界をも犠牲にしようと心に決めている連中に見うけられる、例の狂信が燃えさかっていそうにも思われた。私たちの会話はもはや断片しか記憶に残っていないが、あのとき、会話のあいだ片時も目をそらさなかった、あの古い絵に対する激しい異常な愛着が「赤マント」を駆り立てている、と本人の言葉を通じて確信したことだけは覚えている。いまでは、シジフォスの苦しみと地獄の本質とのあいだに推測される、と話していた、いわくありげな類似点に関するいくつかの暗示を漠然と記憶しているにすぎない。またアイロニーについて、それは地獄の責め苦に内在するものであり、のろわれた男(シジフォス)の罪をいわばパロディー化しているために、男の苦しみが途方もなく倍化されておる、と嘲笑的に語っていた。
残りの会話は重苦しい夢のように消えうせ、どのように二人が別れたのかさえもはや記憶にない。翌朝遅くまでつづいた宴会で思いだすのは、そのとき踊り子たちが顔につけていた、いくつかの黒色や鮮烈な黄色の妖精らしい仮面だけである。
そのあと、宴会が終わるよりもずっと前に、私は持病で早めにきりあげなければならなかったが、ときおり白くきらめく濃霧をついて、家まで送ってくれたのは、医者だった。霧のために立体感も乱され、私たちはこっそり侵入した地下室のなかを動くように思われた。直接の危機感は、私たちが執拗に追いつこうとした男の輪郭がたえず目の前に見え、それも医者がずっと以前から関心をつのらせていた「赤マント」らしいことから、いっそう強められた。だが、私たちのもくろみは、人影がそのつどこちらの予想と違った行動をとるため、きまって挫折し、いつも薄気味悪い手口で裏をかかれた。私たちはやむなく先へすすみ、やがて視界からほとんど消えうせると、また不意に手がとどくほど間近にあらわれる、先行する男をびくびくうかがいながら、医者は、人に聞かれるのを恐れてか、蚊の鳴くような声で「赤マント」ついて話しはじめた。話の肝心な点は、医者の聞いたところによると、「赤マント」は例の絵をわがものにしようと何度もこころみたが、どれほど高い買値もはねつけた、銀行家のせいでいつも失敗していたとの事情から展開していた。さらに医者は、「赤マント」ならシジフォスの絵を手に入れるためには手段を選ばず、犯罪さえも辞さないだろうと説明して、とにかく詳細に理由づけのない憶測をつけくわえる。私は医者をなだめようと努めたが、彼は決して現実の対象を指摘せず、あたかも間道を抜けるようにあいまいな推量や予感を長々としゃべるため、医者との会話はきまって不確定なものになってしまう点に、ある種の腹立たしさを覚えたことを思いだす。いまもなお私がこのうえない感謝の気持をもって回想する、あの先生は、あらゆる現象の疑わしさをあばく、卓越した能力の持ち主であり、ただ奈落のまえをうごめくときに限って、物事を指摘する趣味があった。たとえば、「赤マント」が数年前すでに絵を一度所有していたとか、ある古道具屋で絵をわずかな金子で手に入れたあと、巨額の金額で売り払ったとか、さらに、以前は「赤マント」がきわめて貧しかったにちがいない、とその事実を裏づけるように思われる、いくつかの根拠もあるなどとして、私の敵意をやわらげた。私が自室にひきあげるまえに、戸口まで送ってくれた医者は、いまではますます嘲笑らしく思われる、笑みを浮かべながらこう言った。「赤マント」の暗い過去になにがしかの光を投げかけるものだと主張する、噂を無視してはいけない。あの男は若い頃かなりの才能をもつ画家だったといわれ、昔の絵でかせいだもうけが芸術を捨てる動機となったとの噂もまんざら捨てたものでもないでしょうし、事実そのような見方を裏書する確かな徴候がいくつかあるのです。
こうして話題は、私が病状の悪化によってかなり長期にわたる蟄居を覚悟しなければならない時だっただけに、なおさら不吉な予兆で終わった。そのために、当時六十歳に達していた「赤マント」と、銀行家とのあいだで絵の所有をめぐって演じられはじめていた死闘が、これほど長く私の目につかなかったのは、当時厳格に隠棲していた私の生き方のせいだと思う。また医者も、私の心を乱さないように、長らく沈黙を守っていたのだ。
死闘は、ありとあらゆる私利私欲が支配する、社会の裏側で行動することを好む、二人のライバルの争いであった。長期にわたる用心深い格闘だが、ただ、きわめてデリケートできわめて陰険な武器で争われ、攻撃も退却も断然優位に立って実行に移さねばならず、一歩あやまれば破滅をまねきかねない、一枚の絵をめぐる争いのため、奇想天外でもあった。永遠の薄明につつまれた帳場や、省庁の控え室とか暖房のきかない事務室や、ひそひそ話しかできないような部屋で戦いがくりひろげられたかもしれない。つまり、水面下で決定され、事件に命がけでかかわっている当事者がほとんど眉ひとつ動かさない、あらゆる事件経過の例にもれず、私たちはただときおり不確かな情報しか入手できない、そうしたことが起こる場所で争われていたやもしれない。さらに両者は、このような闘争形式の前提をなす、なみはずれた決断力を考慮に入れるかぎり、対等な好敵手だといえるが、「赤マント」は、こうした状況下でえてして決め手となる、先手の利をおさめていた。不気味なこの決闘では「赤マント」に攻撃者の役割が振りつけられていたのに対し、銀行家はつねに守勢にたたされ、また行動の動機が、絵を手放して生きながらえることを許さない、虚栄心にある点でも、不利な立場に追いやられていた。他方、「赤マント」の絵にとりつかれた不気味な執念は、悪そのものに根ざし、それゆえに不屈の力で行動できる、怪しげな魔力からわき出ていた。こうして、ますます広がる企業合同を扇動しあい、ついには経済の破局さえもたらす、大工業家と大銀行家との決闘は、死にいたらずにはおさまらない潜行性疾患にも似て、長年にわたり、久しく勝利の行方が定まらなかった。だが、徐々に銀行家の巨大資本は破産にむかう。それというのも「赤マント」は、わずかな勝利さえおさめられれば、いかに莫大な損失さえもいとわない、あの棋士のような手を打ち、みずからの全財産を犠牲にすることで、銀行家の財産をも全滅させ、シジフォスの絵を意のままにすることができた。
さて、どのような理由があって頼ってきたのか、私はあえて推測しないが、「赤マント」の招待状が思いがけなく舞いこんできたとはいえず、むしろ避けられないもののように受け取った。
あれは、わが町を(あとで述べる事情によって)去らねばならなくなる直前に、私が最後に町でいくつかの用をたしたうちの一つだった。長い郊外の街道を抜け、截然とアスファルトの表面に浮きでている、深い割れ目や幾何学的な陰影におおわれて、異様な鋸歯状のいわば太古の景観かと見あやまる、荒涼とした労働者街を通っていった。夜更けのことで、わずかに数人の酔っ払いが野蛮な歌をあたりかまわず大声で歌いながら千鳥足でうろつき、どこかで警官と殴り合いが一件起きていた。やがて私は彼の家にたどりつく。下手の川辺にあり、家屋は、河岸の低木とシュレーバー菜園[都市住民の賃貸小菜園]と広い登り坂の半円を描いてたちならぶ団地に取り囲まれている、長くのびた建物であった。屋根は一様でなく、もともと四軒の寄せ集めで、高さのふぞろいな住宅によって構成され、個々の隔壁が取り払われ、いずれの窓も月光をあびて輝いていた。正門は広く開け放たれていたが、ひっくりかえった鉢から投げだされている植木の山を越えて母屋にいかなければならなかっただけに、なおいっそう開門は私を不安にさせた。だが家の内側には、さしあたり予期した混乱は見あたらなかった。ただ、ちらちら窓ガラス越しに射しこむ月明かりに照らされた、いくつかの巨大な部屋をゆっくり通り抜けながら、壁に途方もなく高価な絵がかかっている気配を感じ、珍しい花々の香りがするが、いたるところで、銀色の薄明かりを通して、ありとあらゆる家財道具に貼られている、執行官の封印が目にとまった。さらに、手探りをしながら先へ進むにつれて─何度もスイッチを入れて電灯をともそうとしたが、とどのつまり電気がとめられていた─、ラビュリントス(迷宮)の実体がわかった。迷宮とは、不安が徐々に一歩一歩高まることによって呼びさまされ、私たちが通路の急なカーブを切ったとたんに毛むくじゃらのミノタウロス[牛頭人身の怪物]にぶつかるときに生じる、このうえもない恐怖の瞬間をその内奥に秘めている。まもなく先へ突き進むのが一段とむずかしくなった。私は、高いところに小さい格子窓しかない、建物の箇所に入り込んでしまった。おまけに、絨毯が巻きあげられ、家具の位置も変えられている。こうしてますますつのる混乱のなかで、まもなく自分がどこにいるのやら見当さえつかなくなった。何度も同じ部屋に舞いもどる気もした。私は叫んで注意をひきつけようとしはじめたが、答える者はなく、ただ一度、遠くから笑い声が聞こえるように思われた。らせん階段をのぼりつめると、やっと道が見つかる。つまり、私は一種のたたきのなかへ、もし記憶が正しければ、屋根をささえる梁があちこちにあり、その高さが同じでないため、固定された鉄製のはしごで相互につながれている、床もふぞろいな、広い打穀場のうえへ足を踏みいれていた。ここでも家主はすべてを豪華にしつらえ、このような土間の目的は見抜けなかったが、巧みな設備で住み心地よくしていた。そのとき、背後の防火壁から、赤い光がちらちら見てきた。私はどうにか種々さまざまな梯子をのぼり、再び別の梯子をおりていった。窓はどこにも見えず、暖炉の火のほかに光はなかった。だが、この唯一の光も不規則にゆらぎ、あるときは勢いよく明滅して、土間のあらゆる事物がくっきり浮かびあがり、柱や梁や家具や奔放な幻影などが壁とか、中から見える屋根を伝って踊り、またあるときはほとんど消えそうになり、私は深い闇につつまれて、床か梯子のどこか見通しのきかない場所にいた。ますます私は火の光に近づく。倒れた書架と分厚い大型本の乱雑な山をよじ登って越えると、暖炉にたどりついた。炉端に、だぶだぶの破れた薄汚い衣服を身にまとった、一人のやせさらばえた老人がすわっている。ひげもそらず、どうやら浮浪者らしく、炎の明かりにはげ頭を照らしている、なんとなく戦慄を覚えさせる人影が、徐々にではあるが私にも「赤マント」だとわかってきた。膝のうえにオランダ人の絵をのせ、身じろぎもせずに絵を凝視していたが、その額縁にも封印が貼られていた。私が挨拶をすると、長らくしてやっと相手は顔をあげた。最初は私がわからない様子で、こちらも彼が酔っ払っているのかどうかわからなかった。床に空瓶が数本ころがっていたからだ。ようやく先方はしゃがれ声でしゃべりだしたが、最初に何を話したのか忘れてしまった。もしかすれば身代をつぶした話、私財やら工場やら企業合同やらを失ったこと、あるいは家や町を出なければならない顛末を告げる自嘲的な話だったかもしれない。だが、そのあとにつづいたことは、子供らが部屋でカルタの家をたてて、ふたたび同じように苦労しながら崩してゆくさまを見かけたとき、はっと私は合点がいった。「赤マント」は老いさらばえた手でいらいらと右の太ももをたたいた。
「わしは若いころの汚い服を着て、いまここにすわっておる」
だしぬけに彼は怒りくるって叫んだ。
「わしの貧しい時代の服を着てだ。この服やこの貧困がにくい。汚いものはきらいじゃ。わしはそれから足を洗ったが、またしても粘っこいぬかるみのなかに沈んでしまった」
こういって彼は瓶を一本投げてよこすが、私が体をかわしたおかげで、背後のどこか奥のほうでこっぱみじんになった。「赤マント」はやや落ち着きをとりもどし、異様な鋭い目つきでこちらをにらむ。
「無から有をつくりだせるものかねぇ」
彼が探るように尋ねるのに対し、私は信じられないとばかりに首をふった。
「あんたの考えるとおりだ。うん、そのとおりじゃ」
彼は悲しげにうなずき、絵を額縁から取りはずして火のなかへ投げこむ。
「何をなさるのです」
私は驚いて叫び、絵を火から引きずりだそうと、すっとんでゆく。
「ボッシュを灰になさるのですか」
ところが、老人にそれほどの力があるとも思えなかった勢いで、私は押しもどされた。
「この絵は本物じゃない」 老人は笑う。「そんなことぐらい知っていなければいけないのだがねぇ。医者はとっくの昔に知っていた。あいつはなにもかもずっと前から承知しておる」
暖炉が危険なほどぱっと燃えあがり、ゆらめく深紅の光を私たちにふりそそぐ。
「あなたは絵をご自身で偽造したのですね」 私は小声で言う。「だからもう一度それを取り戻したかった」
老人は私をおどかすようににらみつける。「無から有をつくりだすために。わしは贋作でもうけた金で資産をつくった。かなりの大金、誇るに足る財産だった。もしその絵がもう一度この手にもどっていたら、わしは無から有をうみだしたってことになったのだが。ああ、悲惨な現世での綿密な計算だよ」
またふたたび火を見つめ、老人はいまやぼろの汚い服をまとって、昔どおり貧しく、正気を失い、さえないこじきとして、身じろぎもせず、消え入りそうにすわっていた。
「無から有だ」と彼は繰り返し、小声で、土色の唇はほとんど動かず、のべつくまなく、不気味な時計の針が時を刻むようにささやきつづける。「無から有だ。無から有だ---」
見るも痛ましく、私は「赤マント」に背を向け、手探りしながら差し押さえられた家屋敷をあともどりして、路上に出ると、突然四方八方から人びとが、私の出てきた家をめざして、かっと目を見開き、駆けていくのも気にかけなかった。その数年後、私が子供らを、円卓のうえにおかれたトランプ・カードと手をのぞき見た、あの窓ガラスに霜が結び、あとはわずかに、微動もしないで空虚な平面をとりかこむ、窓わくが眼前の薄明かりに浮かんだとき、驚愕が刻まれていた、人びとの大きく見開いた目を、私ははじめて凝視する思いがした。
おわり