自殺で思うこと
自殺者は、年間3万人にのぼり、交通事故死者1万人をはるかに上回っているが、社会問題として政治の場でもっと大きく取り上げられても良いと思う。先ごろ国会の開会中に現職大臣が自殺し、日を置かずして、高知出身の元農林官僚が、緑資源機構の林道整備事業にからむ談合事件で任意取調べをうけている最中に自殺した。
現職大臣の自殺は、歴代初めてのことらしい。元官僚あるいは現役官僚の自殺は、何か大きな疑惑が検察当局で捜査されるたびに起こっている。それによって、事の真相がわかりにくくなった事例は、過去にもあった。
松岡農林大臣は、国会の委員会で、政治資金報告書に本来支出が発生しない議員会館での事務所光熱費を、多額に計上していたことから、説明を求められた。その度に「法律に則って適正に報告している」と答弁していた。それに加えて、1本5千円の水を買っていたとかナントカ還元水とかに使ったとか、言わずもがなの説明を付けたので、答弁を聞いた多くの人は、より誠実な説明を求めることになった。
安倍総理は、それを適切な説明であるとバックアップしたので、仮に本人がこんな説明で国民が納得するはずがないと思っていても、押し通すしかなかったようだ。一方では、政治資金規正修正法案を通す政治日程があり、ザル法である現法律をまさしくザル法であると証明するような説明をすれば、修正案を根本から論議しなおすことになりかねない状況であった。政治日程とのからみで、政権の中に居る大臣は、常識はずれの説明を最後までつづけなければならなかった。気の毒というほか無いが、鈴木宗男議員によれば、政権と党からの圧力があったからだという。例によって、政権も党も否定したが、ありうることだといえよう。
自殺の引き金になったのが、緑資源機構の談合会社から多額の政治献金を受けていたことに関連するかも知れないともいう。大臣が談合に係わるなどは常識的にも有り得ないから、先の光熱費といい、政治献金といい、出所支出を明らかにして説明し、批判は甘んじて受け、大臣を辞任すれば、政権へのダメ−ジは別として一応は決着したはずである。その不名誉は、命を賭けるまでもなく耐えられたであろうと思う。
政治に、金がかかるというのは常識になっている。選挙のたびに国会議員なら億前後の費用がかかるともいう。選挙の応援に駆けつける人は多いが、実際に手弁当で動いてくれる人は少ない。違反であろうが無かろうが、誰かが多額の金額を動かすことになるのである。
これを賄うために、政治家は無分別に献金を求めて動くことになるが、個人献金の慣習がない日本では、企業に頼ることになる。企業は、利益にならないことに金銭を支出することはしないから、献金を受けた企業から何か要請があれば、知らぬ顔を決め込むことはできない。政治家に頼ることなく経営できる企業は献金などしないから、献金企業は、限りなく政治力を頼りにする場合があると思わなければならない。
この弊害をなくすために国が政党助成金として、多額の金を政党に出したはずであった。個別企業からでなく、経済団体からも従来どおり献金が行われている。にもかかわらず、政治家は個別企業献金を以前と変わりなく受け取っているのである。
にわとりが先か卵が先かのような話だが、とにかく議員歳費だけでは不足するので、別の資金に頼らねばならない。諸悪の根源は、政治に金がかかることに端を発するが、一体なぜそのように金がかかるかを窮めて対処しない限り、領収書の添付など政治資金収支報告書の有り方なぞいくらこね回しても、抜本的解決には程遠いと思うのである。