史記覚え書き
寒い冬の間は台湾高雄市の東の屏東市にロングステイし、暑くなると日本に帰ってくる友人が居る。以前に、この友人に頼んで、台湾で発行された「唐詩三百首」を買ってきて貰ったことがある。台湾は、漢字が繁体字(旧字体)であるから、中国本土の簡体字より我々には読みやすいのである。昨年同じように「史記---名篇精選---」(以下名篇という。)を買ってきて貰った。
史記は大部であるから、その中から抜粋したものが一般には取りつきやすいが、日本には、「史記文粋」(簡野道明校注。以下文粋という。)がある。これは、文粋とあるように、文章の粋ともいうべきものを抜粋したようだが、台湾の本には、名篇とある。文粋も名篇も同様の意味であるに違いない。両者ともに、「項羽本紀」を選び、その他は、文粋が、列伝から14編を抜粋し、名篇は、表から1編と世家から3編を選び、列伝は9編と若干ながら選んだものには相違がある。
もっとも、文粋は教科書であるから、授業での説明が前提であり、注釈は簡略である。名篇は、精読できるように、北京語の詳細な注釈と現代語訳が付いている。注釈者は、北京師範大学の韓兆琦教授であるが、序文も略歴もなく、いきなり本文に入る。この本の出版社(三民書局)は、中国古典の注釈書を数多く出版しているが、「唐詩選」や「三体詩」は出版目録にない。中国の古典専門サイトでも、この両書は、掲載してないので、これを読むのは今や日本人だけではないかと疑いたくなる。
史記の読み方は、人により様々であるが、本紀・世家・列伝を有機的に結びつけて読むのが面白く分かりやすい。これを、武田泰淳が「司馬遷—史記の世界」で論述しており参考になる。この本は中国歴史学者の西嶋定生著「秦漢帝国」の巻末の参考文献欄に、「司馬遷が匈奴に降った李陵を弁護したために、腐刑に処せられたくやしさ恥ずかしさとその著作内容と結合させた文学作品の傑作である。」と異例ともいえる紹介がある。
この本に対して、というより、武田の初版(昭和17年)序文が米国と戦端を開いた時期であったことから、軍部に阿(おも)ねった表現であることを問題にした学者が居る。加地伸行であるが、その「史記---再説---司馬遷の世界」は、司馬遷その人に焦点を当てて、彼が如何なる人物であったかを、史記中の彼の言説から浮き彫りにして、史記成立の必然性に及ぶ興味深い本である。
もっとも、史記の原文を読む前に、史記がどのような書物であるか内容を把握したい向きには、歴史学者の宮崎市定「史記を語る」が役に立つ。司馬遷が偉大な歴史家であるとしても、「司馬遷という男は、何か書いたものを見せれば、すぐ騙(だま)されやすい男であった。」と評して憚らないこの学者は、司馬遷の書いたことを鵜呑みにはしないのである。確かに、史記はエピソードが満載されているので、面白いには違いないが、史実あるいは歴史として全てを受入れることは学者にはできない部分もあろう。これらのエピソードは、中国の歴史小説を書く作家にとっては、またとない材料を提供しているのだが・・。
中国の歴史に題材をとって小説を書く作家は多い。その中で史記についてのエッセイを書いて、我々の気がつかないことを気づかせてくれるものがある。宮城谷昌光の「史記の風景」である。学者と違って小説家の視点は、エッセイもまた面白いものがある。
先に挙げた名篇でも、日本の学者の説を引いて注釈としている所がある。滝川曰(いわく)・・とあるのがそれで、滝川亀太郎の「史記会注考証」という書物が中国で参照されているようである。もっとも、この本は、古書店でも高額であり、高知市民図書館に蔵書されているので、館内で閲覧はできる。台湾の史記の注釈(名篇と同じ韓教授)本は、8冊で1万円強だが、日本で出版中の注釈本は高額である。当たり前だが、全編を読む気がない人には、原文の読みたいところをネットで見るのが最もむだがない。
なお、司馬遷を祭る社には祠堂上に「史聖千秋」とあり、李白の詩仙、杜甫の詩聖より古くから、司馬遷は史聖と称されている。