大仙院の枯山水庭園
水の代わりに白砂をあしらって、川の流れや大海原を表現し、そこに岩を配置した庭園を枯山水というようだ。その典型的なものが、龍安寺の石庭で、訪れる人も多く、縁側に坐って瞑想にふける人は、洋の東西を問わない。
この夏、京都にでかけたとき、大徳寺の塔頭「大仙院」を訪れた。学生時代からこれで都合5回目ほどの訪問になる。靴を脱いで上がると、名物和尚の尾関宗園住職がWelcome handsome boy! と豚児に呼びかけてきた。私が若い頃訪れたときは、この和尚かどうかは分からないが、袈裟衣姿の若い僧侶が案内役に立ってくれたが、今回は僧侶ではない人が、家族3人の案内に立ってくれた。
私がこの庭を好む所以は、龍安寺の石庭に比べて分かりやすいことにある。蓬莱山の山深く湧き出た水が、滝となって流れ落ち、谷となって下り、小川から次第に大河となるが、二つの河に分かれて、やがて海に注ぐ。一方は、中海に、一方は大海に注いでいる。大海の隅には、沙羅双樹が小さく植えてあり、その基で釈迦が死を迎えた木であることを知る人に人生の終焉を語りかけている。この一連の流れの途中に、蓬莱山、鯉魚石と名づけられた石、宝船と言う舟形石、亀になぞらえた石、石橋などが配置されて、一連の流れが人の誕生から生涯にも例えられて、分かりやすい。音楽好きには、スメタナのモルダウの旋律が頭の中をよぎる風景である。
院内には、千利休が豊臣秀吉に茶を呈した書院やうぐいす張りの国宝の廊下、相阿見や狩野之信の描いたと伝えられる山水画などが目と耳を楽しませてくれる。枯山水とは言いながら、窪みのある石があって、雨水がたまっている。これを見て、千利休が「つくばい」を考えついたという。高野山の金剛峰寺には、日本最大の枯山水の庭があるが、この大仙院の庭は、その何分の一かで、多くのことを分かりやすく語りかけてくれるのである。
帰りには、尾関和尚が販売所で買った冊子などに、こちらの名前を書いて、自分のサインをしながら、気安く明るく語りかけてくださるのである。さすが、有名な一休和尚や沢庵禅師を生んだ大徳寺だと思いながら、静かに辞去したのであった。