皇后陛下の歌集「瀬音」を読む

今からひと昔前の平成9年、美智子皇后陛下が昭和34年ご成婚以来詠まれた歌集が出版された。そのとき購入の機会を逸していたため、このたび当時のままの美本をネット経由の古書店で購入した。

漢詩の五言絶句と日本の俳句は、20文字と17文字という短い語句で詠まれるため、凝縮された言葉と字間行間に込められた思いを味わうことになる。もっとも俳句は江戸時代からであるから、五言絶句からいえば、千年以上後にできたものである。わびさび的なものが命題であるから、感情移入には恬淡としていて、「古池やかわず飛び込む水の音」や「奥の細道」に見る有名な句も自然描写が多い。感情移入には、言葉の数が少ないうらみがある。一方五言絶句には、短い中で感情移入した優れた句が随分ある。

七言絶句と和歌になると、自然描写に加えて感情移入も多くなる。俳句は江戸時代に始まったのに比較して、和歌の歴史は、最古の歌集である万葉集が八世紀へさかのぼる。丁度、中国は唐の時代で、漢詩の詩形が李白や杜甫によって定まった時期と重なるのである。それから百年後に古今和歌集、さらにその三百年後に新古今和歌集が編纂されている。日本の歴史上に著名な歌人は、平安時代・鎌倉時代までに出尽くしている感がある。それは、漢詩人が唐から宋の時代に出尽くした感があるのと軌を一にするのである。もっとも、俳人正岡子規は、万葉歌人と源実朝以外は、古今・新古今の歌人をまるで評価していない(歌よみに与ふる書)。

今日、漢詩を読む時に手にする「唐詩選」や「三体詩」などは、解説が付いたものでないと読めない詩が多い。中国語の解説が付いた「唐詩三百首注解」(今陶雁著・江西人民出版社)という本を持っているが、中国人も今日では解説を必要とするということであろう。それでは、和歌の場合どうであろうか。例えば「百人一首」はこの時代を代表する歌集であり、かるた取りで見聞きしたことのある歌や覚えているものもある。日本語であるから分かるかと言えば、わかりにくいものも少なからずあって、昔から解説書は随分と多いのである。

時代は下がって、明治以降に詠まれた和歌になると随分わかりやすい。解説がなくとも、読み切ることができるのである。また、読者の経験や過去とほぼ同時代に起きたできごとが背景にある場合は、歌人と思いを共有できて、感慨がひとしおということがある。皇后陛下の「瀬音」は、同時代に生きている読者の琴線が共鳴する歌集なのである。

この歌集出版後のことであるが、両陛下がサイパンを訪問されたことがある。そのときに、いわゆるバンザイクリフといわれる崖に両陛下が向かわれた写真が報道された。そのときの印象を詠まれた皇后陛下の御歌が新聞に掲載された。「いまはとて島果ての崖踏みけりしを みなの足裏(あうら)思えばかなし」と詠まれた。戦争末期、沖縄などで米軍が撮影した「いまはとて、崖踏みけりし」人々の映像を見たことがあるが、誠に悲惨であった。バンザイクリフは、沖縄本島南部のほかに伊江島にも存在する。

 以下には、この「瀬音」から心に残るもの5首を転載した。

(皇太子結婚記念)
たづさえて登りゆきませ山はいま木木青葉してさやけくあらん

(終戦記念日)
海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたの御霊(みたま)(まも)るらむ

(遺灰は海に撒かれぬ)
海原に海の枕のあると聞く君が眠りの安けくあらまし

移り住む国の民とし老いたまふ君らが歌ふさくらさくらと

笑み交わしやがて涙のわきいづる復興なりし街をゆきつつ