単車のページ

 単車については、つきあいが長いのでたくさん書くことがあります。
 最初に所有した単車は、大学2年の時に新車で買ってもらったHONDAのCB50です。そこそこパワーもあり丈夫で燃費の良い4サイクルのバイクでした。姫路から鳥取や岡山、神戸への旅行、そして愛媛への帰省にも使いました。後にダークグリーンに塗られたCB50は、私の大学生活をささえる足となりました。最後は下級生にあげたような気がします。

 次に買ったのは、大学4年終わりに友達から買い取った写真のHONDAホークU(CB400T)です。これは、今でも人気のCB400Fourの後裔機種として発売されたコストパフォーマンスに優れた名車でした。トルクがあり燃費も良く、結構いい走りもするので、貧乏学生の足としては文句をつけるところのないバイクでした。当時は、Z400FX、XJ400などのDOHC車の絶頂の時代でしたが、400CCで最速というとこいつのスポーツバージョン:スーパーホークVでした。当然、こいつと旅行にもよく出かけました。10m以上のジャンプをして、田んぼにつっこんだこともありました。旅行でもこのバイクは就職するときに、バイクを盗まれたかわいそうな後輩にあげてしまいました。

 大学の最後の二年間は、バイトにも恵まれていたので、時間的にも経済的にもゆとりが出てきました。そして、オフロードがほしくなって買ったのがXL125でした。プロトというトライアル専門店で買った175ccボアアップキットを自分で組み込んで、野山を駆け回って楽しみました。当時は、暇があればバイク屋に張り付き、技術を吸収して自分のバイクを改造調整したものです。今では、パンク修理さえ自分でしない様になってしまいましたが..。このXL125改は、就職とともに愛媛に乗って帰りしばらくは乗っていましたが、ほとんどのることもなくなったので売ってしまいました。

 こちらに就職して、通学用のバイクとして買ったのが、写真のSR500です。大学卒業前にやっと限定解除に合格したからです。その振動と、軽快で強力なトルクを楽しむために、キャブトンのマフラーを組み込み、バックファイアーと小気味よい排気音を楽しみながら2年くらい走りました。一度、大阪までこのバイクで旅行したとき、両腕のひどいしびれに驚き、先の人生を考えて手放すことにしました。
 SR500は、エンジンをかけるのも儀式が必要で、簡単に使えないので、日常的に使うバイクとして、かなりくたびれたスーパーカーブ90を買って使っていました。その後、写真のスズキ・ジェンマ125を買いました。スクーターは膝が固定できないので心配もありましたが、便利ではありました。

 SR500で松山を走っていたとき、ふと目に入ったのがバイクショップで整備されていた緑のZ750Fでした。何か感じるものがあり、すぐにそのバイク屋に立ち寄り、その場で売買契約を交わしました。40万円ほどだったと思います。バイク屋に張り付いていた学生の時、あこがれであったZ2の最終型だったからです。
 この写真が、今の私の愛車:1977年製のカワサキのZ750F(D1)です。それ以来長年連れ添っていますが、最近は忙しくてあまり乗る機会がないのが残念です。このバイクは、有名なZ2からブレーキをトリプルにし、キャスターが少し起こされています。何せ古いバイクなので、いろいろとガタがきていて、調子よく始動させるだけでも技術を要します。

 平成7年、松山のカワサキ専門店「M」で20数万円ほどかけて調整してもらい、何とか調子よく走れるようになりました。左の写真は、当時Z2を製造していた川崎重工明石工場の前でのお里帰りのシーンです。私はこの明石市で、二輪の限定解除を受けました。適正検査はZ2、技能検査はFXVでした。聞くところによると、その後すべての検査車はホンダになったそうです。川崎の街なのに...?
 あれほど巷にあふれていたZ2も、今ではほとんど見かけることがなくなりました。手放すともう二度と手に入れることは不可能でしょう。外観は非常に状態が良く、大事に所有していこうと思っているのですが、私の住んでいる伊方町三崎で野外に置いているうちに至るところ錆が目立つようになってきました。平成11年からは倉庫を借りましたが、潮風が強い地区なので、劣化は少しずつすすみます。平成16年3月からは、家の中に入れています。これがこの時家を購入した大きな理由の一つでした。

 登山口と下山口の違う山に登るときはジェンマを車に積んで行っていましたが、車重があるのでヤマハJOG90を中古(10万円くらい?)で購入しました。コンパクトでパワーもある2サイクル車で、重宝しました。しかし、平成10年9月、派手に転倒して大破してしまいました。

 そして、その時、JOGを引き取ってもらった店で、以前から興味を持っていたHONDA CT110を紹介されました。日本ではハンターカブという名で1981年だけ発売され、今では逆輸入しか手に入らないマニアックな実用車の中古でした。結局、JOG90の修理をあきらめ、平成10年9月30日、走行距離わずか23kmのオーストラリア仕様のハンターカブを購入しました。
 一言でこの単車を説明するとすると、オフロードでも元気に走れるスーパーカブ・スペシャルで、他のバイクに見られない変わった装備があります。例えば、サイドスタンドは左右両方にあります。また、エンジンの横に手動の副変速機があるのです。さらに、水が膝ぐらいの川を走破できるアップマフラーと荷台と合体した空気取り入れ口、そして広い後部荷台の他に前灯上にも荷台がある徹底した実用車です。しかし、日本仕様車なら必ずあるはずの書類入れや工具入れはありません。荷台に郵便バイクと同等の可変容量の大形ボックスキャリア(松田技研)をセットしましたので、時々郵便カブと間違われました。
 カブ独特のギアチェンジと単コロの振動を味わえる楽しいバイクでしたが、職場が近くなってしばらく乗らないうちにエンジンがかかりにくくなり、ついに動かなくなってしまいました。動かなくなって2年して、ついにあきらめて業者に引き取ってもらいました。

 平成18年に職場が変わり車通勤をしていたのですが、経済的な理由と二酸化炭素の削減のためにバイク通勤にきりかえることにしました。きっかけは、ベトナム旅行です。一人の移動にはバイクで十分であることを再認識したのです。
 そして十分に審議をして選んだのがアドレスV125/Gでした。84kgで、車にも積めるほどコンパクト、4サイクルながら良くふけるパワフルなエンジン、電源や二重三重のセキュリーシステム等々、私の求める足となるバイクにジャストマッチだったのです。中古市場には少ない人気機種でしたが、平成20年4月、松山に出物があるのをキャッチするとすぐに買いに行きました。以前乗っていた同じスズキのジェンマと別世界の軽快さで、一気に80km/hに達する気持ちの良い加速に思わずカーブでは、ぐぐっとバンクさせてしまいます。写真のように舶来の籠もつけて、完全な通勤兼お買い物バイクに変身です。
 H21の沖縄の旅ではテントを積んで全行程このアドレスで走破しました。自然の中を走り寝て自然の中で眠る久しぶりの旅でした。左の写真はヤンバルでの米軍との抗争の碑の前です。H23にはアプローチと状況によっては車を使いましたが、震災半年後の岩手北部から福島までの海岸線と原発事故被害地域視察旅行で大活躍しました。バイクならではの足回りがあったからこそ、被災地の隅々まで納得いくまで観て回ることができました。
 H25、散々走り回ったアドレスのエンジンが焼き付いて以後調子が悪くなり廃車となってしまいました。次のバイクは、ホンダ・ベンリー110。110ccのカブエンジン、10Lの燃料タンク、前後共にたっぷりのキャリアスペースで旅行用のバイクとしてベストチョイスのバイクです。少々重く非力で軽快には走れないが他のことは十分満足できます。ハンターカブで使っていた松田の大容量郵便キャリアに無理矢理フロント風貌とナックルガードをつけたところがこの写真である。H26年壱岐・対馬の旅を皮切りにこれから様々な旅行を計画する予定です。
 ということで、現在所有のバイクはbenly110とZ750Fです。  平成26年9月更新