また、私は山歩きも趣味なので、下山すると、体の疲れをとるために近くの公衆浴場に行くことにしている。それもできるだけ温泉地の公衆浴場である。これは、湯銭が安くそして地元の話も聞け、その風土をつかむためには理想の交流の場であるからである。印象に残っているものをいくつかあげてみよう。湯船と水道の蛇口が1つ、そして温泉の湯を飲むためのヒシャクが1個あるだけの別府の海門寺温泉(当時の湯銭はなんと40円だったが、今は現代温泉に様変わりしている)。モッチョム岳の大きなペンキ絵がある屋久島の銭湯では、島の自然や変貌や屋久杉などの話に花が咲いた。他に浴室がすべてヒバで作られた青森の酸ヶ湯や、絶大なる治癒能力を発揮してくれた素朴な蔵王温泉公衆浴場、登山者用に無料解放してある奥飛騨の新穂高温泉露天風呂や、2週間もの南アルプス縦走の汗を流してくれた赤石温泉なども印象に残っている。新潟魚沼三山登山後に行った栃尾又温泉、尾瀬を歩き回った後の檜枝岐温泉駒の湯・燧の湯も印象に残っている。どちらも素っ気ない大衆浴場だが、前者は体の調子を取り戻すために必死の企業戦士、後者は登山の汗を流すはっきりした目的のために、独特のムードがある。
写真は、北アルプス最奥部にあるため、この温泉にはいるためには最低でも往復で3日間必要な高天原温泉である。温泉に入る人はすべてここまで数日間歩いて苦労をともにしてきた山仲間である。だから、全く知らない人でもすぐに会話が弾む。次の日、ブユに悩まされながらこの沢をつめて、水晶岳に登ったことなども思い出される。
温泉はともかく、街の銭湯は現在急速に減りつつある。愛媛県の銭湯巡りをしているときにも、八幡浜市で一つ、この秋から冬にかけては、中山町とその隣の内子町、そして波方町で銭湯が廃業している。松山では平成10年に数件の銭湯が一斉に廃業してしまった。それまで私の興味の中心は修験道や山であったが、この銭湯文化の大きな変化の現状を見るにつけ、ホームページを作成では優先的に公衆浴場の内容をまとめていくようにした。
様々な公衆浴場を巡ってきた私にとって現在最も好む淋浴の形態は潮湯である。海水の淋浴は、「海水浴」という呼称が現在も残っているようにそもそも日本では一般化した形態で、特に瀬戸内海沿岸の地域では銭湯でも広く親しまれていた。天然のミネラルが豊富な海水は、私の経験でも下手な温泉よりもずっとバランスの良い効能が期待できると感じている。愛媛の温泉は基本的に単純泉で効能はそれほど期待できない。だから、県内の公衆浴場ではいわゆる潮湯(汐湯)淋浴をこよなく愛しているのである。遠い祖先が海から発生したように人体と浸透圧も体液との組成もほぼ等しい「羊水に包まれている」安心感と、実感できる湯上がりの蘇生感は何とも言い難いのである。潮湯愛好家に言わすと淡水湯は「肌にぴりぴりして不健康!」なのである。とはいえ、銭湯と同様潮湯につかれる公衆浴場も急速に減少している。
日常に通う銭湯は以前は潮湯のある八幡浜市の清水温泉、松山方面に行くときは写真のその名も「汐湯」だったが、今はどちらも廃業してしまった。私の住む町にも温泉浴場(実質は薄い塩水湯)ができたが、今は写真上右の大洲市長浜の「なぎさの湯」まで行かないと潮湯につかれなくなった。写真下の左の看板は北条の銭湯、右は大山祗神社参詣の時に禊ぎとして行く隣に「伯方の塩」工場のあるマーレ ・グラッシア大三島である。
海外に行っても銭湯と温泉には果敢にチャレンジしている。写真は朝鮮・中国の霊山である長白山(白頭山)の温泉浴場、バリの野性味あふれる温泉、韓国俗籬山観光団地の銭湯の壁絵、台湾の庶民的な温泉の入浴風景、タイ北部の足湯である。これらの旅行記も私の研究をのせたHPに掲載する予定である。