銭湯のサウナ  Ver. 1.0


 温泉浴場ではサウナがあるのが当たり前になりつつあるが、銭湯ではどうだろう。今のように温泉浴場がほとんど無かった平成のはじめサウナを設置する銭湯が増え始めた。それが他の銭湯との差別化に繋がるからである。看板には誇らしげに「サウナ」と書いてあるところが多ことからもそれがわかる。愛媛の場合は脱衣場に増設する形の2〜3人入れるサウナを持つしている銭湯が多かった。右の写真がそれで、これをボックスサウナと呼んでおこう。けっこうな電気代が必要なので東京あたりでは200円くらいのサウナ料を別にとるところが多いらしいが、私が最初に調査した平成8年頃には愛媛県ではほとんどの銭湯では無料であった。北条の銭湯で100円取るくらいである。
 サウナの一番の問題は、コストと落書きである。また、ちゃんと管理していないと不潔になりやすい手間のかかる施設でもある。だから、サウナの中を見れば、その銭湯の姿勢がだいたいわかるともいえる。ほとんどは気温が百℃程度なのだが、遠赤外線の最新型では温度が低くても十分な発汗がある。

 湿式サウナも県内の数軒の銭湯にあった。しかしながら気温の割に苦しい思いをして、汗がでているのかがわかりにくいので、ほとんど入っている人を見かけなかった。ただ、鷹の子温泉の湿式サウナは、薬草を利用した新しい試みであり、効果はともかく客の受けはよいようだ。ミストサウナという高温の霧を噴霧されるものなどは、さらに眉唾ものといえるだろう。ただし、髪の毛に着く水滴はきれいである。私が温泉浴場としては最もよく行くユートピアでは、最初にこのサウナにはいる。どぼんと湯に入るより、肌に優しく温泉がなじむからである。ほとんど他の人は利用しないし、湯冷めの危険もないので、ときどき寝そべった利用もしている。しかしレジオネラ問題が起こってからはこのサウナはほとんど見られなくなった。

 さて、サウナと言えば、「2000年前からフィンランドで..........」の説明が一般的だが、歴史的に見ると日本の風呂は、元々は湿式サウナのようなものであったらしい。以前、臨済宗の総本山京都の妙心寺を見学したが、その中にも昔のサウナ式の風呂があった。福井藩主松平家の別邸の養浩館にも同じような風呂があった。別府では有名な鉄輪のむし湯をはじめとした日本的なサウナがたくさんある。民間にも様々な形のサウナ風呂が多く残っているらしい。
 愛媛県では、今治市の桜井の石風呂が有名である。昔はこのようなサウナ風呂は瀬戸内海沿岸にたくさんあったそうである。四国では多くがそうであるように弘法大師(空海)由来の温泉やサウナが各地にある。桜井の石風呂は、花崗岩の岩をいくつかくりぬき、その一つで火を燃やすことによってサウナ空間を作り出す原始的なサウナである。写真の左がかまど、中と右がサウナである。サウナから出たら目の前にある海に飛び込むもよし、前にある風呂にはいるのもよしという野趣あふれる魅力的な施設だが、夏場しか営業していない。
 このような原始的なサウナを年中利用したいという変わった人もいるのではないだろうか。その希望にそえる銭湯が愛媛県にただ一カ所あった。それは西条市の「いがり温泉」。ここは銭湯料金のマイナーな温泉だが、有馬温泉の金泉と同じ泉質の温泉に加え、原始的なサウナのある愛媛で最も特異で貴重な秘銭湯?であった。私はここの穴蔵のようなサウナは我慢できずにすぐに出たが、別府のむし湯も同じような設備である。残念ながらこの貴重ないがり温泉も廃業してしまい今では伝説の銭湯になってしまった。この手のサウナに興味がある人はそれがたくさんある別府に行くのが近道である。

 最近銭湯のサウナについて思うことは、ボックスサウナはあるけれどもう今では使っていないというものが多い。どうもサウナに行くなら広くてテレビもある温泉浴場やスーパー銭湯のサウナを利用するという活用の仕方が一般化している。結果として銭湯のちっちゃな電気サウナの存続は難しい時代になっている。